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35.護衛騎士、喪失する

 カタ、カタ、カタ、と音が鳴る。

 強い風が、ルリハの部屋の窓を揺らす音だ。

 ヴィスキオはそんな小さな音が嫌に響く静寂に包まれた部屋の中、ベッドの横にあるイスに座っていた。

 視線は、じっとベッドの中で横たわる眠り姫へと注がれていた。


「ルリハ様……」


 時々、思い出したように彼女の名前を呼ぶが、彼女は一向に目覚めない。

 ただスヤスヤと気持ちよさそうな寝息を規則正しく繰り返すだけだ。

 

 聖女ルリハは、もうかれこれ1ヶ月はこの状態だった。


 1ヶ月前のあの日、ヴィスキオはルリハを傷つけるだけ傷つけて戦場へ向かった。

 ルリハを王宮に留めるにはこれしか方法がないと、思っていた。

 今では浅はかだったと自覚している。



 あの時、ヴィスキオたちは確かに追い込まれていた。

 切っても切っても立ち上がる魔物。魔法使いたちが【浄化の雫】を用いて、瘴気の中和をしているが、あまりにも密度が濃くて追いつかない。

 その場にいる全員が、最悪の未来を想定しただろう。

 そんな中、ヴィスキオは決して諦めず周りのみなを鼓舞し続けていた。脳裏にルリハの姿を描きながら。

 魔物の進行を許すことは、ルリハの元へ行かせることと同義だ。

 王都まで魔物が行ってしまえば、ルリハは〝真なる〟魔法を使うことをためらわないだろう。

 そういう女だ。そういう、人間だ。

 ヴィスキオは、たとえ自分の命と引き換えになったとしても、この場で魔物を食い止める覚悟だった。


『耐えろ! 押せ! 一歩でいいから押せ! 王都にこいつらを進ませるな!!』


 そう、叫んだ時だった。

 地平線が、光ったのは。

 一瞬、暖かな光が地平線にそって広がった。そして瞬く間に、ヴィスキオたちが魔物と戦っている一帯を包んだのだ。

 その光に触れ、蒸発するように姿を消していく魔物を目にし、ヴィスキオはこの光が浄化の光であることを確信した。


『ルリハ、様……?』


 結果、魔物との戦いは大勝利を収めた。

 負傷者は大勢出たが死者はおらず、確認されていた瘴気も全て消え去った。

 みながお祭り騒ぎで勝利を喜び、ルリハの功績を称える中、ヴィスキオだけが絶望で頭が真っ白になっていた。

 他の騎士たちより一足早く王宮へ戻ったヴィスキオは、はやる気持ちを抑えて、絶望の仮定を否定しながら、真っ先にルリハの部屋に向かった。

 ヴィスキオはこの扉を開けたら、いつもの人を包み込むような微笑みを浮かべたルリハが出迎えてくれると、そう信じていた。


 ――実際に出迎えたのは、目を赤く腫らしたロゼだった。


『あ、あんた。遅い……っ』

『ルリ、ハ、さ、ま』


 ヴィスキオの、目に、飛び込んで、来たのは、まるで穏やかな顔でベッドに横たわる、ルリハの姿だった。


『あ、あ、あああ』


 ヴィスキオはルリハの元に駆け寄り、その息を確かめる。

 ルリハは生きていた。それは喜ばしいことだった。

 だが、そのまぶたを開けてはくれない。その美しい濡羽色の瞳を、見せてはくれない。ヴィスキオの名前を、呼んではくれない。

 ただ、精巧な人形のように、眠るだけ。


『うああああぁぁぁっぁあああ』


 慟哭が、響く。

 ヴィスキオは、もう取り返しのつかないことになっているのだと、思い知った。



 ヴィスキオは、ぼうっと心ここにあらずな状態で、ルリハを見守る。見守り続ける。

 時々、脱脂綿に水を含ませて、それをルリハの口元に触れさせる。

 何度も願った。何度も何度も何度も何度も何度も、願った。

 ある日、ふとルリハが目覚めて、「おはよう」と、そう言ってはくれないかと。

 今、ヴィスキオはとてもひどい顔をしている。

 髭はそらずそのままで、髪も整えずボサボサ。目の下にはくっきりと隈が浮かび、連日風呂にも入らずルリハにつきっきりで看病しているので、そろそろ体臭もキツくなってくる頃合いだった。

 自分としてもとても気持ち悪い状態だと思うのだが、ヴィスキオはそんなことお構いなしで縫い付けられているようにそこから離れようとしない。

 ヴィスキオにとって、ルリハの側を離れることがひどく怖いことになってしまっていたのだ。

 だって、何度後悔したか分からない。


 ――あの時、ひとりで戦場に向かうのではなく、ルリハの側を離れなければ。


 ――あの時、無理に王宮に留めるのではなく、自分の目が届くところで最低限の協力をしてもらうようにしていれば。


 ――あの時、あんな言葉を言わなければ。


 様々な〝もしも〟を考え続けた。

 ルリハが王宮から魔物の発生地点まで浄化の光を広げる、なんて無謀なことをしたのは、ヴィスキオが無理に王宮にルリハを留めたからだ。

 王宮に留めるのだとしても、ヴィスキオはルリハの側を離れてはいけなかった。

 もし自分が側にいれば、ルリハを止めることができたかもしれない。

 ルリハに告げた自分の言葉が、ルリハを追い詰める原因になってしまったのかもしれない。


『あなたは、〝真なる〟魔法が使えようが、いらない聖女なんです』


 自分で自分を何度呪い殺したか分からない。


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