15.護衛騎士、探してしまう
「ふふっ、おいしかったですね」
「そうですね」
聖女は満たされたような顔をして、お腹をさする。
ヴィスキオは昼食に食べたものの味を思い出そうとして……うまくできなかった。
「あっ」
短く聖女が声を上げ、口元に手をあてあるものを凝視している。
視線を辿った先には、かわいらしい看板が掲げられた甘い空気を漂わせるお店があった。
店内に入らなくても持ち帰りで購入できるようになっており、若い女性が多く出入りしている。
「あの……ヴィスキオ様」
「聖女様、並びにいきましょうか」
「は、はいっ」
聖女は心から嬉しいというような満面の笑みを見せる。
――あれをほしがるのか。理解不能だな。
ヴィスキオは貼り付けた笑みを返しながら、内心は冷え冷えとした視線を聖女に向けていた。
店で売られていたのは、小麦粉生地を揚げ蜂蜜をかけて食べるフリッテッレだった。形は手のひら程度の大きさの球体で、こんがりときつね色をしているのが特徴だ。隣国から伝わり、最近王都で流行しているのだとか。
聖女とヴィスキオは人混みから少し離れ、木陰ができているベンチで腰をおろした。
「はわわわ」
聖女はフリッテッレを顔の前に掲げていろいろな角度から眺めている。
「ヴィスキオ様……これは、がぶっといってしまってよいものでしょうか」
「いいのではないですか? ここは王宮ではありませんし」
「で、ですよねっ」
聖女はどうやら、最近ロゼに習っている礼儀作法が脳裏によぎったようだ。
一言ヴィスキオに断りを入れ、いざ、と意気込んでから大きな口を開ける。
「いただきますっ」
サクッといい音がなった。
「ん~~~っ。あ、あつあつ」
はふはふとと息を吐いた聖女は、自分が頬張ったフリッテッレをキラキラした瞳で見下ろす。
「おいしいですっ。サクッとしてて、中はもちもちで。ドーナツみたいです」
「どーなつ?」
「ドーナツっていうのは、元の世界の小麦粉を揚げたお菓子で……フリッテッレに似てますが、フリッテッレよりも軽めです」
「へえ」
ヴィスキオは相づちをうちながら、心底おいしそうにフリッテッレを頬張る聖女を不思議に思った。
王宮ではこれよりも砂糖をふんだんに使った、甘くて見た目も良いお菓子が日常的に出されている。
それなのに、街中の蜂蜜のほんのりとした甘さで食べるような庶民食をこんな表情で食べるとは思わなかった。
「ヴィスキオ様、本当に良かったんですか? こんなにおいしいもの、食べなくて」
「あはは。お気遣いなく。僕はそれ、少し苦手で」
「えっ。そうだったんですか。じゃあ、付き合わせてしまったんですね。申し訳ないです」
聖女はそう言うと、しゅんとうなだれた。
ヴィスキオは特にそれを否定せず、聖女の手の中にあるフリッテッレを見つめた。
ヴィスキオはこれを食べたことはなかったが、王都で食べる庶民のお菓子、というとふと思い出してしまいそうなことがあって、気分が悪くなった。
『ヴィスキオは、お菓子が好きね』
ザッと頭の中にノイズが走る。
ずっとずっと封じ込めてきた、忘れようと決めた過去が、記憶の蓋をノックしていた。
その時、目の端から誰かが走ってくるのが見えた。
反射的にその方向を見れば、フリッテッレを買ってもらってはしゃいだ男の子が、こちらに駆けてきていた。
よくよく見れば、こちら側で兄を待っていたのだろう妹らしき女の子がいる。
男の子は妹にフリッテッレを届けるべく、全速力で駆け――小石につまずきすっころんだ。
ヴィスキオは男の子がつまずいて転ぶまで全て見守り、やはりそうなったかと淡々と思った。
やろうと思えば止めることもできたが、そうしなかった。
男の子は地面に散らばったフリッテッレを見て、絶望したような表情をしていた。ひざもすりむいて血がにじんでいる。
誰もがかわいそうだと感じる光景に、ヴィスキオはなにも思わず、またなにもする気はなかった。
だが、聖女はそうではなかったようだ。
「ヴィスキオ様、ちょっとこれを持っていていただけますか?」
まだ2個残りがあったフリッテッレをヴィスキオに渡し、転んだ男の子の元に駆けていってしまう。
「僕、大丈夫?」
聖女は男の子を安心させるような笑みを浮かべ、できうる限りの優しい声音で話しかけていた。
男の子は目にいっぱい涙をためて、聖女を見上げた。
「お、おねえちゃ。ぼくは、だい、だいじょぶ、だけど、だけど、フリッテッレが……」
「うん。お姉ちゃんに全部任せて。全部大丈夫にしてあげるからね。まずは、傷を見せて?」
聖女はひっくひっくとしゃくり上げる男の子の背をさすり、ひざの様子を見ると、こくりとうなずく。
「うん、これなら大丈夫」
そうつぶやくと、そっと傷の上に手をそえた。
「いたいのいたいの、とんでいけ」
ぱあっと小さく黄金色の光が灯る。
聖女が手を離すと、男の子のひざはすっかり血が止まっていた。
男の子はそれを見ると、驚愕に目を見開く。
「!? お、お姉ちゃん、魔法使いなの!?」
「ふふふ、実はそうなんです。でも、内緒だよ?」
男の子は、こくこくと勢いよく首を縦に振った。
さて、と聖女は妹らしき女の子に目を向けた。
「君は、この子の妹ちゃんかな? こっちにおいで。ヴィスキオ様、こちらに来ていただいてもよろしいですか?」
突然呼ばれ、ずっとなりゆきを見守っていたヴィスキオは聖女の元へ歩く。
聖女はヴィスキオの手からフリッテッレを受け取ると、迷いなくそれを兄妹に渡した。
「はい。これで元通り。まあ、1個だけ少ないかもしれないけれど」
聖女はそう言って苦笑するが、兄妹は聖女の顔とフリッテッレに視線をいったりきたりして、驚きが隠せないようだった。
「ほ、本当にいいの?」
「うん。いいの。お姉ちゃんがあげるって言ってるんだから、もらっていいの」
兄妹は2人で目を見交わせると、聖女に向き直り、声を合わせて口を開く。
「「ありがとう、お姉ちゃん」」
「どういたしまして」
聖女がニコリと笑ってそう返した時、兄妹の名前を呼ぶ中年の女性が姿を見せた。
兄妹の母親らしきその人は、フリッテッレを聖女からもらったことを知ると何度も何度も頭を下げる。
「私がやりたくてやったことです。お礼は必要ありません」
最終的には、お金を払うと言う母親をなんとか押しとどめて、兄妹と別れた。
「「ばいばい、お姉ちゃん!」」
「ばいばーい」
兄妹は、母親の左手と右手それぞれに分かれ手を繋ぎ、安心しきった笑顔で母親を見上げながら去って行った。
ヴィスキオには、その笑顔がどうしてもほど遠いものに、眩しすぎるものに感じて、心が急速に冷え込んでいくことを自覚した。




