朝霧町復興編(前編4)
一週間が経ち、蛍は東京に戻った。 旅行鞄の中には、いくつかの不格好な包みが、大事そうに収められている。昨日まで、民宿の一室にこもって、何やら作業をしていたらしい。指先には、絆創膏が何枚か貼られていた。
朝九時。蛍は自宅には戻らず、旅行鞄を持ったまま、黒崎ビルに出社した。
社長室に入ると、いつもと変わらない黒崎朔夜がすでにデスクに座り、情報誌に目を通していた。
「……家に戻らなかったのか?」
蛍が戻ってきた安堵と、旅行鞄を抱えたまま出社したという訝しさを混ぜ合わせた視線を一瞬だけ向けてくる。
「あの、兄さんに、見てもらいたいものがあって——」
蛍は旅行鞄の中をガサゴソと漁り、小さな透明の箱のようなものを取り出した。中央には電球らしきものが付いている。
「あ、ちょっと消しますね」
蛍は社長室の電灯を切った。窓のブラインドも下ろして、部屋を暗くする。そして、透明な箱のスイッチを押す。
「これは……」
ぼうっと温かい明かりが灯った。……それは、ランプだった。
「朔夜兄さんへの、お土産です」
朔夜が見つめるそのランプの灯りは、不規則に点滅し、優しく揺らめいていた。朔夜はその揺らぎから、しばらく目が離せなかった。
「……ホタル、みたいだな」
「そう、ですね」
「蛍、ありがとう。……どこで買ったんだ?」
「……」
言い淀む蛍を、朔夜がちらりと見る。視線が合うと、蛍は絆創膏の貼られた指をギュッと押さえながら、照れくさそうに呟いた。
「……作りました」
「え?」
「図書館で、色んな本を読んだの。光には、人の心を落ち着かせる力があるんだって。ホタルとかロウソクの、あの不規則な揺らぎがいいみたいで」
「……」
「それからね——」
蛍は、朝霧の図書館で読んだ本の内容を、かいつまんで話した。光が治療にも使われていること。ホタルと星の一生の長さは全く違うのに、終わり方はどこか似ていること。昔、灯りのない夜に、ホタルの光を頼りに人を助けたという記録が残っていること。
話すうちに、蛍の声は自然と熱を帯び、早口になっていく。
朔夜は、その嬉しそうに語る蛍の表情を見ながら、時折、デスクの上にある事業計画書と、もうひとつの書類に目を向けていた。町への情も無く、合理的に考えた上で、再開発への協力を同意する、その書類を。
ひとしきり喋った後、蛍は少し咳払いをしてから。
「……あの、兄さんが、あんまり眠れてないと思ったから、作ってみようと思ったの。初めて作ったし、あんまり出来はよくないけど……」
「そんなことは無いだろう。ありがとう。……今日から、使わせてもらう」
「ほんと!?」
「ああ」
無邪気に喜ぶ蛍とは裏腹に、朔夜は、胸の奥の鈍い痛みに耐えていた。
◇
昼休みになり、蛍は食堂に向かった。手には、先ほど朔夜に渡したものと同型のランプを忍ばせた鞄を持っている。何個か作っており、誰かに見てもらおうとしていた。
「あ、黒崎さん。おかえり」
蛍を見つけるや否や、先に席についていた成瀬が気づいて、手を挙げた。隣には、同じ総務部の園田と生駒もいた。
「お疲れ様です、成瀬課長。それに園田さんと生駒さんも」
「妹さん、お久しぶりです」
「一週間ぶりですよね? どこか行ってたんですか?」
蛍は頷きながら、空いている席に座り、持っていた鞄からそっとランプを取り出した。
「これを、作りに行ってて……」
テーブルの陰になる場所にランプを置き、スイッチを入れた。明るい食堂の中でも、柔らかな光がぼんやりと灯る。不規則な揺らぎに、三人とも見とれたように、しばらく黙っていた。
「これ、見てて落ち着くね」
「蛍さん作ったんですか?」
「うん。初めてなので、まだ拙いけど……」
「——へえ? 確かにおもちゃみたいだ。不器用なんだな」
「!!」
通りかかった松岡が、ぶっきらぼうに口をはさんできた。隣には連れの竹内と梅野もいた。
「おもちゃって! これ、蛍さんが作ったんですよ!!」
「……不器用で悪かったですね」
わなわなと震える蛍の横から、成瀬が慌ててなだめに入る。
「まあまあ、松岡君。黒崎さんがいなくて寂しかったからって、そんな言い方しなくても——」
「寂しがってませんよ!!」
声を荒げる松岡を、園田と生駒が冷ややかな目で見る。
「あー、なるほど。そういう絡み方しかできないんですねー」
「これだから男子は……」
「うっせえな。この社長の追っかけどもが……」
「な!?」
「バレてる!?」
「バレバレだっての。お前のその眼鏡、社長とお揃いの——」
「あーーーー!! だーーーーー!! こ、ここでは言わないで!!」
園田は叫んで、松岡の言葉を遮った。顔が一瞬で茹で蛸のように赤くなる。
「まあまあ、立ち話もなんだから、とりあえず席に着いて。みんなで食べよう」
成瀬に促され、松岡たち三人も同じテーブルに着いた。
定食を食べ進めながら、松岡はテーブルの上のランプをもう一度一瞥した。
「……おい。これほんとに全部お前が作ったのか?」
「はい。一週間、朝霧町に行ってて、図書館で色々調べながら、作ってみました」
「わざとこんな不規則な光らせ方してんのか?」
「はい。ホタルの点滅を真似したくて……」
「ふうん……」
蛍が食べながら、続ける。
「昔、朝霧に住んでて……でもあの町が赤城グループの再開発で無くなってしまうかもしれないから、最後に見ておこうと思って、あの町に行ってたの。それで、何かしたいなって思って作ってみたの」
松岡はそれを聞きながら、黙々と白飯を口に運んだ。そして、不意に言葉を継ぐ。
「……町はどうにもできねえが。これは商売になるんじゃねえの?」
「え?」
「ランプ。もっと改良して、商品にするんだよ」
それを聞いた蛍はぱっと明るくなった。成瀬は目を細め、残りの四人は驚き目を丸くする。
「ま、松岡さんが黒崎さんに絆され……」
「絆されてねーよ!」
「でも、いいかもしれませんね!! ランプ可愛いですし、寝る前にこの灯りを見ながら本読んだりとか良さそう!!」
「誕生日プレゼントとかは? それからたとえば恋人と家にいる時、部屋を暗くしてランプだけ点けたら、雰囲気出るんじゃない?」
「なんならもっとでっかく、夜の街やイベントスペースとかに飾ったら、それこそ映えるんじゃないスか?」
「たまにはいいこと言うわね、竹内」
「『たまには』って……」
次々とアイデアが飛び交い、盛り上がり始める中、成瀬が申し訳なさそうに、表情を曇らせた。
「……水を差すようで悪いんだけど」
一同の視線が、成瀬に集まる。
「朝霧町の再開発だが、実は——うちも噛んでいる」
「え!?」
先ほどの盛り上がりが嘘のように、静まる。
「稟議の申請に、赤城グループへの資金提供の契約稟議が上がってて、内容を見たら朝霧町だった。しかもそれは、ちょうど二日前に、決裁が下りた。……もう、締結していても、おかしくない」
「そ、そんな……」
蛍の表情が曇っていく。そんなこと、何も言ってくれなかった。
今朝のやり取りが蘇る。ランプを受け取った時の、朔夜の顔。「今日から、使わせてもらう」という、あの言葉。
契約のことを言えば、ショックを受けると思ったんだろう。分かってしまうと、余計に胸が痛んだ。何も知らないまま、無邪気に喜んでいた自分が、急に惨めに思えた。
「……だから、なんだよ」
静かに、けれど力強く、松岡が呟く。
「その朝霧町が再開発になろうが、関係ねえよ。商売になりそうだから、やるだけだろ。黒崎の秘書はその程度か?」
「……」
「そのオンボロランプをただ作ってここで見せて満足かよ。もっと、そのホタルの光を知ってもらいたいんじゃねえのか?」
蛍はその言葉に、思わず顔を上げた。
「……あなたの、言うとおりです。松岡さん、わたしと一緒に、これを商品化する企画をしてもらえませんか?」
「ふん。……じゃあ、そうだな——」
と言って、周りを見渡す。
「早い方がいいだろう。一週間以内に、この商品を展開する企画書を作って、社長にプレゼンする。蛍、お前は経理と話して低コスト化を詰めろ。園田と生駒、お前らは商品のラインアップを考えろ」
「な、なんであんたが命令を——」
「でもこれ、考えるの面白そうですよ?」
噛みつく園田を制して、生駒が身を乗り出す。
「竹内と梅野は、展開案とちゃんと収益性の計算だ」
「ええ!?」
「オレたちも!?」
「当たりめえだろ!! それから、蛍」
「なに?」
「お前には、企画書作成も付き合ってもらう。で、これは思いついたから、起案者は俺な?」
「え!? ランプはわたしが作ったんですが……」
「ごちゃごちゃ言うな。俺の評価を上げるためにせいぜい働いてもらうぜ、黒崎秘書」
その様子を、微笑ましく見守る成瀬。
「松岡君はリーダーシップがあるようだ。見直したよ。……確かに町はどうしようもないかもしれないが、これとそれとは別で考えて、企画をするのはいいかもしれない」
方針が固まった。気づけば昼休み終了のチャイムが迫っている。 全員が一斉に残りの定食を勢いよくかき込み始めた。
「松岡さん」
蛍が一呼吸置き、まっすぐ彼を見た。
「……ありがとうございます」
「……べつに、お前のためじゃねえよ」
そっぽを向いて口に米を詰め込む松岡の耳が、少しだけ赤くなっていた。
慌ただしく動く仲間たちを、見守る成瀬。 たとえ再開発がこのまま進んだとしても——この熱量が、あの冷徹な黒崎朔夜の何かを動かすかもしれない、と淡い期待を胸に抱きながら。
◇
夜九時。蛍が就寝する前に何か飲もうと、リビングに戻った時、部屋は消灯されていた。その真ん中で、ぽつりとひとつの明かりがあった。暗い部屋の中、朔夜が蛍のランプを灯していた。
食堂での会話を思い出す。再開発の赤城への資金提供。確か赤城律という朔夜の昔馴染みが社長だったと聞いた。朔夜が情で会社の資金を動かすとは思えないが、何かわたしの知らない事情があって、締結に至ったのかもしれない。
「……兄さん」
蛍は水を二つ汲んで、明かりの灯るテーブルへ向かった。朔夜にひとつ水の入ったコップを渡し、隣の席に着いた。
「あの、今日食堂行ったときに、知ってしまったんだけど。……資金提供のこと」
「……」
「黒崎も再開発に賛成、するんですね……」
「……合理的に考えた上で、だ」
落ち込む蛍。
「ただ、お前がこれをくれたこと、話してくれた内容は、ちゃんと、覚えておく」
「……はい、ありがとうございます」
「……」
短い沈黙の後、朔夜が話題を変えるように、口を開いた。
「……これ、作るのにどれくらい時間かかったんだ?」
明かりに照らされた彼の顔は、何か懐かしむような目だった。
「丸二日ちょっとかかりました……」
「そうか」
「ずっと没頭していました。初日は、気づいたら、朝になってて……」
蛍は目の前のランプに視線を落とした。昼間、松岡が言った言葉が胸の奥で熱を帯びている。
「……兄さん」
「ん?」
「これ、売れると思う?」
朔夜は、すぐには答えなかった。ただ蛍の横顔を、じっと見る。
「どうだろうな……」
曖昧な返事をした。
だが蛍のその目には、ランプの揺れる灯が映り、まだ何か諦めきれていない光のように見えた。
◇
翌日の朝。朔夜の携帯が鳴った。
「……律か」
『さすが、出るのが早いな』
少し余裕を含んだ声で、だが淡々と本題に入る。
『例の資金だが、いつ振り込んでくれる?』
「月末を予定している」
『いいね。資金が入り次第、着手しようと思ってる。遅れずに入金しろよ?』
「わかっている」
『じゃあな』
それだけ言って、電話は切れた。
朔夜は、壁のカレンダーに、視線を移した。
——月末まで、あと二週間ほど。
その数字を、しばらく眺めていた。
◇
その五日後。朔夜しかいない静かな社長室に、ドアのノック音が響いた。
「入れ」
入ってきたのは、松岡だった。手には厚みのある書類と、小さな箱を提げている。
数秒、黙って松岡を見つめた後、尋ねた。
「……何の用だ」
「入ってきたのが秘書じゃなくて、驚いたって感じの顔ですね、社長」
松岡は軽口を叩きながら、書類を朔夜に差し出す。それは、あのランプを商品化し展開するための企画書だった。
「……まず、これを見てください」
箱から取り出したのは、蛍が作った試作品に似た、しかしデザインと設計が洗練された、改良型のランプだった。松岡は手際よく社長室の照明を落とし、ランプのスイッチを入れる。暗闇に灯った光は、試作品と同様の揺らぎ方だった。
「あなたも既にご存じでしょうが、これは黒崎秘書が作った試作品の、改良版です。商品化できると思い、企画を提案いたしたく——」
松岡は部屋の明かりを戻すと、淡々と企画の概要を説明し始めた。朔夜は口を挟まず、それに耳を傾けている。
「——以上の点から、この企画を進めたいのですが。ご検討いただけますか」
「……」
朔夜は手に持っていた企画書をデスクに置き、松岡に視線を向けた。
「企画書の出来は、六割程度か。なぜこんなに早く提案してきた?」
「スピード感は大事ですので。……あ、言っておきますが、この企画は朝霧町とか関係ないですよ」
松岡は表情を変えずに、続ける。
「俺はあの町のこと知らないんで。再開発だろうが何だろうが、社長と同じで興味はない。だからこれは別として考えていただければ……」
「わかった」
朔夜も淡々と、松岡に突きつける。
「もう少し詰めた内容で、再度持ってこい。特に収益化が図れるかが、重要だ」
「ありがとうございます。……では、失礼します」
松岡が社長室を出る。ドアの閉まる音が響く。
朔夜は、再びデスクの上の企画書に目を落とした。
表紙のタイトル。
——『新規インテリア事業企画書「仮称:リュシオライト」ランプの商品化および事業展開案』
リュシオルは、フランス語で『ホタル』を意味する。
これで朝霧と関係ないは、無理があるだろうと、冷徹な経営者は口元を微かに緩めていた。
◇
その夜。朔夜は久しぶりに、黒崎邸のあるマンションの地下、バー『月光』へ向かった。
「あら、朔ちゃん。久しぶりねえ~」
カウンターの奥から、いつもと変わらないオネエ口調で出迎えるリコ。店には朔夜の他に何人か客がおり、テーブル席で酒を飲んでいた。
朔夜がカウンターに腰を下ろし、ふと目をやると、見覚えのある優しい光が視界に入った。
「……」
「それいいでしょ? ていうかあんたはもう知ってるわよね? 蛍ちゃんがくれたのよ~」
プレゼンの時に松岡が見せてくれた改良版ランプだった。周囲を見ると、カウンターだけでなく、テーブルにも同じ明かりが置かれている。落ち着いた暗がりの店によく馴染んでおり、客もその揺らめく灯りを眺めながら、グラスを傾けていた。
「あの子、昨日このランプを持ってきてくれて、その時、色々教えてくれたわ。あの子が昔住んでた朝霧町、再開発になるんでしょ? で、その前にホタルの光を知ってほしくて、ランプ作ったって言ってたわ。数年前まで何も出来なかった子が、裏で結構動いているみたいね」
「……そのようだな」
「なかなか侮れないんじゃない?」
リコは、悪戯っぽく微笑みながら、酒を出した。朔夜は差し出された酒を口に含みながら、その灯りが徐々に広がり始めているのを、確かに感じていた。
◇
リコの、『侮れない』という言葉は当たっていたかもしれない。
二日後の朝、朔夜宛に電話が鳴る。
「……黒崎です」
『お世話になっております。朝霧町役場、町長の橘でございます』
朔夜の眉がぴくりと動いた。対して、電話の奥の橘は、落ち着いた声をしていた。
『昨日、黒崎蛍様から、ヒーリングランプが届きました。不規則な揺らぎで、まるでこの町のホタルを見ているような……そんなランプを』
「……」
『町役場だけでなく、図書館やローカル鉄道、商店街にも、ランプをお送りいただいたようで。消えゆく町をどうにか形に残そうとしてくださったお気持ちに、皆、心から感謝しておりました』
橘は一呼吸置き、言葉を重ねる。
『わざわざ、ありがとうございます。黒崎グループともあろう大企業が、こんな小さな町のために』
「いえ……」
橘は続ける。
『黒崎様が赤城様に資金提供し、再開発に協力されることは重々承知しております。このような廃れた町です、致し方ありません。ただ……この光を見て、ただ流されるだけの力の無い我々の心にも、火が灯りました。そのことだけ、お伝えしたかった次第です』
橘は重ねてお礼を述べると、そっと電話を切った。
気が付くと、いつの間にか秘書デスクに着いていた蛍が、不思議そうにこちらを見ていた。
「兄さん、どうかしたんですか? 誰からの電話だったんです?」
「いや……。大した電話ではない」
わずかに動揺の混じった声だった。朔夜は蛍を見つめながら、昨日のリコの言葉を改めて噛み締めていた。




