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31.崩壊

 ヴィスキオはルリハの自室に入り、茶葉が並んでいる棚からビンをひとつ取り出した。


 「よし」


 ルリハは食べ物の好き嫌いのない人だが、好みがないわけではない。

 この茶葉の紅茶は、他の茶葉よりおかわりの回数が多いことを知っていた。

 ヴィスキオの頭には、カップを割ってしまってひどく申し訳なさそうなルリハの顔があった。

 最近、暗い顔をすることが多いことをヴィスキオもロゼリエッタも気がついている。

 ルリハから相談してくれることを待ってはいるが、そろそろ鎌をかけてみようかとも思う。

 ヴィスキオは、早く戻ってさしあげよう、とビンを取るなり扉の方に足を向けた。


 ――視界に、変な物が映った。


 正確には、変な物ではない。ただ、その場所にあるのが変な物が、床に無造作に落ちていた。

 ヴィスキオは、床に開かれて落ちているその変な物――日記帳に手を伸ばす。

 重厚な装丁のその日記帳は、ルリハが大切にしている物だ。

 いつからだったか、ルリハの手元にあった、それ。

 ルリハに聞いたら、自分の日記帳だと言うので、それがなんなのか深く考えたことはなかった。


 ――部屋を出たときには、落ちてなかったと思うのだが。


 不思議に思いつつも、机の上にでも戻そうと、日記帳を拾い上げる。

 他人の日記帳を盗み見する趣味はないので、すぐに閉じてしまおうとして


 ――ふと、とある一文が目についた。


『〝真なる〟魔法には対価がある』

 

「は?」


 頭が、真っ白になった。

 ヴィスキオは、足下にあるはずの床がガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。


〇〇〇


「ヴィスキオ様、遅いですね」

「本当に。淑女を待たせる騎士なんてもってのほかですわ!」


 ふんと腕を組むロゼをまあまあとなだめる。

 私は、こんなに時間がかかるなんておかしい、と心配な気持ちが膨らんでいた。

 ドクドクと、心臓がなる。

 嫌な予感が、頭をよぎった。


「ロゼ、私やっぱり」


 たまらず迎えに行こうと立ち上がりかけたとき、ヴィスキオ様がようやく姿を見せた。

 ロゼは彼の姿を見るなり文句を口にする。


「もう、遅いですわよ! 淑女を待たせるとは何事ですの!」


 ヴィスキオ様は、返事をしない。

 変だ。ヴィスキオ様は、王族の言葉を無視することが不敬にあたると知らない人ではない。

 それに、どこか瞳が翳っており、剣呑な光を宿している。


「……ヴィスキオ様?」


 私の嫌な予感はさらに主張を増し、私は彼の顔から茶葉のビンを持っているはずの手元へと視線を移す。


 ――時が、止まったように思えた。


 耳の中で心臓の鼓動の音が響いて響いて仕方がない。

 口の中が急速に乾き、呼吸も徐々に荒くなる。

 胸がギュウと苦しくて、この場から逃げたくてたまらくなった。

 ヴィスキオ様が、視線を上げる。

 その鋭い碧の眼光は、正確に私を射貫いていた。


「ルリハ様」


 ガゼボの中に入ったヴィスキオ様は、手に持っていた物を――日記帳を、机の上に叩きつける。


「これは、どういうことですか」


 私ははく、と口を動かすだけで言葉が出てこない。

 先に声を発したのは、しびれを切らしたロゼだった。


「ちょっとあなた、どういうつもりですの!? いくらなんでも、失礼がすぎますわよ!」

「それ、読んでください」

「なにを――は?」


 日記帳はご丁寧にとあるページが開かれていて、ロゼはそれを凝視する。

 私は、グッとくちびるを噛みしめた。


「なんですの、これ」


 ロゼの戸惑いに揺れる声音は、私の胸をしめつける。


「ルリハ……?」


 私は頭の中でぐるぐると考えが巡り、なにか言わなくてはと思うのに声にならない。

 押し黙る私を前に、ヴィスキオ様は、唸るような声を発した。


「ルリハ様、もう、〝真なる〟魔法は使わないでください」

「それは……っ」


 〝真なる〟魔法が使えなければ、いらない聖女になってしまう。

 それに、それに、使わなければ、誰も守れない……っ。


「では、大義のために死ぬと?」


 大義、大義?

 私に、そんなものはあるのだろうか。

 私が答えられないでいると、傷ついた顔をしたロゼが揺れる声音で言葉を発する。


「わたくしも、もう、ルリハに〝真なる〟魔法を使って欲しくはありませんわ」


 ああ、本当に、優しい人たちだ。

 私の予想通りだった。対価があると知れば、きっと止められると思っていたが、その通りだった。

 ロゼに関しては、王女としては対価があろうとやってくれ、と言うべきなのに、友だちとして使って欲しくないと言ってくれるのだ。

 私なんかには、もったいない。本当に素敵な人たち。


「……」


 ヴィスキオ様とロゼは、私の言葉を待ってくれている。

 それは分かっていたが、私が口を開くことはなかった。


「この話は、わたくしからお父様に伝えておきます」


 しばらくして、ロゼが席を立つ。

 ちらりとこちらに視線が向けられるが、私は顔をそむけてしまった。

 何も言えないうちに、ロゼが去って行く。

 ガゼボに残ったのは、ヴィスキオ様と私だけ。


「なぜ、なにも言ってくださらないのです」


 ヴィスキオ様は、歯がみするようにそう言った。

 私は右手で左腕を握りしめながら、ただただ沈黙を保っていた。

 

 

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