朝霧町復興編(前編5)
約束の月末。赤城律は社長室のデスクで、ディスプレイに表示された口座の入出金画面を睨みつけていた。
今日、黒崎グループからの資金が入金されるはずだった。だが、画面を更新しても、その振込項目が見当たらない。
「……裏切ったか、朔夜」
ポケットから携帯を取り出し、黒崎朔夜へ電話を入れようとしたその時、社長室の内線音が響いた。
『社長、受付です。アポなしで黒崎様がお見えです』
「通せ」
受話器を戻し、律は煙草に火をつけた。煙を吐き出しながら、窓の外に目を向けた。
——いいだろう。直接、何のつもりか説明してもらおうか。
◇
赤城律は、目の前にいる人物を、切れ長の目で睨んでいた。
ただでさえ不機嫌だったが、それをさらに逆撫でされる。
目の前にいたのは、朔夜ではなく、黒崎蛍だった。書類と、改良ランプを手に持ち、応接テーブルの向かいに座っている。
「……お前が噂に聞く、朔夜の妹か。何の用だ。朔夜に頼まれて、おつかいか?」
「お話したいことがあって……」
「しかもアポなしとは。じゃあ諸々含めて説明してもらおうか」
律は灰皿に煙草を押しつけながら、値踏みするように、蛍を眺めた。
蛍は怯むことなく、資料をテーブルに広げた。
——『朝霧町復興プロジェクト』
その文字が、律の目に飛び込む。
「赤城律さん。黒崎朔夜と、朝霧の再開発の話を進めていたと思うのですが」
「……」
「……黒崎は、再開発に協力できません。赤城さんの再開発に対して、復興プロジェクトを進めるために来ました」
蛍の語る復興案は、次のようなものだった。
一つ。松岡が提案し、既に動き出しているランプ事業。これを朝霧のインテリアブランドとし、黒崎と共同展開する。町内に製造工房やオリジナルランプ作りの体験ショップを作り、また夏祭りなど一時的なイベントにも使用することで、観光誘致を図る。
二つ。同様に誘致策として、朝霧の自然そのものを観光資源とする。ホタル観賞や、綺麗な夜空など、自然を活かす。ローカル鉄道を、天体を見る観光列車『ナイトトレイン』として運行する。
三つ。図書館、商店街、民宿などを取り壊すのではなく、改修する。町の記憶や風景を残すことができ、また更地から立て直すより費用を抑えられる。
四つ。一時的な観光だけでなく、若者や子育て世代が住み続けられる環境を、自治体と連携して整える。先ほどの三つの事業をうまく運用することで新たな雇用を生み出す。そのほか、空き家を改修して住宅やテナントとして安く提供。一時的な観光で終わらせず、町への移住者を増やし、持続可能な町を作る。
その他にも案がいくつか書かれてあったが、律は途中で資料を閉じ、ぱたんとテーブルへ置いた。
「……で、これが、再開発より人や金が動くとは思えないが?」
「規模の大きさだけが全てではありません」
「医療の研究施設も建設予定だが、その方が将来、人のためになると思わないか?」
「確かに、医療研究は魅力的です。でも、朝霧を更地にしてする必要はないです」
蛍のまっすぐな瞳が、律を貫いた。
「……お前、御影のあの若い奴と同じことを言うな。あいつにも数日前資金提供の話をしたんだが、振られたよ。この町に思い入れがあるってな」
「……」
「揃いも揃って。この町に因縁があるのかよ。情に振り回されやがって……」
律が軽く舌打ちする。その苛立ちを受け止めながら、蛍は口を開く。
「御影さんも、復興に協力してくれると、言ってくれました」
「……ほう?」
「このプロジェクトは、黒崎だけでなく、外部も巻き込んで、町を立て直そうと思ってます」
そう言いながら、蛍はテーブルの端に置いた改良ランプを、律に差し出した。
「赤城さん。町の復興プロジェクト、一緒にやりませんか?」
「……」
律はしばらく、そのランプを見つめた。
これが、朔夜を——いやそれだけでなく、御影や朝霧町の人までもを動かしたであろう、その灯りを。
「……そうか」
律は冷たい声で、誰に対してでもなくそう呟いた。
そのランプを、手で払いのけた。
テーブルから落ち、乾いた音と共に床を転がる。
「こんな物で……。二十億を止めたのか」
腹の底から沸き上がる苛立ちを、押し殺すような声が、部屋に響く。
「……妹に、絆されやがって。まあ、そうだよな。妹は、可愛いもんな」
「り、律さん……」
「朔夜と、もうひとり、西大寺綾っていう奴が、昔馴染みでな。昔は弟や妹みたいに思ってたよ」
律は一瞬だけ目を伏せ、再び顔を上げた。その目に、懐古も情も無い。
「……悪いが、赤城は復興には乗らない。再開発させてもらう」
「理由を聞いても?」
「復興が良いと思えない。長期的なことを考えても、再開発のほうが良いに決まっている。それに——」
律が足を組み直した。
「仮に俺が、復興が良いと思ったとしても、無理なんだよ」
「え……?」
「じゃあ、妹さんよ。……俺が、『再開発が失敗したら、嫁が死ぬ』って言ったら、どうする?」
「ど、どういうことですか!?」
動揺する蛍を見て、律はにやりと口を歪める。
「嫁は大病を患っていてね。海外でしか受けられない特殊な手術が必要で、膨大な費用が掛かる。この再開発が成功して報酬が入れば、手術を受けさせてやれる。だが失敗すれば、手術は受けられず、そのまま死ぬ。……俺に選択肢はないんだよ」
「そ、そんな……」
「……復興やめて、再開発してくれるか?」
蛍は俯き、膝の上の資料を握り締めた。
律さんに、そんな事情があったなんて。それも、人の命が掛かった、切迫した事情が——
「——嘘だよ」
「え?」
「あんた、簡単に情で動くなあ」
律は口の端を皮肉げに歪めたまま、低い声で続ける。
「嘘ついて悪かったな。嫁なんていない。……だが、さっき言ったとおり、俺はあんたの復興案には乗らない」
律の目から冗談めいた色は一切消え、冷徹な視線が蛍を射抜いた。
「黒崎が資金提供してくれないのなら、他の企業を当たるまで。……話は終わりだ。帰ってくれ」
律が先に立ち上がり、退出を促す。
蛍は律に何か言いたげだったが、律はそれを許さず、ドアの外にいた使用人に案内させ、連れ出させた。
重い扉が乱暴に閉まる。
誰もいなくなった社長室で、律は床に転がったランプを見つめた。
「ふっ……。あの、冷徹な男が……」
——随分と情に厚くなったみたいだ。
思い通りにいかない苛立ちをぶつけるように、律は床のランプを拾い、手を上げ、それを振りかぶって——
「……くそっ」
手は、力なくぶらりと下がった。
——黒崎蛍。
あの冷静な男の心を揺さぶり、二十億を止めたその人間の名を、胸に刻んだ。
◇
時は少し戻る。
朔夜が、町役場の橘からお礼の電話を受けたその日。蛍から、朝霧町の再開発について切り出されていた。
「……朝霧町のことなんですが。本当に再開発しか道はないのでしょうか?」
赤城への資金送金まで残り一週間という時に、蛍は朔夜を揺さぶってきた。
朔夜は蛍を見つめた。
その目には、かつて理不尽に虐められ泣いていた十七歳の少女はおらず、代わりに強い眼差しがそこにあった。
朔夜はそれを見て、肩の力を抜くように一瞬だけふっと笑った。
「……お前は、どうやら諦めが悪いようだな」
そう告げた後、朔夜は冷静な経営者の顔を取り戻して、蛍に突きつけた。
「……朝霧をどうにかしたいなら、再開発と同等の案を出してみろ」
「——!」
「それで、俺を——俺たちを説得してみろ」
「はい!」
蛍は立ち上がり、勢いよく社長室を飛び出していった。そこにはもう、何も出来ず、ただ流されているだけだった少女の姿は無かった。
◇
そこから六日後—―つまり資金提供の約束の前日。蛍は社長室で、朔夜を説得していた。
その場には蛍だけでなく、松岡たち三人組や、成瀬ら総務部の面々も同席していた。
手元のプロジェクト案を読んだ朔夜は、一同の顔を見渡した。以前、松岡はプレゼンの際に、朝霧など興味はないと言い切っていたはずだったが。
「松岡。お前もこの復興に賛成なのか?」
指名された松岡は、小さく咳払いをした。
「……決してこいつに対して情が移ったわけではなく。単に復興のほうが、黒崎グループの企業イメージも向上すると考えたまでです」
「確かに、それは俺も気にしていたところだ」
珍しく朔夜に同意され、松岡が目を見開いた。
「それに資金についても抑えられると思う。少なくとも赤城さんに提示された額よりは、ね」
「復興のほうが、協力してくれる企業もいっぱい集まりそうですよね」
成瀬と園田が続けて援護する。朔夜は改めてプロジェクト案の資料の数字を確認した。
「……数字も悪くはない。蛍、町役場には打診したのか?」
「はい。詳細はまた追ってお伝えするつもりですが……前向きなご回答でした」
一同の視線が、一斉に朔夜へと集まった。期待と覚悟の混ざった強い眼差しだった。
朔夜は手元の資料を見つめたまま、静かに呼吸を整えた。
——今、律と組んで再開発を進めるか、それとも蛍たちの熱量に賭けて復興へ舵を切るか。この二択を迫られている。
かつて、父が言っていた。孤独に耐えられる者だけが、王になるのだと。
彼らの情や意見を切り捨て、自分の決意のまま、再開発を進める。自分を疑わず、盤面に駒を配置する。それが経営者として、上に立つ者として、正しいと思ってきた。
だが……。
本当に、王は孤独であるべきなのか。
自分以外の意思を押しのけて、突き進むことだけが正しいのだろうか。
目の前にいる彼らは、俺の指示ではなく、自分の意思で、この盤面から踏み出そうとしている。
——人は、駒ではない。
ならば、いいだろうか。自分以外を、お前たちを信じてみても。
「……わかった」
朔夜は資料をデスクにそっと置いた。
「町の賛同が取れ次第、正式にプロジェクトを立案する。黒崎グループ内で、プロジェクトに参加したい社員を募り、外部企業も巻き込む。……俺はこれで進めるつもりだが、異論はあるか?」
一同はお互いを見つめ合い、やがて力強く頷いた。
「よし。では蛍。お前は明日、町役場に向かい詳しく説明してくれ。……俺は、赤城に連絡を——」
「朔夜兄さん」
蛍が朔夜の発言を遮った。
「わたしが……わたしひとりで、赤城さんのところへ説明に行ってもいいですか?」
「……なぜお前が、ひとりで行く」
「立案したのはわたしですし、それに赤城さんも説得しろって兄さんが……」
朔夜は一瞬、言葉に詰まった。だが、すぐに首を振る。
「そうは言ったが、これは膨大な資金が——二十億が絡む話だ」
「——っ!」
その金額を聞いた蛍は、思わず怯んだ。
「それに、相手は赤城律だ。腹の探り合いに慣れた男に、お前ひとりで行かせる理由はない」
その語気に、室内の空気が、わずかに張り詰めた。
「でも……」と、蛍はまっすぐな目で朔夜を見据えた。
「これは、わたしの案なので……わたし自身の言葉で、伝えたいんです。それに——」
蛍は一歩、前に出た。
「これまでずっと、兄さんに、誰かに、守られてばかりでした。……もう弱い自分のままでいたくない。ひとりで出来ると、頼れる人だと、認められたい。……だから、ひとりで行ってみたいんです。わたしが持ってきた話を、わたし自身の責任で、伝えてみたいんです」
朔夜は、まっすぐ自分を見つめる蛍を見た。
——たった今、自分以外の力を信じると決めたばかりだった。その決意は、早くも試されている。
「……本当に、ひとりで行くのか?」
「はい」
迷いのないその一言が、朔夜を黙らせた。
「……わかった」
朔夜は、抑えた声で告げた。
「では、律——赤城を説得したのち、町役場への説明を、黒崎秘書に命じる」
「はい!」
それから朔夜は、松岡たちにも視線を向ける。
「お前たちも、復興プロジェクトに向けて、準備しておけ」
「「承知しました!」」
彼らの目には、揺らぎない火が点いていた。
こうして、黒崎グループは正式に、『朝霧町復興プロジェクト』を掲げて動き出すこととなった。




