38.目覚めの時
ふわりと、爽やかな香りが鼻をかすめた気がした。
私は心地よいまどろみの中、ふわふわと意識が浮上し、ゆっくりとまぶたを開く。
まだハッキリとしない視界の中でぼんやりと、天井を見つめた。
――帰ってきた、な。
この世界に来てから過ごした時間はそれほど長くはないが、なぜだか泣きたくなるほど懐かしく感じた。
ふと、指にあたるものを感じて視線を下げる。
見ると、ベットに突っ伏して寝息を立てるヴィスキオ様の姿があった。
見たこともない無防備な姿に、少々驚く。
気持ちよさそうだったので起こすのも悪いと思いそっとしておきたかったが、あまりにも指に触れる髪がふわふわしていて、思わず触りたくなってしまった。
――ちょ、ちょっとだけ。
私はぎこちない動きで手を持ち上げる。
久方ぶりに動かした体は、予想以上にコントロールが難しかった。
四苦八苦しながらも、そっとヴィスキオ様の頭に手を置きなでてみる。
ヴィスキオ様の白金の髪は、思った通りふわふわで、思わず笑みがこぼれた。
「ん……う……」
ヴィスキオ様がうめき声を上げたので慌てて手をどかそうとするが、今の私に俊敏な動きはできず、結果頭に手を置いたままになってしまう。
じっと見ていると、うっすらとヴィスキオ様の碧の瞳が見えた。
「ん、なんだ」
ヴィスキオ様は自分の頭に置かれた重みに気がついたようで、いぶかしげな顔をする。
そしてすぐに、体を起こす。私の手はその動きで、するりとベッドへ落ちてしまった。しかし、ヴィスキオ様は寝起きでぼうっとしているせいか、頭の上から落ちた重みの正体が、私の手だと気づかない。
とても不思議そうな顔をしてから、きっと毎日のようにそうしてくれていたのだろうなという自然な動きで私の顔をのぞきこむ。
「おはようございます、ルリハ様」
「お……ざ、ま……す」
ヴィスキオ様は、答えなど返ってくるはずがないと思っていたのだろう。
ぼんやりした瞳で動きを止めた後、徐々に徐々に目を見開く。そして次第に状況を理解してきたのか、私の視線と彼の視線が交じり合う。
「おは……ござ……ま……ヴィス……キ、オ……さま」
私は乾ききったのどをなんとか動かして、もう一度そう言ってみた。
今度は先ほどよりうまく発音できたのではないか、と思っていると、ぽたりと雫が頬に落ちてきた。
「本当に?」
驚いて上を見れば、ヴィスキオ様が私をのぞき込みながらぽたぽたと涙を流していた。
「ルリハ様?」
「は……い……」
私はできる限り安心させてあげたいと、口角を持ち上げてへにゃりと笑う。
ヴィスキオ様は耐えられなくなったように、私の上から覆い被さるように抱きしめた。
「もう、目覚めないかと……うっ」
私はまさかヴィスキオ様がこんな姿を見ると思わず、面食らう。
なにか声をかけるべきかと逡巡するが、全身ですがりつくように声を押し殺して泣くヴィスキオ様を見ていたら、しばらくこのままの方が良いのかもしれないと思い直す。
私は難儀しながら腕を持ち上げて、ヴィスキオ様の頭をなで続けた。
それから、どのくらい経っただろうか。
ヴィスキオ様もようやく落ち着いて、バツが悪そうに赤くなった目を瞬く。
「取り乱しました……」
「う、れ……かった、です……よ」
「うれ……そうですか。それより、あまり無理して声を出そうとしないでください。お体にさわります」
「そ……んな、こ」
「今、言ったばかりですよね?」
ギロッとヴィスキオ様に眼光鋭く見つめられてしまい、私はぱふっと口をふさぐ。
それでも、どうしても確認したいことがあって、ちらちらとヴィスキオ様に視線を送る。
「もしかして、眠られていた期間を気にされていますか?」
まさに聞きたいと思っていたことを言い当てられ、目を見開きこくこくと勢いよくうなずく。
ヴィスキオ様は辛そうに目を細めると、切なげな声を出す。
「……6ヶ月、ですよ」
「ろっ……」
なるほど、最高神の言っていた通りの期間である。
最高神の口から聞いたときは、あまり長いと感じられなかったのだが、こうしてヴィスキオ様の顔を見て、彼の口から聞くととても長い時間眠っていたのだなと思わされる。
改めてヴィスキオ様の姿を見れば、私が最後に見たときよりもやつれているように思えた。
「ヴィ……キオ、さ……ま」
「だから、話さないでくださいと」
「ずっ……と、わた、し……に、つい……て?」
たどたどしい言葉ではあるが、私の言いたいことは伝わったようだ。
ヴィスキオ様は、複雑な色を瞳に宿す。
「はい。私は、ルリハ様の護衛騎士ですから」
それは、どんなに辛いことだっただろうか。
いつ目覚めるとも分からない人を、ずっと側で看病し続けるなんて。想像しただけでも過酷で、苦しい。
私が顔を暗くすると、ヴィスキオ様が深々と頭を下げる。
「ヴィ、ス……キオさ、ま?」
「ずっと、ルリハ様に謝罪したかったのです。あの時は、あなたを傷つけるようなことを言ってしまい、申し訳ございませんでした。私は、あなたのことをいらない聖女だなどと思っていません」
そう言われ、私は眠りにつく前、最後にヴィスキオ様と交わしたやりとりを思い出す。
確かに傷ついたし、悲しかったが、それが彼の優しさであることを私は知っている。
「も……いい、です……わた……し、許し……ます」
私の許しを聞き届けたヴィスキオ様は、呆けたような顔をする。
そして、崩れるようにベッド横のイスに座り込んだ。
「ヴィ、ヴィス……キオ、さ……まっ?」
ヴィスキオ様は、顔を手で覆うと、くぐもった声で答える。
「これを、あなたに伝えられなかったらと思うと、怖くて、怖くて、仕方がありませんでした」




