12.グランドピアノ
「――……」
「わあっ。ピアノですわねっ」
その部屋は今までとは少々趣が違っていた。
他の部屋は、所狭しとショーケースがおかれていて、それぞれに元の世界の品々が展示されていた。
しかし、最後のこの部屋は、中央にスポットライトが当てられた大きなグランドピアノが鎮座しているだけだ。
グランドピアノはしんしんと降り積もり雪のように静謐で、見る者を圧倒させるような重厚な雰囲気を纏っていた。
「なんだか。わたくしの知るピアノとは、違うところが多々ありますわ。これが、異世界のピアノですか。ルリハ、これを演奏したことはある?」
私は、この部屋に入ってすぐのところで、身動きがとれなくなっていた。
「……ルリハ?」
そんな私に気がついたロゼが心配そうに眉をひそめ、走り寄って私の手を握ってくれる。
「ルリハ? どうかしましたの?」
「……あ、ロゼ……」
ロゼは、私の顔をのぞきこんでギョッとしたように目を見開いた。
「るっ、ルリハっ、どうしたんですのっ!?」
気がつけば、私の目からぽろぽろと涙がこぼれていた。
私は、泣いてしまった私自身に驚いて、必死にその涙をぬぐう。
「あ、れ……? お、おかしいな。なんで泣いてるんだろ、私」
ただ、思い出してしまったのだ。
元の世界でのことを。
私は、母が死ぬ中学3年生の時まで、ピアノ教室に通っていた。ピアノが、大好きな女の子だった。
どうして、急に思い出してしまったのだろうか。
あのピアノが……日本製の有名なメーカーのものだったから?
遠くからでも分かる。かつての私は、毎日毎日あの楽器を演奏していた。
ピアノを見た瞬間に、記憶の蓋が開いて、溢れてしまった。
『瑠璃羽!!』
かつての、幼馴染みでピアノのライバルでもあった友人が私の名前を呼ぶ姿を。
――燈花。
あの子は今、どうしているのだろうか。
「ルリハ!!」
痛くなるほどの力で腕をつかまれて、私は記憶の渦から抜け出した。
一瞬、ロゼの姿が燈花と重なって、めまいがしそうになる。
「ルリハ、しっかりしなさいな! わたくしの名前はなんですのっ?」
「ロゼ……」
「意識は、しっかりしてきたようですわね」
目の前でロゼが、ほっとしたように息を吐く。
どうやら、とても心配をかけてしまったようだ。
「心配かけてごめんね、ロゼ」
「いいえ。わたくしも油断していましたわ。ここは、ルリハにとって辛い場所かもしれないのに……」
ロゼは、自分の方が痛みをこらえるような顔をすると、おずおずと上目遣いで私を見上げる。
「ルリハ、もしよければ、泣いた理由を聞かせて欲しいですの」
私は数秒、逡巡した。
これはあくまで私の問題だし、元の世界であった出来事を話すのは骨が折れるだろう。
考えた末に導き出したのは、嘘ではないが、真実でもない答えを口にすること。
「ちょっと、すごいなあって、思っただけ」
「すごい……?」
「うん。歴代の、聖女様たち。これだけの物がそろってるってことは、それだけ多くの聖女がこの国に来て、役目を果たしたってことでしょ?」
私は控えめな笑みを浮かべる。
「私は、いらない聖女だから、そんな風に求められて役目をこなした聖女がすごいなあって、思っただけ」
そう言った瞬間、私はこの言葉が間違いであったことを悟る。
だって、ロゼが心から傷ついた顔をしたから。
「それは、違いますわ!! ルリハは、ルリハは、いらない聖女なんかじゃないんですのよ!!」
「ロゼ……?」
「みんな、みんなみんな、分からず屋ですわ! いきなり違う異世界に放り込まれた聖女が、どれだけ心細い思いをするか!! たとえ、聖女の力を求めてはいなくとも、聖女がこの世界のために来てくれた、そのことをもっと感謝するべきなのです!!!」
「……」
「わたくしは、わたくしは悔しいんですの。ルリハのことを軽率にいらないと言う人たちも、ルリハ自身にいらないと言わせた周囲の全ても、ルリハにそう思わせたままであるわたくしも! 全部全部、許せませんわ!!」
ロゼは、そう言うと、くちびるを噛んで本当に悔しそうに涙を瞳ににじませる。
そんなロゼに、私は言葉を失った。
こんな風に言ってくれる人が、いるなんて。
――ああ、この世界に私を呼んだという最高神は、どうしてわざわざ私を召喚したのだろう。
「ありがとう、ロゼ。私はロゼがそう言ってくれるだけで、充分だよ」
「わたくしが、嫌なんですの~~……っ」
「ふふっ」
「笑い事じゃ、ないんですのよ~~っ」
こんなに優しい人が、私のために泣いてくれている。
それだけで、満ち足りたような気持ちになった。
私は、この世界にとっていらない聖女であることは変わりないけれど、ロゼだけは、そうではないと言ってくれる。
それが、心の底から嬉しかった。
「ありがとう、ロゼ」
ロゼがしっかり泣き止んでから、私たちは資料館をあとにすることにした。
「お邪魔しました」
「いえいえ、この資料館は、聖女様のご来訪を心よりお待ちしております」
帰りも、資料館の管理人さんが私たちを見送ってくれた。
ロゼは赤くなった目を隠すように、扇で顔を隠してさっさと外に出て行ってしまう。
ヴィスキオ様も、そんなロゼに続くように前を歩いて行ってしまった。
私も2人の後ろに続こうと一歩踏み出したとき
「聖女様」
管理人さんの囁き声に歩みを止めた。
何事だろうと振り向くと、管理人さんは一冊の本を差し出していた。
「これ、は?」
「歴代聖女様方の、日記帳です」
「え……」
日記帳だというそれは、しっかりとした茶色の革の装丁で、辞書のような厚みがあった。
私はそれを、誘われるように受け取る。
管理人さんは、私が日記帳を確実に受け取ったのを見ると、にこりと笑みを浮かべる。
「こちらは、聖女様がお持ちになるべきものですので。どうか、お持ちくださいませ」
私は、無言でじっとそれを見下ろす。
歴代聖女の、日記。
こんなものが、あるなんて。
「ルリハー? どうしましたの?」
ロゼの響く声が耳に入り、私はハッと歩みを再開した。
ちらりと後ろを振り向くと、深々と頭を下げた管理人さんが見える。
私は、決して落とさぬようにと、日記帳を抱きしめ直した。
ロゼと別れ部屋に戻り、ヴィスキオ様を帰した私は、ベットに腰掛け手に持った日記帳をじっと見つめる。
帰り際、ロゼとヴィスキオ様から日記帳を隠すようにしてしまったのは、反射的にとしか言いようがない。
この中に、私以外の歴代聖女たちの思いが書かれている。
じっとりと、手に汗がにじんだ。
意を決して、ページをぱらりとめくる。
最初に目に飛び込んで来たのは『帰りたい』という言葉だった。




