【挿話】親睦会(後編)
打ち上げ当日の一時間前。
蛍は先立って居酒屋『誘宵』に来ていた。店主のライラが今日は貸し切りにしてくれた。
リコと、それから同じく姉妹店になるバー、隠れ家『ノクターン』の店主のリリィも駆けつけてくれた。
ライラもリリィも、リコに負けず劣らず妖艶でありながら、ガタイのいい人たちだった。
「三人集まるなんて、久しぶりじゃない?」
リコが嬉しそうに厨房に入った。
「そうよ! リコ姐に会いたかったんだから~」
「そうそう、ほんと、いい機会よ。ありがとね、幹事の可愛い子ちゃん」
リリィとライラがそれぞれ蛍にウインクした。
◇
そして、親睦会は定刻を迎えた。
貸切の誘宵には、黒服の藤堂、馬場と鹿島、それから黒崎グループの総務、経理、人事から集まった若手や管理職が次々と入店し、最後に社長の黒崎朔夜が入店した。
「遅いぞ社長!」
「そうだそうだ、今日はあんたが主役なんだからな!」
朔夜は大人数の場が苦手なのか、少し居心地悪げであった。五、六人ずつがテーブルに分かれて座っていた。朔夜は周りに勧められるがまま、ちょうど中央付近の空いている座席に座った。
蛍はカウンター側に立っていた。全員が揃ったのを確認し、声をかける。
「え、えー……。み、みなさま、お忙しい中、お集まりいただき誠にありがとうございます。では、これから親睦会を——」
「いい、いい! とりあえず乾杯しよう‼︎」
リコたちがビールを注ぎ始める。全員がグラスを持ったのを確認すると、リコもグラスを持って中央、朔夜の隣に並んだ。
「みんな、い~い? じゃあ黒崎の素敵なみんなが集まった十六夜に——乾杯!」
「乾杯‼︎」
グラスがぶつかり合う音と共に、宴が始まった。
「いやあ、いい店だな~、鹿島」
「やっぱリコさんの姉妹店だけあって、飯がうまい!」
すでに顔を赤くしている馬場と鹿島の周りで、若手社員たちが笑い声を上げている。朔夜は最初の乾杯こそ中央でしたものの、慣れていないのか、少し離れた席に行こうと、グラスを持って移動しようとした。
「朔夜君!」
成瀬課長が朔夜を呼び止めた。
「成瀬さん」
「せっかくだからこっち来ないか?」
成瀬が呼ぼうとした席は、園田と生駒、そのほか人事と経理の女性陣がいる席だった。朔夜が近づくと、女性社員たちは「きゃあああああ‼︎」と黄色い悲鳴を上げた。
女性社員たちの悲鳴に、朔夜は困ったように成瀬を見た。
「みんな朔夜君が来て喜んでますよ」
「そうなのか?」
「成瀬さん! 私たちは社長を遠くから見てるだけでいいですから‼︎」
「ええ? ほんとにいいなら彼をおじさん席に連れてくけど?」
「ダメです‼︎」
園田と生駒が朔夜を無理やり座らせた。
「成瀬さん……」
朔夜が少し成瀬を睨んだ。
「ごめんって。俺もこっちの席に座るから」
朔夜をなだめる。
「朔夜君。もう俺は名前でそう呼んじゃってるけど、今日だけはみんなも社長じゃなくて、ただの黒崎朔夜として扱ってもいいかい? 女性陣たちと君、同世代だし」
朔夜は、目をそらしながら、控え目に、
「まあ、どうとでも……」
了承した。それを聞いた成瀬は、嬉しそうに笑った。
「おー、よかったな。園田たち。今日は『朔夜君』って呼んでいいみたいだ」
「そ、そんなの呼べません‼︎」
「えーなんで? 君たち総務の席でたまに『朔夜さん』って——」
「「あー‼︎ あーーー‼︎ 成瀬課長のバカーーーーーー‼︎」」
園田と生駒が叫びながら顔を赤くしていた。その様子を少し離れた席で、男性社員たちがにやにやしながら眺める。
「社長、やっぱ人気なんだな」
「そりゃそうでしょ。顔いいですし」
「俺らとは格が違うわ……」
その様子を見ていた蛍とリコたちオカマも、顔を見合わせて笑いながら、女性陣側の隣のテーブルへと移動した。
「朔ちゃんってば、モテるのね~」
「そうなんですよ!」生駒が、待ってましたとばかりに答える。
「黒崎グループで、社長は、陰ながら人気で……」
「そ、そうなのか?」
朔夜が思わず、聞き返す。
「そうみたいだね~」
隣で成瀬が、他人事のように肯定していると、
「あら」と、リコがふと目を細めた。
「そういうあなたも、なかなかイケてるじゃない?」
オカマたちの視線が、一斉に成瀬をロックオンする。
「あ。俺はもう結婚してて、子どももいるので」
成瀬が慌てて、両手を振った。
「だからなーに? オカマに妻子の有無は関係ないわよ?」
「……え?」
「成瀬さん」と、朔夜が静かに名を呼んだ。
「モテて、良かったですね……」
「朔夜君⁉︎」
「さ、優男のおにいさん。こっちで、楽しみましょ?」
成瀬は、オカマたちの席に、連行された。
◇
宴もたけなわになった頃、女子社員の一人が、勢いよく手を挙げた。
「社長! ……じゃなかった、朔夜さん! ちょいと眼鏡、外してください!」
「なんでだ」
「いやちょっと、外してるとこ、見たいからです! ……見たい人~?」
女性社員が、挙手するように促す。
「はーい!」
「はーい♪」
リコたちオカマ勢も、元気よく手を挙げる。オカマに捕まり犠牲になった成瀬も、笑いながら、手を上げていた。
期待の眼差しを一身に浴びながら、朔夜は渋々、眼鏡へと手をかけた。
「……一回だけだぞ」
「——‼︎」
女性陣が注目する中、朔夜はそっと眼鏡を外した。——瞬間、個室に黄色い悲鳴が響き渡った。
「きゃああああ‼︎」
「尊い……! 尊い……‼︎」
「しゃ、写真で見るより、生のほうが……‼︎」
朔夜が、片眉を上げた。
「……写真?」
その一言に、びくりと肩が跳ねる蛍。
口を滑らせた生駒は、しまった、という顔で、手を合わせて蛍に「ごめん」とジェスチャーをした。蛍は、そっと席を立ち、気配を消すようにして、男性陣のテーブルへと、逃げようと……。
「——蛍? お前、まさか」
「わ、わたし、こっちの席、座りますね~!」
「蛍。後で、説明してもらうぞ」
低い声が、逃げる背中を、正確に捉えていた。
◇
男性陣側のテーブルに着いた蛍。ちょうど隣は経理の田中だった。奥の方で、馬場と鹿島は出来上がっており、その二人を介抱するように藤堂が見守っていた。
男性社員の一人が、酔いに任せて蛍に絡んできた。
「なあなあ、蛍さんってさ、狙ってる男とか、いないの?」
「え……」
「田中はどう思ってんだよ?」
蛍の横に座る田中に話が振られた。
「い、いや、僕は、普通に素敵な人だと……」
「それってそういうことか⁉︎」
「違いますよ‼︎」
「お前、蛍さんに手ぇ出したら社長に殺されるぞ‼︎」
田中は両手を振って弁解した。後ろでぴくりと朔夜が反応して、振り返った。
「俺をなんだと思っている。……殺しはしません」
「殺しはしないって、それはそれで怖いんですけど……」
「……」
朔夜は眉間にしわを寄せた。別の社員が、笑いながら口を挟んだ。
「黒崎社長が認める男じゃないと、蛍さんには手を出せませんよ。ハードル高すぎるって」
田中もその意見に何度も頷いた。
その意見を聞き、蛍は少し眉を寄せた。
「……そもそも自分の好きな人に、兄の許可がいるんですか?」
素朴な疑問に、場が一瞬だけ静まる。
「あー……」管理職の一人が、苦笑しながら答えた。「まあ財界だと、決められた相手、っていうのも普通にあるからな。特に黒崎家ともなると」
「……そうなんだ」
蛍の声が少し沈んだ。俯く横顔に、田中が質問した。
「黒崎さん。もしかして……意中の相手、いるんですか?」
「い、いや! そういうわけじゃ……!」
慌てて否定するが、頭の中には、あの日、レセプションの会場で見た、懐かしい顔がよぎっていた。
——忘れようとしてたのに。まさか、あんな形で会うなんて。
三年の月日が経って、ようやく薄れ始めていた面影。それがまさか、御影グループの人間だったなんて、思ってもみなかった。
「そういえば」女性社員が、思い出したように言った。
「最近、御影の次期後継者のニュース、見ました? 御影代表の息子さん、めちゃくちゃイケメンでしたよね」
心を読まれたかのように、それを話題にされ、心臓が跳ねる。
「蛍さん、確かレセプション見に行かれましたよね? どうでした?」
「え、えっと……」
じわりと、頬が熱くなっていくのが、自分でも分かった。それを見た園田と生駒が、逃さない。
「——赤くなってる‼︎」
「あの子がタイプなの⁉︎」
「そういうんじゃ……!」
きゃあきゃあと囃し立てる女性社員たちの向こうで、リコたちオカマがレセプションのニュース記事を眺めながら、しみじみと呟いた。
「あらぁ、確かにイケメンじゃない、これ」
「あらやだ、可愛い!」
「朔夜ちゃんとは違った爽やかイケメンねぇ」
リコがハッと思い出した。
「そういえば、蛍ちゃんが昔大好きだった人って——」
「リ、リコさん‼︎」
「え? まさかこの子なの?」
女性陣が食い入るように蛍に注目した。
「ち、違う——いや、違うってことも違うんですが‼︎ けど、今の陽人くんは——」
「陽人くん⁉︎」
「もう下の名前で呼んでるんですか⁉︎」
女性陣の目がきらりと光った。もはや蛍に逃げ場なし。
「昔の男が次期経営者……これは面白い展開ですねぇ」
「これは蛍さんから、じっくり話を聞かないと……」
園田と生駒がにやりと笑った。蛍は真っ赤になったまま、両手で顔を覆っていた。
その会話を聞きながら、朔夜はグラスの中の氷をじっと見つめていた。持ち上げかけた杯が、途中で止まっている。
——まだ、想っているのか。それとも、現れたから、思い出してしまったのか。
そう思った瞬間、胸の奥に鈍い痛みが走った。それが罪悪感なのか、それとも別の何かなのか、朔夜自身にも、まだ分からなかった。
◇
三時間が過ぎた頃。宴はお開きになった。
酔いつぶれて帰る者、二次会へ行く者など、それぞれが散り散りになっていった。
蛍は最後に会計を済ませた。ライラが「楽しい時間をありがとう。また来てちょうだい」と手を振りながらウインクした。
店の外に出ると、朔夜が煙草を吸いながら、蛍を待っていた。
「……待っててくれたんですね」
「ああ」
蛍が来ると、煙草を吸うのを止めた。
「兄さん。今日は来てくれてありがとう。楽しかったよ」
「……そうか」
「兄さんは?」
蛍が朔夜を覗き込んだ。
「……悪くは、ない。ただ——」
朔夜が少し目を伏せる。
「俺ってどう思われてるんだ? 怖がられているのか?」
「あー……」
蛍が腕を組んだ。
「女性陣はそうは思ってなさそうですけど。男性陣は怖いって思ってそうですね。なんせ、兄さんは会話が少ないですから」
「……」
「これを機に、社員のみなさんともっと喋りましょう?」
「会話は、得意じゃない」
蛍の提案をバッサリと切った。
「でも、それだと兄さんは誤解されたままですよ? 怖くないのに。自分の気持ちを伝えるのも、時には必要ですから」
「……」
そう言われて、朔夜は少し黙り込んだ。
今、感じているこの名前のない胸の痛みも、いつか形となって名付けられるようになったら。蛍に伝えるべきなのだろうか?
「……善処しよう」
「お願いします、社長!」
「今日は社長じゃないぞ」
夜空を見上げる。今日の夜は、誘宵の名に相応しい、丸みを帯びた明るい月が、街を照らしていた。




