34.眠りへ
安全な場所に隔離され、守られ、無事の帰りを祈るだけなどまっぴらごめんだ。
今はまだ、ついて行っても足手まといでしかないかもしれないが、きっと、いつかは。
特訓して、聖女の魔法だけじゃなくて光属性の魔法ももっと練習して、身を守る術を増やして。
そうしたら、きっと、みんなを守れる私に、なれると思うから。
――私の居場所はここだから。ここが、いいから。
私はピアノの蓋を開け、下に隠されていた鍵盤を見下ろす。
ポロン、と音を鳴らしてみた。
「うん、良い感じ」
定期的に調律はされていたのだろうか。ピアノの状態はすこぶる良いと言えた。
ピアノに触れていると、ピアノ教室での思い出が、燈花の顔が頭の中に溢れてくる。
「ごめん、燈花」
それでも、私は決めたから。
特に曲を弾くということはなく、気の向くままに鍵盤を叩く。
そうすると、ほわりと指先にあたたかいものを感じた。
「……?」
今のは、なんだろうか。
その時、ふと資料館の外が騒がしくなったような気がして頭を上げる。
なぜか嫌な予感がして、私は資料館の外へ駆けていった。
「管理人さん!」
「聖女様」
資料館の外に出て、騎士に話しかけられている管理人を見つける。
騎士は私を見るとハッとしたように姿勢を正す。私はドクドクとなる胸を押さえながら、2人を見上げた。
「なにが、あったんですか?」
「聖女様、至急、我々と共に来てください」
騎士は切羽詰まった表情で、事は一刻を争うのだと語る。
「先ほど発生した魔物の量が、想定以上に多く、苦戦を強いられているようです。我々王宮に常駐している騎士の一部も、応援に向かいます」
「そ、れは」
「すでに負傷者も多数出ています。このままでは、討伐に出た者たちが壊滅してもおかしくありません」
ガン、と頭を殴られたような衝撃を受けた。
負傷者、と聞いて1番に思うのはヴィスキオ様の安否だ。
手足から血の気が引いていき、大切な人を失うかもしれない恐怖でめまいすら覚える。
「【浄化の雫】での中和も、間に合っていません。聖女様、あなたのお力が必要なのです。どうか我々に同行してください」
騎士は、苦しげな表情をして必死な訴えをする。
対して、私の頭の中は焦りと恐怖でいっぱいになっていた。
――早く、早く早く早く。
助けに行かなきゃと思うのに、この土壇場で足がすくんだ。
隣にヴィスキオ様がいないということが、ここまで心細くさせるのだと思い知る。
「あ、の」
私の口からもれたのは、早く行きましょうという言葉ではなかった。
「魔物の発生源まで、ここからどのくらいかかりますか?」
「……馬を全速力で走らせて、数時間ほどです」
私の質問に騎士がいぶかしげな顔をする。
今すぐ駆けつけたいと思っているのに、なかなか動こうとしない私を不審に思っているのだろう。
だが、私は違う事が頭に引っかかっていた。
――今から行って、間に合うのか?
先ほど、この騎士は言っていた。すでに負傷者も多く、このままでは壊滅する、と。
その状態で数時間後の到着は、もはや手遅れなのではないか?
私には、もっと他にできることがあるんじゃないのか。
「聖女様、事は一刻を争うのです! 迷っている時間など」
「すみません。私、ちょっと行ってきます」
とうとうしびれを切らした騎士は私を無理矢理にでも連れていこうとするが、それよりも私の動きが速かった。
私は踵を返すと、資料館の奥へと走って戻る。
背後では、騎士がなにやら叫んでいるようだが、私の耳には聞こえていなかった。
私が向かった先は、資料館の最奥、グランドピアノの元。
「はぁっ、はぁっ」
常日頃の運動不足がたたって息切れをしてたが、構わずピアノに駆け寄って、その鍵盤に手をついた。
――やっぱり。
鍵盤に手をついたところが、ふわりと暖かい熱を帯びたような気がした。
この暖かさに、私は覚えがある。
私はサッと備え付けられていたピアノ椅子に座ると、慣れた手つきで高さを調整する。
――ああ、馴染むな。
元の世界で使っていた日本製のものだからだろうか、そのピアノはやけにしっくりきて、私の肩から力が抜けていく。
――これなら、できる。
私はふわりと羽が舞い降りるように、鍵盤に指をのせる。
幼い頃、燈花と競うようにして練習していたとある曲を思い出す。
その曲は、始まりと同時に激情を吐き出すようなスピード感が特徴的だ。ただ、走り抜けるしかない今に、この曲はふさわしい。
ベートーヴェン『ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27 第2』――通称『月光』
感情が暴発したような、堪えていたものが決壊する瞬間。
開始から激情を叩きつけられるこの曲は、胸に渦巻く言葉にならない想いがたまったときに、よく弾いていた。
そんな気持ちで弾いていると燈花が必ず私の側に来て、話してみなさいよ、と笑いかけてくれた。
――音が、荒い。
ピアノを弾くこと自体が久々で、指がもつれる。感情だけが先走り、テンポなんてあったものではない。
ひどいものだ、と思う。
けれど、今はそれでいい。上手に弾く必要なんてない。
今は、ただ、感情のままに。
――届け。
瞬間、私の胸のあたりから、浄化の光が溢れ出す。
ピアノの音に合わせて光はこんこんと溢れ続け、辺り一面を満たし始める。
やがて光は資料館だけに留まらず、外へと波打つように広がっていく。
私とピアノを中心に、魔物と瘴気のところを目指して浄化の光は広がる。
私はピアノを介すことで、〝真なる〟浄化の広範囲展開をしようとしていた。
――届け。
燈花、ごめんね。あなたの元に帰れない私をどうか許して。
私はもう、この世界を自分の世界だと定めてしまった。この世界で出会った人たちが、どうしても大切なの。あなたに会いたい。あなたに謝りたい。あなたに、お礼を伝えたい。
だけど、私は帰らない。
さようなら。どうか、元気でね。
――届け。
ロゼ、もうこの光は見えている? 心配かけてしまってごめんなさい。
でも、瘴気が拡がり続ければ、いづれこの王都にも被害が出てしまう。私は、そんなの、絶対に嫌なの。
ロゼのおかげで、私はこの世界を好きになれた。ロゼがいてくれたから、私は孤独から抜け出せた。
だからどうか、私に恩返しをさせてね。
――届け。
ヴィスキオ様。私、きっと分かっています。
あの時、冷たく突き放すようなことを言ったのは私を思ってのこと。あなたは、優しい人だから。
私を、危険から守ろうとしてくれた。
そんなあなたを、こんな形で裏切ってしまってごめんなさい。
しばらく心配をかけることになると思いますが、私を許してくれますか。
――届け。
浄化の光が広がった先、その外縁で瘴気を捉えた感覚があり私はさらに力を込める。
このまま、魔物と瘴気を浄化しきる。
私はさらに鍵盤を力強く叩いた。
浄化の光は、私の心に呼応するように一度大きく膨らむ。堰き止められていた激流が一気に流れ出るように、光の波が瘴気のある地点へと押し寄せる。
魔物や瘴気が、まるで光に押しつぶされるように浄化されていく様を私は見えていないはずなのに、俯瞰しているような心地になる。
――届け。
魔物と瘴気を全て浄化しきれたことを確認して、私は曲の最後の1音を、鳴らす。
最後の最後まで音が響き渡り、静寂が訪れた。
私は力を出し切った達成感と脱力感で、鍵盤から滑り落ちるように手を離す。
と、急速に体から力が抜け、視界が暗く染まってきた。
ああ、今度は私、どのくらい寝てしまうのだろうか。もしかしたら、もう2度と目覚めることはできないのかもしれない。
「ヴィスキオ様……」
叶うなら、もう一度あなたに会いたかった。
私はそこで目を開けていられなくなり、深い深い眠りへと誘われた。




