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ペリヘリオンの夜  作者: よしなか
3章 巡る星、廻る記憶
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【挿話】親睦会(前編)

 その日の午後、蛍は資料を片手に、廊下を歩いていた。

 前から女性社員二人が歩いてきた。総務部の園田と生駒だった。

「こんにちは」

「黒崎さん。こんにちは」

 と、すれ違いざま、白い紙が一枚ひらりと足元に落ちた。

「あっ」

 蛍はしゃがんで、それを拾い上げた。

「落としましたよ——」

 声をかけながら、何気なく紙面に目を落とす。

『黒崎朔夜社長アンケート』

 そう大きく書かれた見出しの下には、正の字がびっしりと並んでいた。「メガネ派」「かけてない派」という二つの項目に分かれ、集計されている。

 ——これ、何のアンケート……?

「——あ!?」

「あああーーーっ!!」

 園田と生駒が、同時に叫んだ。

 生駒が飛びつくように紙を奪い取り、両手でぎゅっと抱きしめる。園田は、蛍の両肩をがしっと掴んだ。

「く、黒崎さん!! い、今のは!!」

「こ、これは、社長には内緒にしてください……!」

「え、あ、はい……」

 蛍が戸惑いながら頷くと、生駒がずいっと顔を近づけてきた。

「ちなみに、妹さんはどっち派ですか⁉︎」

「え、いや、その……」

 蛍は、視線を泳がせた。

「兄を、そんな目で見たこと、なくて……というか」

 ——兄って、実は、人気だったの!?

 そういえば、この前。この二人がエントランスで紙をばらまいたことがあった。

 その紙の中に、兄の切り抜き写真が何枚かあったような。その時は広報用の切り抜き写真だと思っていたが、まさか二人の個人用?

「……兄さ——社長って、人気なんですか?」

 蛍が、ぽつりと呟いた。

「嘘でしょ!? 今更!?」

 園田が声を上げた。その反応や、アンケートの正の字の数からして、やっぱりそうなんだ。

「いやまあ妹だと、そう思わないですよね……距離、近いですし」

 生駒が、フォローするように付け加える。

「……兄の、どこがいいんですか?」

 蛍が何気なく聞いた。その発言に失礼だという自覚は、あまりないようだった。

「え!? そりゃあの、ちょっと憂いのある感じ、と言いますか……」

 園田が頬に手を当てながら、うっとりとした顔をする。

「窓の外を見て考え事してそうな顔とか……普段鋭いのに、たまに穏やかになる目とか……あれ、いいんですよね……」

 生駒も遠い目をしながら、どうやら想像しているようだ。

 蛍は、脳裏に朔夜の顔を思い浮かべた。

 ——そう言われれば、そうなのかな……。

 普段、意識したこともなかった感覚に、蛍は少しだけ首をかしげた。

「ちなみに、黒崎さんは、どっち派なんですか?」

「え、いやぁ……」

 園田と生駒が迫る。二人の顔が近づいたとき、ふと、園田のかけている眼鏡に目が行った。

「あれ、その眼鏡。気のせいかもしれませんが、なんだか社長の眼鏡に似てますね」

「ギクッ!!」

 園田がさっと蛍から離れた。

「さすが、妹。鋭い……」

「え? まさか一緒の——」

「はわわわ!」

 園田の顔が赤く染まった。

「妹さん! 内緒にしてください!!」

「色違いなんですね~」

「妹!!」

 にやにやする蛍に、園田は思わず、声を上げた。

「すいません、調子に乗りました。……生駒さんは眼鏡かけないんですね」

「私は『朔夜社長、眼鏡外してる派』なので。それより妹さん——」

 生駒が食い入るように差し迫る。

「社長が眼鏡外してる姿、よく見てますよね!? わたしたち、社内じゃ滅多に見られないんです……!」

「え……いや、わたしも、そんなに見られないですけど……」

 家でも、朔夜が眼鏡を外しているところに出くわすのは、案外少ない。だが、そんな蛍の訂正は、二人の勢いに、あっさりとかき消された。

「お、お願いします! 隠し撮り、してくれませんか!?」

「え!?」

「一生のお願いです!!」

「死ぬ気で働きますので!!」

 二人が、両手を合わせて、拝むように詰め寄ってくる。その勢いに、蛍は思わず、後ずさった。

「わ、分かりましたから……」

 気圧されるまま、頷いてしまっていた。二人はハイタッチしていた。


 ◇


 その日の夜。

 黒崎邸のダイニングで朔夜を待っていたが、朔夜が帰ってこなかった。時計は、八時を回っている。

 蛍は少し心配になって、黒崎ビルの社長室へと向かった。

「……兄さん?」

 ノックをしても、声をかけても、返事がない。そっとドアを開けると、デスクに突っ伏すようにして、朔夜が眠っていた。

「兄さん」

 小さく声をかけたが、起きる気配はない。よほど疲れていたのだろう。眼鏡が、少しずれたまま、寝顔に影を落としていた。

 ——ちょっと憂いのある感じ、と言いますか……

 ——普段鋭いのに、たまに穏やかになる目とか……あれ、いいんですよね……

「……」

 蛍は園田と生駒の言葉を思い出して、何かをかき消すように首を横に振った。

 普段の張り詰めた表情とは違う、無防備な寝顔だった。蛍はそのまま、恐る恐る朔夜の眼鏡を外した。

 そしてポケットからスマホを取り出した。指が少し震える。

「……ごめんね、兄さん」

 罪悪感を覚えながらも、シャッター音を殺して、そっと一枚、写真を撮った。

 同時に、ふと思う。

 ——兄さん、社員の人たちと、飲み会とか行ってないのかな。

 総務のお二人や、それに成瀬課長も、兄さんのことを気にしてくれているのに。

 ——今度、企画してみようかな。


 ◇


 翌日。

 総務部の廊下で、蛍が写真を見せると、園田と生駒はその場で飛び上がった。

「きゃあああ!! 眼鏡なし!! 寝顔……尊い……!」

「保存しました!! 待ち受けにします!!」

 はしゃぐ二人に、蛍は苦笑しながら切り出した。

「あの、写真のお礼、と言ったらなんですけど……ちょっと、協力してほしいことがあって」

「なんですか!?」

「親睦会を、やりたいんです。……わたし、こういうの、やったことがなかったので。それに兄もあまり参加してなさそうですし。幹事は、わたしがやるので——」

「「やりましょう!!」」

 言い切る前に二人が即答した。食いつきの良さに、蛍は少し面食らった。

「いいんですか!?」

「お兄さんの寝顔もらった後ですし!!」

「社長も参加するんですよね? なら、やらない理由が無いです!!」

「あはは……」

 蛍は苦笑しながら続けた。

「場所はわたしが考えます。それで、総務部と、それから経理部と人事部あたりをお誘いしようかと思いますが、いかがでしょう」

「いいと思います!」

「お声がけしておきます! 我々に任せてください!」

 二人は敬礼すると、早々と総務部へ戻っていった。蛍は二人の動きの良さに苦笑しつつも、感心もしていた。


 ◇


 その晩、蛍は地下2階のバー『月光』の扉を叩いた。

「あら、蛍ちゃん。今日はどうしたの?」

 カウンターを拭いていたリコが、艶やかに微笑む。

「リコさん、実は相談があって」

 蛍が事情を話すと、リコは少し考えるように顎に手を当てた。

「大人数の打ち上げねぇ……。それなら、うちより、姉妹店の方がいいわ」

「姉妹店?」

「『誘宵(いざよい)』っていう店なの。大衆向けの、賑やかな居酒屋よ。個室もあるし、二、三十人向けの大人数の宴会にはぴったり」

「そんなお店もあるんですね……」

「アタシも顔が利くから、紹介してあげる。……ふふ、面白そうじゃない。アタシも、当日手伝いに行ってあげるわ」

「本当ですか? ありがとうございます、リコさん!」

 蛍は、思わず声を弾ませた。


 ◇


 打ち上げの日程が決まった数日後、蛍は社長室の隅で、思い切って切り出した。

「兄さん。再来週の金曜日、空けておいてください」

「……何のためだ」

「親睦会です。リコさんの姉妹店、『誘宵』で!」

 朔夜は、書類から顔を上げないまま、少し間を置いた。

「俺はいい。お前だけで行ってこい」

「え」

「大人数の酒の席は苦手だ。……それに俺が行くと、みんなやりにくいだろう」

「……」

 蛍は一瞬、黙った。だがすぐに腰に手を当てて、朔夜のデスクに詰め寄った。

「だめです」

「……蛍」

「わたしが、幹事なんです。それに親睦会には社長が来るって、もうみんなに言っちゃいました!」

「なに……?」

 朔夜の眉間にしわが寄った。

「みなさん、兄さんが来るのを楽しみにしてましたよ!」

 屈託のない笑顔で話す。

「兄さん。みんな、兄さんのために、頑張ってるんです。それに、あの部課長会の日から、少しみなさんとうまくいってると思いませんか?」

「それは、父さんが——」

「そうだとしても!」

 蛍が詰め寄る。

「……たまには、みなさんと話す機会も必要かと」

 朔夜はしばらく黙っていた。ペン先が書類の上で、意味もなく動いている。

「……分かった」

「本当ですか!」

「一次会だけだ。……それ以上は、付き合わない」

「十分です!」

 蛍は満面の笑みで、拳を小さく握った。


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