16.護衛騎士、裏切るもの
「聖女様、よろしかったのですか? あんなにおいしいと、喜んでいらっしゃったのに」
「フリッテッレのことですか? はい、あの子たちが笑顔になってくれる方が大切です」
「それに、魔法もとてもお上手になっていましたね」
「それは……シエロ様のレッスンを受けていますから。まだ聖女特有〝真なる〟魔法は使えませんが、光属性魔法であれば、ある程度は習得していると思います」
「そうですか」
「はい。そういえば、ヴィスキオ様の属性はなんです……――」
話ながら聖女はこちらを見上げ、ヴィスキオの顔を見た瞬間にピタリと動きを止めた。
――ああ、俺は今、どんな顔をしているのか。
「ヴィスキオ様」
「はい、なんでしょう」
聖女は、迷っている。
きっと、ヴィスキオに聞いてもいいのか、逡巡しているのだろう。
ヴィスキオはそんな彼女を見下ろし、考えた。
この女は、自分の話を聞いたら、一体全体どんな反応をするのだろうか。
大方、戸惑って、反応に困って、気を遣うように笑って、言うのだ。
――大変だったんですね、と。
ヴィスキオは、この世界に来た聖女をずっと見てきた。
誰にも望まれていない、いらない聖女。
第一印象は、まるで世界で一番自分が可哀想だと言わんばかりの暗い顔をした、悲劇のヒロインぶった女。
それから彼女は魔法に出会い、ロゼに出会い、心からの笑顔を見せるようになった。
そんな顔もするのか、と思わないわけではなかった。
自分の事で精一杯なくせに、人のことばかり気にして。今日だって、きっとヴィスキオを連れてきたのはヴィスキオのことを思ってだったりもするのだろう。
そんな、必死に善人の皮をかぶっている少女が。
ヴィスキオの過去を聞いたらどんな反応を見せるのかと、気になって、しまった。
「聖女様」
ヴィスキオが声をかければ、聖女はパッと顔を上げる。
「少しだけ、昔話をしてもよろしいでしょうか」
ヴィスキオは、手近なベンチを見つけて聖女と2人で腰掛ける。
聖女は、ヴィスキオをせかすことはなく、静かに待ってくれている。
――お人好し。
ヴィスキオはちらりと聖女を見下ろしてから、まっすぐ前のどこでもない、遠くを見つめながら話し始めた。
「聖女様は、私が公爵家の人間であることはご存じですか?」
「はい。次期当主だと、聞きました」
「それなら話が早いですね。確かに私は次期当主ですが、現在の当主と直接血が繋がっているわけではないのです」
「え……」
「要するに、遠い親戚みたいな……。私は6歳まで、平民として暮らしていたんです。母と、2人で」
「……」
「当時、公爵は子どもがおらず、次期当主となる養子を探していたそうです。そこで、なぜか私に白羽の矢が立ちまして。平民暮らしをしていたら、いきなり貴族が家にやってきて、お前は公爵家の血をうっすらと継いでいて、後継として養子になることが決まったと言われたんです」
ヴィスキオは、思い出したくもない、遠い過去のことを思い出す。
あの時は訳が分からなくて、いきなり来て母と自分2人だけの日常が壊され、恐怖した。
のちに出会った養父も養母も優しく誠実な人たちではあったが、当時のただの子どもであるヴィスキオにとっては平穏を脅かす侵略者でしかなかった。
『嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。母さん!! 母さん!!!』
6歳になったばかりの自分の、悲痛な声が耳の奥で響く。
泣き叫んで拒絶し続けるヴィスキオに向かって、母はあるひとつの約束を口にした。
『いい? ヴィスキオ。あなたはもう、うちの子ではなくなるの。でもそうね、1年後、あなたの誕生日にまた会いましょう。以前遊びに行った勿忘草の花畑、覚えている? あそこで待ち合わせをしましょう。もし、その時になってもあなたが養子になりたくないと言うのであれば、帰っていらっしゃい』
幼いヴィスキオは、愚かにもその言葉を信じた。
信じて、1年間必死に耐えたのだ。
後継者教育も、貴族教育も。
今までずっと平民として育ったヴィスキオには辛く感じることも多かった。
けれど、次の誕生日まで頑張れば、母が迎えに来てくれる。
そう思えば、辛い稽古もなんとか乗り越えることができた。
そして、誕生日、当日。
『母さん!! 母さん!!』
お屋敷を抜け出したヴィスキオは、勿忘草の花畑に駆けていった。
ヴィスキオがそこに辿り着いた時には、まだ誰もいなくて。最初は、きっとまだ来ていないんだ。自分が早く来てしまったんだと思っていた。
だが、それから何分待っても、何時間待っても、夜が来てしまっても、母が現れることはついぞなかった。
『母さん。母さん。どうして』
意気消沈したヴィスキオは、ふらふらとした足取りでテール公爵家のお屋敷まで帰った。
そして、見てしまう。
お屋敷の裏手で、厚みのある封筒を受け取る自身の母の姿を。
『ヴィスキオは、非常に優秀な子だ。我が公爵家の後継者にふさわしい。安心して、任せてくれ』
『はい……っ。息子を、よろしくお願いいたします……っ』
体の熱という熱が、全てなくなっていくような錯覚に陥った。
しばらくそこで硬直し、母と公爵の姿がなくなってからも指先ひとつ動かせなくて。
夜の冷気を感じた体が震え始めたことで、ようやくお屋敷に帰らなくてはという考えが浮かんだ。
『ヴィスキオっ。どこにいっていたんだ!』
『もう、心配していたんですよ!』
お屋敷に帰れば、ヴィスキオがいないことに気がついた養父と養母が血相を変えて探し回る姿を見た。
養父と養母は、人形のように瞳から光を失いぼうっとするヴィスキオを見て眉をひそめる。
ヴィスキオはそんな2人を見上げ、この人たちが名実ともに自分の親となるのだとおぼろげに理解した。
理解して、受け入れた。
受け入れたヴィスキオは、自分自身を取り繕うのも早かった。
元々、次期公爵として申し分ないと言われるほど聡い子どもだ。
ヴィスキオはにこりと2人を安心させる笑みを浮かべて、言った。
『心配かけてごめんなさい。父上、母上』
その時の2人の喜びの表情といったら、言葉では言い表せないほどだった。
だが、それでヴィスキオは学んでしまう。
これだ、と。これが正解だ、と。
ヴィスキオの笑顔の仮面は、この時からヴィスキオの顔に貼り付いた。
ヴィスキオは、ひとつの真理を悟っていた。
――人は、裏切るものだ。
人は裏切るものならば。裏切ることが当然なのならば。
――最初から、信頼することこそが、間違いではないか。




