陽人のプレゼン(前半)
一か月後。
会場は、都心の国際会議場だった。医療系のベンチャーや研究者が、出資者に向けて発表を行う場として、業界では名の知れた場所らしい。エントランスには、既に何人もの来賓が列を成していた。
「……大きな会場ですね」
「御影の名前で、それなりの規模を呼べる証拠だ」
朔夜は、短く言った。今日は業務としてではなく、あくまで招待客として来ている。スーツも、いつもより幾分柔らかい色を選んでいた。
受付を済ませ、ロビーで開場を待っていると、人混みの向こうから、見知った姿が近づいてきた。
「……朔夜さん」
陽人だった。今日は登壇者らしい、濃紺のスーツに身を包んでいる。歩き方はいつも通り落ち着いていたが、蛍は、その手の握り方に、微かな硬さがあるのに気づいた。
「今日は、ありがとうございます」
「呼んでもらって光栄だ。……緊張しているのか」
朔夜の問いに、陽人は一瞬、答えに迷うような間を置いた。
「……多少は」
それから、視線を蛍の方へ向けた。
「朔夜さん。……あの、直前に、少し練習に付き合ってもらいたくて。蛍さんを、お借りしても」
朔夜は、すぐには答えなかった。陽人と蛍を、交互に見る。何かを探るような、それでいて深くは踏み込まない、そういう間があった。
「……好きにしろ」
「ありがとうございます」
陽人は、頭を下げた。それから蛍に、控室の方向を手で示す。
「……こっちだよ」
蛍は、朔夜に一度目礼してから、陽人の後についていった。
◇
会場の裏手、控室として使われている小さな部屋。
中に入ると、テーブルの上に資料の束が置かれていた。壁際の姿見には、まだ誰も映っていない。
「……練習って、何をすればいいですか」
蛍が聞くと、陽人は資料を手に取ったまま、少し黙った。
「……ごめん。本当は、練習なんて、必要ないんだ」
「……え?」
「口実。……朔夜さんの前で、他に言い方が、思いつかなくて」
陽人は資料をテーブルに置いた。両手を見下ろす。指先が、微かに震えている。
「人前で喋るの……緊張しちゃって……」
「……こ、この前のレセプションの時は?」
「うん。……あの時もほんとはすごく緊張した」
窓の外には大勢の来賓の列が見える。医療関係者、投資家、記者らしき姿もあった。父の名前も、御影の看板も、この後の質疑応答では、通用しない。
しばらく、沈黙が落ちた。
「……変なこと、頼んでいい?」
陽人が、ようやく口を開いた。視線は、まだ窓の外に向いたままだった。
「……はい」
「緊張してて。……少しだけ、手を握っててくれないか」
蛍は一瞬、動きを止めた。
それから、何も言わずに、陽人の手に自分の手を重ねた。
指先が、かすかに震えている。蛍はその手を、そっと包んだ。震えを閉じ込めるように、少しだけ、力を込める。
やがて震えが、収まっていくのが分かった。
「……ありがとう」
陽人が、ようやくこちらを見た。安心しきったような、しかしどこか複雑そうな表情で、目を伏せた。
「……あの人は、こういう場でも、緊張しないんだろうな」
「え?」
「いつも冷静で、落ち着いてて。顔色ひとつ、変わらない……」
「……」
名前を言わずとも、誰のことか分かった。だが、陽人が思うその人と、蛍が見てきたその人とはズレがあるように感じた。
「そんなこと、ないですよ」
「え……」
陽人は顔を上げた。
「顔に出ないだけで、冷静なフリしてるだけで、心の中では焦ったりとか、緊張したりとか、あると思う。……たぶんだけど」
「……」
「朔夜兄さん、たまにお父さんと将棋するみたいなんですけど、最初は緊張してたんじゃないかな。それに、色んな会議の場でだって……」
「そっか。あの人もそうなんだ……」
陽人の声は、さっきより幾分、落ち着いていた。
「朔夜さんのこと、すごく遠くの人みたいに見えてた。届かない人、みたいな。いや、今もそう見えるんだけど。だから僕、すごく焦ってて……」
その時、ノックの音がした。スタッフが顔を覗かせ、「お時間です」と告げる。
陽人は、名残惜しそうに、それでもゆっくりと手を離した。
「……じゃあ、行ってくる」
「……うん。頑張ってください」
陽人は、一度だけ、大きく息を吐いた。それから、控室の扉を開けて、会場の方へ歩いていった。
——遠くの人は、届かない人は、わたしからしたら陽人くんなんだけど……。同い年なのに、こんなに違うくて。走ったつもりでも、近づけなくて。
蛍は、しばらくその場に立っていた。まだ、手のひらに熱が残っている気がした。
◇
蛍が陽人に連れられて控室へ消えると、朔夜はロビーの隅で、一人になった。
来賓たちの談笑が、遠く聞こえる。手持ち無沙汰に、スマートフォンで社内メールを確認していると、視界の端に、見覚えのある黒服たちの姿が過ぎった。
顔を上げる。
会場入り口付近、黒服に囲まれるように、一人の老人が立っていた。威厳のある顔つき、姿勢を崩さない立ち方。周囲の人間と会話する様子もなく、ただ、係員から配られたプログラムに、視線を落としている。
「——父さん」
黒崎宗玄が、いた。朔夜は話しかけるか迷ったが、足がその場から動かなかった。
そうして固まったまま父を見ていると、ふいに宗玄がこちらを見て、朔夜に気づいた。
宗玄は表情を変えず、ただ黒服の一人に何か短く告げると、こちらの方へ歩み寄ってきた。
「……珍しいところで会うな」
「……父さんこそ」
朔夜は、淀みなく返した。
「御影の御曹司が興味深いプレゼンをすると聞いてな。……実際に見に来たわけだ」
宗玄は、手元のプログラムに、視線を落とした。
「……“見えないものに、光を——病巣の可視化技術”、か」
「興味を持たれたのですか? それとも——」
朔夜が言葉を続ける前に、宗玄がその先を切った。
「——開演まで、まだ時間がある。お前も、席に戻れ」
そう言って踵を返し、会場の入口にいる黒服たちの元へ、歩き出した。黒服たちが、またその周りを固める。
朔夜は父の背中を見つめたまま、しばらく動けなかった。
◇
蛍が戻る頃には、会場は暗転しており、壇上に立つ陽人だけが照らされていた。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
よく通る声が耳に響く。ただ緊張しているのか、かすかに震えているように聞こえた。
着席している客の迷惑にならないよう、腰を低くして朔夜の隣の席へ戻る。朔夜は「遅い」とでも言いたげな目で蛍を一瞥してから、正面に視線を移した。
「——これから発表するのは、まだ研究段階の技術です。ですが、僕はこれが医療の在り方を、少しだけ変えられると信じています」
スクリーンに、切り替わった画像が映し出される。夜の水辺と、点在する光の粒。
「……これは、ある夏の日、水辺で見たホタルの光でした。皆様は、ホタルを実際にご覧になったことはありますか」
蛍の心臓がはねる。会場は一瞬、静まる。予想していなかった問いかけだったのかもしれない。
「僕は山陰の朝霧という町に、ホタルが生息していると知り、父に交渉して高校時代を朝霧で過ごしました。そこでホタルに出会ったのですが……。夏の夜。何も見えない、暗闇の中。……ホタルの光は、そこに在ることを、示すように、照らしてくれます。この体験が、僕の原点になります」
陽人は、一呼吸、置いた。
「病巣も同じです。目には見えません。……でももし、光ってくれたら、早期発見に繋がるんじゃないか。……そう、考えました」
スクリーンが、切り替わる。
「現在、医療現場でがん細胞を光らせる技術は既に存在しております。そしてその技術には、大きく分けて二つのアプローチが存在します。
一つ目は、『外から赤外線などの光を当てることで光らせる技術』です。 『ICG』や『活性化型プローブ』と呼ばれるものです。特に『活性化型プローブ』は、がん細胞の特定のタンパク質と反応した時だけ光りますので、発見に大きく貢献していますが、外から赤外線を当て続けなければならず、体内の深い場所や血液の影に隠れたがんを見落とすという弱点があります。
二つ目は、『自ら発光する技術』です。 先ほど画面でお見せしたホタルの光——『ルシフェラーゼ』という酵素の発光反応を利用したものです。現在はマウスの実験で、がん細胞の増殖を観察するために使われています。 しかし、この技術をそのまま人間に使うことはできません。なぜなら、人間の細胞を遺伝子操作しなければならない上、ホタルの酵素という巨大な異物を体内に注入すれば、激しいアレルギーや免疫拒絶を起こしてしまうからです。
僕たちが開発を目指しているのは、この二つの『いいとこ取り』です。
遺伝子操作も不要で、人体に安全でありながら、プローブのようにがん細胞にだけ反応し、外からの光なしで『自ら発光する』新型の低分子発光プローブ」
陽人はここで、一呼吸置いた。
「……少し専門的な話になり、ピンと来ない方もいらっしゃるかもしれませんね。 そこで、この二つの技術の違いを、僕たちの頭上にある『天体』に例えてお話しさせてください」
スクリーンに、天体の画像が、静かに浮かぶ。
「一つ目に挙げさせていただきましたICGや活性化型プローブは、赤外線を当てることで光りますが、天体で例えるなら、月に当たります。これは太陽光の反射で光ります。一方、ホタルの光は、自ら光ります——これは天体でいうところの太陽や、一等星のベガなどの自ら光る恒星に当たります」
陽人が少し目を伏せる。
「ただ、これまでお話しした通り、ルシフェラーゼは、遺伝子操作が必要で、人には、使えません。……もし、恒星のように、自ら光る性質を持ちながら、注射一本で、体に投薬できるものが、あったとしたら―—」
蛍は息を飲んだ。
「もっと身近に、この技術が使えるかもしれません。例えば人間ドックで投薬して早期発見したり、もっと理想を言えば、健康診断など、毎年行うような検査の中で発見できるようになったら、安心できる未来に繋がると思いませんか」
陽人は会場を、ぐるりと見渡しながら。
「……夜という暗闇を、自らの光で照らしてくれる一等星のような、そんな技術を御影は研究し、一人でも多くの方を救いたいと思っております。少しでも僕たちに期待してくださる方がいらっしゃいましたら、何卒ご協力いただきたく存じます。長時間でしたが、ご清聴ありがとうございました」
深く頭を下げると、会場に拍手が広がった。
司会者とバトンタッチする。
「御影陽人様、ありがとうございました。もしこの技術が本当に叶うなら、癌で苦しむ患者を一人でも多く救えるかもしれない、そんな期待を抱かずにはいられないプレゼン内容でした。さて、少々お時間ございますので、質疑応答とさせていただきます。ご質問がある方は、挙手をお願いいたします」
質疑応答が始まった。司会者が、挙手した一人を指名する。
「では、そちらの方、どうぞ」
マイクが手渡される。恰幅の良い、初老の男が立ち上がった。
「大変興味深いお話でした。……一つ、伺いたいのですが。既存のバイオイメージング技術と、具体的に何が違うんでしょうか。特異性という点では、先ほどの活性化型プローブと、大差ないように思えますが」
陽人は、一度、頷いた。
「ご指摘の通り、特異性という点では、既存の活性化型プローブと近い部分があります。……違いは、発光の仕組みそのものです。外から光を当て続ける必要がないため、体内の深い場所や、血液の影に隠れたがんも、検出できる可能性があります」
「なるほど」
男は、納得したように、席に座った。
それから、手を上げる来賓は多々いた。陽人は来賓たちの質問を、落ち着いた声で誠実に答えていた。
一通りの専門的な質問が落ち着いたところで、司会者が、会場を見渡した。
「……ベテランの方が、多いようですね。もしよろしければ、若い世代の方、いらっしゃいましたら、ぜひ」
会場に、小さな笑いが起きた。誰も、すぐには手を挙げなかった。
「——はい」
ひとつ、手が挙がる。朔夜は隣の、蛍を見た。
「ではそちらの、女性の方」
マイクが渡される。蛍は立ち上がった。視線が、一斉に集まるのを感じた。
「……御影さんの原動力を知りたいです。あなたは、なぜ、そこまでして頑張れるのですか。なぜ、人を助けたいと思うんですか」
陽人は、蛍を見ていた。思わぬ質問に、驚いたような、それでいて、どこか嬉しそうな表情が浮かんだ。
「……医療には、限界があります」
静かに、話し始めた。
「今の技術をもってしても、助けられない人はいます。……そして僕個人としても、目の前で困っている人を、見て見ぬふりはできないんですが……それでもやはり、助けられない人がいました」
「……」
「僕は、それが嫌だったんです。……無力な自分で、いたくない。何もできないまま、後悔したくない。……それが僕の原動力で、頑張れる理由だと思います」
司会者も静かに、壇上を注目していた。
蛍はその言葉を、噛み締めるように聞いていた。
「……ありがとうございます。わたしも、あなたを見ていて、無力な自分は嫌だと思いました。あなたに追いつけるように、精進したいと思います」
会場に、小さなどよめきが広がった。陽人も、蛍と同じように、その言葉を噛み締めていた。それからゆっくりと頷く。
「……はい」
その声には、確かな熱がこもっていた。
司会者が、時計を見る。
「お時間となりましたので、質疑応答は、以上とさせていただきます。……御影様、本日はどうもありがとうございました」
拍手が再び、会場を包んだ。




