33.守りたい
魔物及び瘴気の発生を知らせる音。
私は反射的に、王宮の方向へ戻ろうと歩みを進める。
「ルリハ……っ」
早く、早く行かなくては。
守りたいという自分の気持ちが明確になった今、私がためらう理由はなかった。
怖くても、怖くても、私は、この人たちを守りたい。
ヴィスキオ様の横を通り抜けようとした時、痛いほどの力で腕をつかまれる。
ハッとして見れば、ヴィスキオ様が無表情に激情を滲ませ、私を見下ろしていた。
「ヴィスキオ様、離してください」
「離しません」
「離してください。私は、行かなくてはなりません」
「行かないでください」
「……っ。言っている意味が分かっているんですか!? 私を行かせないのは、騎士たちを見捨てることと同義です!」
「分かっています」
「分かっていません! もし、私を引き留め騎士団が壊滅するようなことがあれば、ヴィスキオ様が罪に問われるかもしれないんですよ!」
「それでも!」
ヴィスキオ様は、苦しそうな顔をして、懇願するような声で呟く。
「あなたが目覚めないより、よっぽどいい」
言葉を、失ってしまう。
そんなことを、言ってくれるとは思っていなかったから。
私は震えるくちびるをなんとか動かして、努めて優しい声音で話そうとする。
「ヴィスキオ様」
「それに」
私の声を遮ったヴィスキオ様は、ぞくりとするほどの冷たい目をしていた。
「あなたは、足手まといになります」
「……え」
「あなたは、〝真なる〟浄化を使えば、すぐその場で気絶してしまうのでしょう? あの時と同じで」
「それ、は」
「であるにも関わらず、どの程度の規模が、どのくらいの眠りになるかも分からない。だからこそ、無闇に大規模の浄化は行えない。違いますか?」
「そう、です」
「つまり、あなたを連れていくということは、ある程度魔物を削るまで、騎士はあなたを守らなくてはいけない」
「……」
「もう一度言います。足手まといです」
私は、血の気がさあっと引いていくような気がした。
私が戦場に行くというのがどういうことか、考えたことなどなかったのだ。
身体から力が抜け、視線が下に落ちる。
ヴィスキオ様は、私はもう無理矢理行こうとすることはないと判断したのか、私の腕から手を離した。
そして、とどめを刺すように無慈悲な断言をした。
「あなたは、〝真なる〟魔法が使えようが、いらない聖女なんです」
今度こそ、私は立っていられずにその場にへたりこんだ。
後ろからロゼが駆け寄り、私の肩を抱いてヴィスキオ様を厳しい目で見上げる。
「ちょっと。なにも、そこまで――……っ」
ロゼはなぜかヴィスキオ様を見ると息をのみ、言葉を詰まらせた。
私は、おそらく騎士団の駐屯地に向かうのであろうヴィスキオ様の足元だけを見つめ続ける。
「行って参ります。どうか、王宮内でお待ちくださいますよう」
私には、彼を引き留める言葉も、自分も連れて行って欲しいと懇願する言葉も、もうなかった。
ヴィスキオ様に告げられた〝いらない聖女〟という響きだけが、頭に残る。
「ルリハ……」
ロゼの慰めるような声音が聞こえて、私はよろよろと立ち上がる。
ロゼは死人のような顔をする私を見て視線を揺らすと、わざと明るい声を出した。
「だ、大丈夫ですわ。我が国の騎士団はとても優秀ですの。それに、根本的な解決にならなくとも、【浄化の雫】もありますわ! だから」
「……」
私はただただ項垂れる。
ロゼはくちびるを噛むと、迷いながら口を開く。
「ルリハ。ルリハは、いらない聖女なんかじゃ」
「ロゼ」
私が声をかけると、ロゼは怯えるように体を震わせる。
今、私は酷い顔をしているのだろう。
「ごめん、ひとりにして、欲しい」
「分かり、ましたわ」
私はロゼに背を向け、庭園の中をあてもなく歩き始めた。
あてもなく歩く私が辿り着いたのは、歴代聖女の遺品を飾る資料館だった。
なぜか、と言われても特に答えはない。
ただなんとなく、気がついたらここに向かっていた。
「ようこそお越しくださいました。聖女様」
資料館の管理人は、まるで私が来ることが分かっていたかのように出迎える。
入ってすぐのところで深々と頭を下げる彼の横を素通りし、私は迷いのない足取りで資料館の最奥を目指した。
「綺麗だ、な」
それは、最初に見た時と同じように、そこに鎮座している。
――グラウンドピアノ。
黒く精錬された、堂々たるたたずまい。
私はそっとそれに近づき、グランドピアノを囲う規制線をするりと抜ける。
数段高い位置に展示されているピアノは、証明の光をキラキラと反射させていた。
私は滑らかなその漆黒のピアノに指を滑らせる。
なぜだか馴染み深いような、懐かしいような心地になり泣きたくなってしまった。
グランドピアノに触れたまま、ぐるりとその周りをゆっくり一周する。
――このピアノをこの世界にもたらした聖女は、どんな人だったんだろうか。
私は、かつての聖女たちに思いを馳せる。
歴代の聖女たちは、なにを思ってそれぞれの選択をしたのだろうか。
日記帳を読んでいれば分かる。
彼女たちにはそれぞれの葛藤があって、それぞれの決断を下した。
対価への恐怖も、故郷を想う気持ちも、なかったわけではない。ただ、こちらの世界で大切な人を見つけ、守りたい理由ができて、聖女として役目を果たす道を選んでいた。
日記を書いてはいなかったが、役目を放棄し、元の世界へ帰る選択をした聖女もきっといたはず。
――なら、私は? 私は、なにを選択する?
そう思ったとき、私の頭には真っ先に2人の顔が浮かんだ。
ヴィスキオ様とロゼ。
次に浮かんできたのは、シエロ様やミーロさん、侍女さんたちといったこの世界でお世話になった人たちだ。
彼らを想うと、やはり守りたい、と強く思う。
だが、守りたいと思うと同時に、私を探す燈花の姿が脳裏にちらついた。
かつて、ピアノ教室で出会った幼馴染みでありライバルであり親友だった女の子。母の死をきっかけに疎遠になってしまったが、私のことをあんな風に探してくれるとは思いもしなかった。
燈花に、また会いたい。会って、話したい。謝りたい。
――けど、私はそれ以上に
『あなたは、〝真なる〟魔法が使えようが、いらない聖女なんです』
不意にヴィスキオ様に言われた言葉を思い出して、胸がズグリと痛む。
そうかもしれない、と思った。
そもそも私は、まだ〝真なる〟浄化を制御できているとは言いがたい。この前だって、ヴィスキオ様を守りたい一心で暴発させたようなものだ。
ヴィスキオ様の言い分は、なにも間違ってはいない。
私は〝真なる〟魔法が使えようが、いらない聖女に変わりはない。
――それでも、可能性があるならば。
いらない聖女で構わない。必要とされなくても構わない。
私は、この世界の人たちを守りたい。
……いや、少し違う。
私は、ヴィスキオ様とロゼを守りたい。




