4 開幕戦4回の攻防
四回表。
「どう?」
ベンチ裏でアンダーシャツを着替えて、ベンチに戻った楓はスコアブックをつけている朋美に声をかけた。
「ツー・アウトよ」
「そっか、準備しとかないとね」
「足の方は本当に大丈夫なの?」
「投げる分には問題ないわ。しっかりテーピングしてるし」
「……」
朋美には、楓の言葉が強がりを言っているようにしか見えなかった。
その時、八番、堀がサード・ゴロに倒れ、四回表の攻撃が終わった。
「さあ、行くよ」
楓がベンチを出て、グラウンドに向かう。
四回裏 一塁側ベンチの前ではブルー・ライナーズの選手たちの円陣が組まれていた。
「いいか、もし沢木がマウンドに立ったら、ツーストライクと追い込まれるまでバントの構えをして、沢木を走らせろ」
串田監督が指示した。
「沢木は足首を怪我しているんですよ」
「だからこそ、やるんだ。スター・レイカーズごときに白星を我がチームがくれてやるわけにはいかん。何としても引きずり下ろすんだ」
「わかりました」
ブルー・ライナーズの円陣が解かれた。
打席には四番、霧原が入る。
何としても、頑張らなきゃ。
楓は表情にこそ出さなかったものの、右足首には激しい痛みが走っていた。
楓は朋美のサインに頷き、一球目を投げようとした。
その瞬間、四番である霧原がなんとバントの構えをした。
え!
楓はボールを投げると同時に本塁へ向かってマウンドを降りた。
「うぐっ」
楓の右足首が地面に強く着地した瞬間、頭をつんざくような激痛に襲われた。
楓はバランスを失い、前のめりに倒れ込んだ。
霧原は投手の前にきっちりと転がした。倒れている楓を横目に三塁手の美登里が慌ててボールを拾ったが、一塁は間に合わず、セーフとなった。
「沢木!」
内野手が楓のまわりに全員集まった。
「ごめん、転んじゃった」
楓は照れ笑いをして、ゆっくりと立ち上がった。しかし、まわりの野手の表情は険しかった。
「もう限界ね」
千鶴が言った。
「やだなぁ、大丈夫ですって――」
楓がそう言うやいなや、千鶴の平手打ちが楓の頬に飛んだ。
楓が真っ赤になった頬を押さえて、驚いた様子で千鶴を見る。
「降板しなさい」
「あたし、まだ投げられます」
楓は強い口調で言った。
「甘くみないで。ブルー・ライナーズは四番の霧原さんにまでバントをやらせて、攻めてきた。本気であんたの足を攻めてきたのよ」
「あたしは絶対に降りません」
楓はあくまで強気であった。
「そう、だったら、野球も一人でやったら。みんな、もう守る必要はないわ」
「横山さん、待ってください」
朋美が口を開いた。「横山さんの言いたいことはわかります。でも、今は喧嘩してる時じゃないはずです。みんな、楓を助けてあげて」
普段は冷静な朋美が頬を紅潮させ、少し感情的になっていた。
「わかったわ。沢木、そのかわり、一つ条件出すわ。守備は私たちでやるから、あんたは投げることに専念しなさい。もし守備のために走ったりしたら、即座にマウンドから下ろすからね」
「はい。千鶴さん、ありがとう」
楓はいつのまにか目にたまっていた涙を拭き、笑顔で言った。
「それじゃあ、守備につくよ」
野手がそれぞれの守備位置に戻った。
絶対に抑えてみせる。
楓は五番打者・丸渕に向かって一球目を投じた。
一塁走者・霧原がスタートを切る。同時に打者がバントの構えをする。
打者の構えを見て、三塁手の美登里が勢いよくダッシュをした。
投球はハイライズ・ボール。しかし、楓の足の踏ん張りがきかないのが、ボールがベースの直前より前に浮き上がる。
丸渕がバットを引く。捕手の朋美はジャンプして、ボールを捕った。
くっ。
送球のタイミングを失った朋美は、二塁に投げることができず、霧原は楽に二塁に盗塁した。
もう魔球は無理。変化球主体でいくわ。
朋美がブロック・サインを楓に送った。しかし、楓は首を振る。
ごめん。ここは魔球で押す。
楓はメガ・スライダーのサインを出し、二球目を投げた。ボールはまたも大きく曲がりすぎ、朋美は横にジャンプして、ベースから大きくそれたボールをダイビング・キャッチした。
二塁走者、霧原はすかさず走って、三塁への盗塁を成功させた。
こんなピッチングしてたら、ホームスチールまでされるわ。けど、楓の性格から言って、ピンチになるほど、魔球に頼る。どうしたらいい。
朋美は自問自答した。
その時、観客の声援がざわめきに変わった。一塁側から宮田監督が出てきたのである。
監督……
宮田はマウンドまで行くと、楓に言った。
「交代だ」
「待ってください。あたしは――」
「秋月!」
宮田は外野の秋月を大声で呼んだ。
「はい」
瑞香がマウンドまで走ってくる。
「沢木をレフトに回す。秋月はベンチに戻れ」
「はい」
「監督……」
楓が宮田をじっと見る。
「少しでも休め」
宮田はそう言うと、マウンドを降り、主審に交代を告げに言った。
八番レフトの堀のところにピッチャー、幸田輝美が入り、楓がピッチャーからレフトに変更された。
リリーフ・カーに乗り、ブルペンから輝美が現れ、マウンドに上った。
楓は足を少し引きずりながら、レフトの守備についた。
〈スターレイカーズ、選手の交代をお知らせいたします。ピッチャー、沢木に替わりまして、幸田〉
輝美は黙々と投球練習を行った。
「監督、沢木を残す気ですの?」
ベンチに戻ろうとする宮田に美登里が声をかけた。
「沢木をこのまま下げて、この先、ライナーズ打線を抑えられるか?」
「それもそうですわね」
打席には再び丸渕が入る。輝美はカウントが悪いこともあって、逃げ腰になり、丸渕を簡単に四球で歩かせた。
さらに続く六番打者・光野には、コントロールを気にして、ストライクを取ろうと真ん中付近に投げたところを痛打され、無死満塁となった。
打席には続いて七番打者・小熊が入る。
駄目だ。全然、手が振れてない。
「タイム」
朋美はたまらず主審にタイムを取り、マウンドの輝美に歩み寄った。
「幸田さん、コントロールは気にせず、腕を思いっきり振って、投げてください」
「投げてるわ」
「投げてません!」
朋美は強い口調で言った。これには輝美も圧倒される。
「逆転されても、全て私の責任です」
「責任って言うけど――」
「お願いします」
朋美は深く頭を下げた。
「わかったわよ」
「ありがとうございます」
朋美はマウンドを降り、ポジションに戻った。ゲームが再開される。
どうなっても知らないわよ。
輝美はセットポジションから一球目を思いっきり腕を振って、投げる。外角ストライク・ゾーン狙ったが、大きく外れ、ボールとなった。
輝美は朋美の言うように腕を振って投げ続けたが、コントロールが定まらず、ボールを連発した。
「ボール、フォア・ボール」
小熊が四球で歩き、押し出しで一点が入った。さらにその後、四球で三人の打者を歩かせ、四点を追加され、ついに四-四と同点となった。
くっ、情けない。みんなが取った四点を私一人のせいで帳消しにしてしまった。
「幸田」
ショートの千鶴が歩み寄った。
「横山さん」
「ストレート、走ってるじゃない。あんたがあんないい球、投げられるなんて、知らなかったわ」
「え?」
「点差は気にしなくていい。思い切って投げな」
千鶴はそう言って、ポジションに戻った。
私の球が走ってる?そういえば、何人かは私のボールで空振りしてた。
気を取り直し、打席の二番打者・金居に輝美は投げた。高めのストレート。甘いボールだったが、金居は振り遅れたあげく、空振りした。
「ストライク」
審判がコールした。
もしかして、いける?
輝美は二球目を投げる。先程のコースよりさらに甘い真ん中のストレート。金居は踏み込んでバットを振りにいった。
「ファール」
金居はバットに当てたものの、球速に押され、一塁側へのファールとなった。
いける。
輝美は一塁ランナーを一度見てから、三球目を投げる。
内角高めから落ちてくるカーブ。同じ腕の振りでストレートと思った金居は不意をつかれ、のけぞるような仕草を見せたが、ボールはストライク・ゾーンで捕手のミットにおさまった。
「ストライク。バッターアウト」
審判のコールに金居は面食らいながら、渋々とベンチへ戻った。
よしっ!
輝美は、心の中に沸々と自信が湧いてくるのを感じた。
いいわ、幸田さん。元々、いい球が投げられるのよ。
朋美も手応えを感じ取った。
続く三番打者・石崎には最初に外角へボールとなるカーブを投げた後は二球続けて内角へストレートを投げ、セカンド・フライに打ちとった。石崎が投手の腕の振りに翻弄され、最後までカーブとストレートの区別がつかなかった。
打席には打者一巡で四番・霧原が入る。
ここは慎重に。
これまで強気を求めてきた朋美も霧原には注意するように、初球は輝美に外角のボール球を要求した。
今の私なら、霧原さんでも抑えられるわ。
しかし、速球に自信をつけた輝美は、初球、外角ストライク・ゾーンへ高めのストレートを投じた。
カーン!
次の瞬間、霧原の速いスイングが輝美の投球を捉えた。ライト方向へ飛んだ打球はぐんぐんと伸び、ライト・スタンド中段へ飛び込んだ。満塁ホームランである。
球場が大歓声に包まれる。
輝美は呆然としたまま、膝を付いた。
八-四。ブルー・ライナーズがついにこの回、逆転に成功した。




