25.あの時を想う
そして、バルコニーの手すりにもたれかかって夜の庭園を眺めた。
夜の庭園は闇に沈み、地面がよく見えない。
――吸い込まれてしまいそうだ。
ヒュオッと冷たい風が頬を撫でる。
この光景に私は既視感を覚える。なんの既視感だろうかと考えて、すぐに思い出す光景があった。
この世界に召喚される直前に見ていた、景色。
あの時の私は“宙ぶらりん”で、ひどく不安定で、夜の闇に吸い込まれるように橋から身を乗り出していたのだ。
私はその時と同じように手すりに身を預け、ほんの少しだけ体を宙に預けてみた。
そうしてみても、あの時の同じような感覚は訪れず、私は早々に姿勢を戻そうとしていた。
「なにをしているんですか!!」
「へ――うっ」
叫び声がしたかと思ったら、腰のあたりに腕を回されクンと後ろに強く引っ張られる。
私は体勢を保つことも出来ずに、力に従って後ろへ倒れ込んだ。
「いた……いたく、ない」
下にやわらかな感触があって、バッと下を見ると痛そうに顔をしかめたヴィスキオ様と目が合う。
「ヴィスキオ様!?」
私はヴィスキオ様の体を下敷きにしていることに気がつき、慌ててそこからどいた。
「な、なにしているんですか?」
地面に座り込んだ状態でそう聞くと、キッと鋭い視線で睨み付けられる。
「なにをしているか、ですか」
ヴィスキオ様はそう呟くと、私の腕を痛くなるほどの力で握りしめる。
「それは、こちらのセリフだ!!」
ものすごい剣幕で浴びせられた言葉に、私はきょとんとしてしまう。
まだよく分かっていない私に、ヴィスキオ様はすがるように、懇願するように、言葉を続ける。
「……飛び降りようとしているように、見えました」
「え? あ、ああ!」
私は先ほどまでの自分を客観的に想像してみる、そうすると、今にも身投げしてしまいそうなご令嬢の図が浮かび上がってきた。
とんでもない誤解を与えてしまったと、さっと顔を青くする。
「し、心配かけてごめんなさい! 私、飛び降りようとしたわけではなくて……!」
「では、なぜあんなことを? 少し身を乗り出していましたよね?」
「あ、あれは、風が気持ちよく、て」
「ルリハ様?」
「少し嘘ですごめんなさい。ここから見える暗闇に、吸い込まれそうだと思って……ここに召喚されたときのことを思い出していました」
ヴィスキオ様に無言の圧力をかけられ、私はあっさり白状する。
私は、今もあの時も、決して死のうとしていたわけではない。
あの時は、ただなんとなく身を乗り出して、世界に存在するはずの自分がとても曖昧に思えて、死にたくなってしまっただけだ。
人に言ったら同じことだと言われるかもしれないが、私にとっては決定的に違うものだった。
結果的に風にあおられ橋から落ちてここに召喚されたのだから、反論できないのだが。
今、なんとなく身を乗り出してしまったのは、確かめたくなったからだ。
あの時と同じようなことをして、今の自分がどう思うのか。
私は悠久の彼方に思考を飛ばしているような、遠い目をしていたのだろう。
ヴィスキオ様が、まるで私を引き留めるように手を握りしめ自身の額に当てるから、私は驚いて目を瞬く。
「ルリハ様、あなたは、あなただけは、俺を置いて、いかないでください」
祈るような声音で告げられた言葉だった。
私は、彼が母親との別離を経験した人間であると思い出す。
人一倍、喪失することに敏感な人。
そんな人をここまで怖がらせてしまって、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ごめんなさい」
「いえ、いいんです。けど、もうしないでください」
私は、こくりと頷く。
そうするとやっと、ヴィスキオ様がホッとしたように力を抜いた。
「さあ、大広間に戻りましょう。ルリハ様が好きそうなお菓子があるんです。もしくは、もう部屋に戻ってしまいましようか。陛下に一言お伝えすれば、構わないはず」
頼れる私の護衛騎士は、そんなことを言いながら、私に手を差し出し立ち上がらせてくれた。
私は綺麗なドレスを汚してしまって申し訳ない、と思いつつバルコニーから外を眺める前に思考放棄していたことを思い出した。
ヴィスキオ様の顔を見上げて逡巡し、思い切って聞いてみようと意気込む。
「あの、ヴィスキオ様」
ヴーーッ
ヴーーーッ
私の声を遮ったのは、けたたましい警告音だった。
王宮中に鳴り響くその音は、頭が割れそうな程の大音量で、私はたまらず耳を塞ぐ。
それからどのくらいの時間が経ったのか、永遠にも思えた警告音は、徐々に音量を下げていく。
ずっと耳を塞ぎ続けていた私が音の終わりを知れたのは、ヴィスキオ様が私の両肩をつかんで揺さぶってきたからだ。
「ルリハ様、ルリハ様!」
「ヴィスキオ、様……?」
私が返事をすると、ヴィスキオ様はほっと息を吐く。
それから素早く私の状態を確認する。
「どこか痛いところはございませんか? 耳に違和感は? 手につかまって、ゆっくりお立ちください」
お立ちください、と言われて、私はようやく自分がへたりこんでいることに気がつく。
「ありがとう、ございます」
私は足になかなか力が入らなくて、半ばヴィスキオ様の腕に縋り付くような形で立ち上がる。
だんだんと状況を飲み込めて、冷静に周りを見ることができ始めていた。
バルコニーにいる私たちでも、大広間が騒然としている気配を感じる。
「あの、これは一体……?」
私が顔をあげると、ヴィスキオ様の見た事のないような厳しい表情が目に入る。
私は嫌な予感が駆け上がるのを感じた。
「魔物です」
ぽつり、とこぼすように呟かれた単語は、聖女でありながら、この世界に来て初めて実感を持って耳に入る。
「これは、魔物と瘴気の発生を知らせる、警報です」
「え……」
誰かが、私の耳元で囁く。
――つかの間の平穏は、楽しめたかい?
これは私が、必要とされたいと望んだ罰なのか。
いらない聖女であることを受け入れきれなかった罰なのか。
平穏という名のぬるま湯の中で築いていたものが、ガラガラと音を立てて崩れていく気がした。




