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ペリヘリオンの夜  作者: よしなか
3章 巡る星、廻る記憶
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陽人のプレゼン(後編)

 プレゼンが終わると、会場の照明が戻り、隣接するホールで懇親会が始まった。シャンパングラスを手にした来賓たちが、あちこちで名刺を交わしている。

 蛍は、朔夜と並んで、壁際に立っていた。遠くで、陽人が何人もの投資家に囲まれているのが見える。忙しそうに頭を下げ、質問に答え続けていた。

「御影の息子さん、なかなか大したものですね」

 声をかけてきたのは、質疑応答で最初に質問した、恰幅の良い男だった。手にした名刺を、朔夜に差し出す。

「黒崎社長も、いらしていたんですね」

「……招待客として」

 朔夜は、名刺を受け取りながら、短く答えた。

「御社ほどの規模なら、この研究に、出資されるのも自然かと思いますが。……いかがですか」

「さあ……どうですかね」

 朔夜は、遠くの陽人に視線を移し、言葉を濁した。

 男は、それ以上は踏み込まず、会釈だけして、別の輪の方へ歩いていった。


 ◇


 投資家たちとの短いやり取りが終わってしばらく、蛍と朔夜が壁際で話していると、聞き覚えのある声が、人混みの向こうから響いた。

「——おお、おったおった! 黒崎さん!」

 派手なジャケットを着た男が、グラス片手に、こちらへ向かってくる。

「……神代さん」

 蛍が、思わず声を上げた。

「せや、俺や。まさかこんなとこで会うとはなあ。……あ、こちら、御影さんとこの広報部から、お仕事いただいてまして。今日は取材がてらですわ」

 神代は、蛍と朔夜を交互に見た。

「……黒崎さんも、招待客でっか。しかし、社長自ら足運ぶとは珍しい」

「……知り合いの、発表だったのでな」

 朔夜は短く答えた。神代はにやりと笑って、蛍の方へ身を乗り出した。

「あの御影の坊ちゃん、なかなかやりますなあ。……蛍さん、質疑応答の時、手ぇ挙げてたでしょ。目立ってましたで」

「……目立ってましたか」

「そら老人ばっかりの中で若い子がいたらそうなるでしょ。あんな見せ場、見逃す広報、おりまへんて」

 蛍が、少し頬を赤くした。神代は、それを見逃さずにやにやと笑ったが、それ以上は突っ込まず、話題を変えた。

「……にしても、黒崎さん。今日の御影の坊ちゃん、どない見はりました?」

「……悪くなかった」

 朔夜は、素っ気なく答えた。だが、その声の奥に、いつもとは違う色が、微かに混じっているのを、蛍は感じ取った。

 神代は、しばらく朔夜を見ていた。それから意味ありげに、口の端を上げた。

「……御影陽人。案外、あなどれへんかもしれませんな」

「……」

 朔夜は、答えなかった。ただ、遠くで、来賓に囲まれている陽人の姿を、じっと見ていた。


 ◇


 懇親会の熱気が引いた頃、陽人は、飲み物を片手に、会場の隅へ向かった。少し休憩を取ろうとしていたところに、声がかかった。

「……御影陽人君だね」

 振り返ると、見覚えのない老人が立っていた。気圧されるような威厳と、歴史を刻んだしわのある顔、隙のない佇まい。連れの黒服たちは、少し離れた位置で、控えていた。

「……はい。あなたは——」

「黒崎宗玄だ」

 その名前に、陽人の背筋が微かに強張った。朔夜と蛍から、名前だけは、何度か聞いたことがある。

「……黒崎社長の。いつもお世話になっております」

 陽人は軽く会釈した。

「今日のプレゼン、興味深く聞かせてもらった」

「……ありがとうございます」

 陽人は、再び頭を下げる。

 宗玄が、口を開いた。

「……いい研究だな。もっと早く、実現してほしいと思うほどに」

「……え?」

「——実は、私は、癌を患っている」

 陽人の思考が、止まった。

 沈黙が、二人の間に落ちた。

「……そう、なんですね」

 陽人が、この男に対して、絞り出せたのは、それだけだった。純粋な心配と、何かかける言葉を探そうと必死になっている焦りが、自然と顔に浮かんだ。

「僕たちのこの技術は、まだ研究段階ですが……今の医療でも、何か、お役に立てるものが、あれば——」

「嘘だ」

「……え?」

 虚を突かれた。

 宗玄は、静かに、しかしはっきりと聞き取れる声で、呟いた。

「……壇上で語っていた志が、本物かどうか。……確かめたかっただけだ」

 そう言い残して、老人は、背を向けた。黒服たちが、すぐさま、周りを固める。その後ろ姿が、会場の人混みの中へ、消えていく。

 その場に残された陽人には、何か、自分が試されたような、不愉快な感覚だけが、残っていた。

 ただ、その老人の背中を、見つめていた。


 ◇


 陽人が、蛍と朔夜のもとへ、戻ってきた。

「……お待たせしました」

 その表情には、まだ微かな硬さが残っていた。だが、蛍にも朔夜にも、その理由は分からない。

「御影くん! ええプレゼンでしたなあ! いや俺、あの天体の例え、鳥肌立ちましたで! あ、自己紹介まだでしたな。広報会社リグレットの、神代言います」

 神代は陽人に名刺を渡しながら、

「いや~、写真で見るより男前やねえ。ほんまはレセプション、行きたかったんですけど、急な取材とかぶってしもて。あの時のおにいさんの紹介記事、見させてもらいましたわ。彗星の如く現れた、超若手の次期経営者!……ってね」

「……あ」

 名刺を受け取りながら、陽人は少し照れたように、瞬きをする。

「今日のプレゼン見て思いましたわ。あん時の記事通り、期待の次期経営者や!ってね。機会があれば、ぜひ今度うちの仕事も、一枚、噛ませてもらえまへんか?」

「……ありがとうございます。はい、ぜひ」

 陽人は、快く頷いた。

 そのやりとりを見ていた朔夜は、陽人に何か言いたげな様子だった。

「……朔夜さん、どうかしましたか?」

「いや……」

 それから、小さい声で短く、一言だけ告げた。

「……正直、お前を、なめていた」

「……え?」

「今日の受け答えを見て、……認識を改めた」

 陽人は、思わぬ言葉に、目を見開いた。それから、少し嬉しそうに微笑んで、静かに頭を下げた。

「……ありがとうございます」

 その様子を見た蛍は、にっこりしていた。神代が、陽人の肩に、手を軽く乗せた。

「——ほな、御影くんも頑張ったことやし、このノリで打ち上げと行きましょか!」

「いいですね」と蛍と陽人が続いた。

「……俺は、パスだ」

 三人の視線が、断った朔夜に集まった。

「え、社長も来はったらええやないですか。今日くらい、羽伸ばしましょうや」

「……調べたいことが、ある」

 朔夜はそう言うと、視線を逸らした。

 神代は、しばらく朔夜を見ていた。それから大袈裟に、肩をすくめた。

「……ノリ悪いなあ、社長は。ま、ええですわ。無理には誘いまへん」

「……兄さん、大丈夫ですか」

 蛍が、少し心配そうに聞くも、「問題ない。お前たちで楽しんで来い」とだけ言い残し、会場を後にした。

 朔夜の顔には、何か考え込んでいるような、複雑な色が浮かんでいたが、蛍はそれ以上、深くは聞かなかった。


 ◇


 蛍はスマートフォンを取り出し、リコにいいお店が無いか、電話をかけて聞いていた。

『——ノクターンは、どう? 隠れ家的な場所よ。あそこも、うちの系列で……場所、教えるわ』

 蛍たちは、リコから聞いた住所に向かった。街の入り組んだ場所にある、地下のバーであった。看板も出しておらず、『隠れ家』のとおり、誰かに教えてもらわないと辿り着けないような、ひっそりとしたバーだった。

「あら、蛍ちゃん。誘宵以来ねえ。それにまた新しい、いい男二人も連れてるなんて」

「リリィさん……」

 ママのリリィが品定めするように、蛍の後ろにいる陽人と神代を見比べていた。手で促されたカウンターに、三人は座る。

「こら、綺麗なおねえさんですな~」

「可愛い坊や。あたしオカマよ?」

「げっ‼」

「げっ、て何? げっ、て‼ まあいいわ、今日はいっぱい楽しみましょうね?」

 神代はリリィに捕まってしまったようだ。

 蛍と陽人はその様子を苦笑いしながら眺め、リリィに出された酒や小鉢を頬張っていた。

 蛍は、ふと、この場を断った朔夜のことを、陽人はどう思っているのか、気になった。自分は仕事や家で一緒にいて、ある程度は彼のことが少し分かってきたつもりだ。誤解も……。でも陽人は朔夜とそれほど打ち解けておらず、まだあの日のことを根に持っていてもおかしくない。

「……陽人くんは、朔夜兄さんのこと、どう思ってますか?」

 思ってもなかった質問に、少し固まった陽人。グラスの中の氷を、しばらく見つめていた。

「怒ってますか、あの日のことを……。まあ、まだ兄さん、陽人君には謝罪してませんしね」

 少し乾いた笑いをする蛍に、陽人は真剣な眼差しを向けた。

「……正直にいうと、あの日のことは忘れられない。恨んだ気持ちも……。でも、あの人なりに事情があったんだと思う。それと、蛍があの人を許してるなら、僕もこの気持ちは終わらせようと思う」

「……」

「それに、あの人の言う通りだった。あの時の僕は、ただの高校生で何もできなかったし、今だって——だから、ただ今は、できることをやってみるつもりだ。……あの人が認めてくれるまで」

 蛍は黙って陽人の言葉を噛み締めるように聞いていた。やがて、ぽつりと。

「兄さん、今日のプレゼン見て、陽人くんのこと、すごいと思ったはずです」

「そうかな」

「褒めてたじゃないですか。あの人、滅多に褒めないですよ」

 陽人は「そうだといいな」と呟いて、グラスに口を付けた。

「……わたしも」

「うん」

「わたしも、もう兄に守らなきゃって思われないように、陽人くんみたいに、ひとりで立ちたい……」

「蛍……」

 氷が融けて、カランと鳴る。

「蛍は強くなったし、ひとりでやれてるよ。桐生商事の時も、ひとりで動いてたじゃないか」

「あれは、あなたがいたから……」

「そんなことない。僕がいなくても、君はやってたと思う」

 陽人はグラスを握り直した。

「それに、今も、頑張ってる君のこと——」

「ちょっ‼ リリィさん‼ 近い近い‼」

「あらあら、照れちゃって可愛いじゃないの~!」

「陽人君‼ 助けてや‼」

 カウンターの向こうで捕まっていた神代が、飛び出してきた。肩で息をする神代が、陽人の背後にさっと隠れる。

「オカマ怖い‼ 冗談かと思ったら目がマジや‼ 力も強いし‼」

「坊や……オカマなめんじゃないわよ?」

「あの、リリィさん。神代さん怯えてるんで、その辺で勘弁してもらえないですか?」

「あら? じゃあそっちの坊やが相手してくれるの?」

「そ、それは……」

 男二人が、オカマに追いかけられていた。蛍はその様子を微笑ましく見つめながら、ふと。

 ——さっき、陽人くん何言いかけたんだろう?

 深くは考えず、グラスの甘い酒を飲んでいた。


 ◇


 自宅に戻ると、朔夜は、真っ先に藤堂のもとへ向かった。

「……藤堂」

「……坊ちゃま。お帰りなさいませ」

「父さんは……体に、何か抱えているのか」

 藤堂の表情が、一瞬、変わった。だが、それは瞬きほどの、短い間だった。

「……いえ。聞いたことはございません」

「……本当か」

「……気になるようでしたら、調べてみましょうか」

 藤堂は、静かに続けた。

「今日、御影様のプレゼンを、見に行かれていたと聞いております。……宗玄様も、ご年齢を重ねておられますし、そういった技術に関心をお持ちになっても、おかしくはないかと」

「……」

「それに御影グループは今、順調に成長している企業です。……実際にどういう会社なのか、確かめておきたい、というお気持ちもあったのかもしれません」

 朔夜はしばらく、藤堂の顔を見ていた。黒服の藤堂は昔から黒崎に仕える腹心であり、朔夜がここに来てからは、ずっとその世話をしてきた男だった。

 朔夜は父のことを、さほど知らない。たまに宗玄が誘ってくる将棋の時間。あれだけが父と息子の唯一の時間で、無駄話や身の上話などなく、ただ静かに将棋を打つか、仕事のことを聞かれるか……。

「父さんも、お前になら話すこともあるだろう。……何かわかったら教えてほしい」

「坊ちゃま、承知いたしました。……探りを入れましょう」

「頼んだ」

 藤堂は一礼すると、部屋を静かに出て行った。

 息子なのに、父のことを、何も知らない。でも向こうは、俺のことをすべて分かったかのように、見透かしてくるのだ。改めて考えると、おかしな話だ。息子なら普通、父のことを、もう少し知っているようなものではないのだろうか。

 ……普通の親子は、どんな感じなのだろうか。その空白に吹き抜けるような虚しさがあった。


 ◇


 自室に戻り、上着を脱ぎながら、朔夜は、もう一人の男のことを、考えていた。

 御影陽人。

 ——正直、お前を、なめていた。今日の受け答えを見て、……認識を改めた。

 陽人に向けた、あの言葉。あれは、嘘ではなかった。

 プレゼンの内容。壇上での発表。質疑応答での受け答え。顔つき。……どれを取っても、これまで思っていた『ただの甘いお坊ちゃん』の姿とは、違っていた。

 ——このままだと。

 朔夜は、それ以上、考えるのをやめた。それを、認めるわけには、いかなかった。

 ——『わたしも、あなたを見ていて、無力な自分は嫌だと思いました。追いつけるように、精進します』

 あの言葉が、蛍から陽人へ向けられたものだということが、朔夜の中で、小さな棘のように、刺さったままだった。

 ——蛍の中で、あいつは、どれだけ、占領しているのだろう。どれだけ影響しているんだろう。

 自分でも、驚くほど、狭量な考えだった。だが、消えなかった。

 もし、蛍が、無力じゃなくなったら? 力を身に付け、ひとりで何でもできて、俺なんかいなくてもやっていけるようになったら?

 また、引き離される。掴んでも、ホタルみたいに、飛んで行ってしまう。……指の隙間から、抜け落ちるような感覚だけが、朔夜の胸に、残された。




 ※ICG(インドシアニングリーン): 肝機能検査や血管造影、手術中のがん部位の特定などに実際に使用されている医療用色素。赤外線を照射することで蛍光を発する。

 ※活性化型プローブ: がん細胞が持つ特定のタンパク質(酵素)と反応した時だけ構造が変化し、光を放つ試薬。正常な細胞では光らないため高精度だが、光らせるには体外から近赤外線などを照射し続ける必要がある。

 ※ルシフェラーゼ: ホタルや海洋生物などが持つ、発光反応を触媒する酵素。外部から光を照射しなくても物質同士の化学反応で自ら発光(生物発光)する。ただし巨大な外来タンパク質であるため、人体に直接投与すると激しいアレルギー反応や免疫拒絶を引き起こす。


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