3 開幕戦3回の攻防
三回表の攻撃。
九番打者、廣橋茜が右打席に入った。茜はベースから離れた打席の一番端に立っている。
なるほど、ボールが恐くて、打てないってわけね。
東瀬はど真ん中にストレートを投げ込んだ。
「ストライク」
審判のコール。
茜はバットを構えながら、二日前の夜のことを思い出していた。
★ ★ ★
茜は、夜通しグラウンドでバットの素振りを続ける瑞香の姿をグラウンドに降りる石段に座り、じっと見ていた。チーム内でも瑞香のハードな練習ぶりが噂になっていたのだ。
「あー、先客だ」
楓と朋美が茜の姿を見つけ、言った。
「こんばんは」
「廣橋さんは打撃練習してるの見たことないね」
楓は脳天気に茜に言った。
「バカッ、知らないの、廣橋さんは――」
朋美は楓の胸を叩いた。
「いいのよ。私、死球を受けたショックで、ボールを打つのが恐くなってしまった」
「そうなんだ」
「監督は守備さえしっかりやってくれれば、一切打たなくていいって言ってくれたの。でもね、そうは言っても……」
「克服したいの?」
「そりゃあね」
「じゃあ、やろうよ」
「楓、イップスって言うのは、そんな単純じゃないんだよ」
「例えば、この柔らかいゴム・ボールから始めるって言うのはどう?」
楓が握力強化用にいつも握っているゴム・ボールを見せた。
「……そうね」
茜はゴム・ボールを見て、決心した。
それから、茜のイップス克服への特訓が始まった。
打席でバットを構えた茜に対し、楓が茜の体近くの内角目がけて、次々とゴム・ボールを投げた。
最初は顔、目がけてきたボールに怯える茜だったが、ボールが当たっても痛くないことがわかると、茜はボールに怯えず、少しずつ避けられるようになった。楓は、ボールのスピードを徐々に上げていき、ボールは茜に何度も当たった。しかし、大して痛くないという安心感からか、次第にバットも出せるようになってきた。
数時間後には、ゴム・ボールに関しては完全にイップスを克服していた。
★ ★ ★
「ストライク・ツー」
東瀬が二球目もど真ん中にストレートを投げ込み、簡単に追い込んだ。
もしかしたら、いけるかもしれない。
茜がベースのそばに寄って、構えた。
なぁに、私が甘い球ばかり投げると思ってるの。勝負するなら、容赦しない。
東瀬が三球目を投げた。
しまった、行き過ぎた。
内角高め、すっぽ抜けたストレート。あわや顔面直撃かというボールを茜は間一髪、体を後ろに反らして避けた。
東瀬は帽子を取って、謝った。
ボールが見える。
楓から変化の激しいゴム・ボールでの内角球を散々投げられた茜には、ボールを避ける耐性がいつのまにか、ついていた。
あんたには悪いけど、これで踏み込めまい。
四球目。東瀬は外角にスライダーを投げた。
いける。
茜は果敢に踏み込み、バットを思い切り伸ばして、右方向へ流し打った。ボールはライトに飛び、右翼手はワン・バウンドで捕球した。ライト前ヒットだ。
打てた!
一塁ベースに達した茜は飛び上がって、喜んだ。
「いいぞー、茜さん」
楓が声援を送った。
打てないんじゃなかったのか。
東瀬はマウンド上で戸惑った。
〈一番、レフト、レン。〉
レンが右打席に入り、独特の鞘から刀を抜くようなバットを逆手に持つ構えをする。
東瀬がセットポジションに入ると、一塁ランナーの茜が大きくリードを取った。
捕手のサインで東瀬は素早く一塁に牽制球を投げる。茜は頭から一塁に戻る。
「セーフ」
一塁塁審のコール。
再び東瀬はセットポジションに入る。茜もベースからゆっくりと離れ、リードを取る。
内野手がバントに備えて極端な前進守備をとる。
東瀬がセットポジションからレンに投げた。三塁手が前進する。内角のストレート。
レンは窮屈なバット・スイングながら、手を動かさず腰の回転だけで一塁側へ打った。
速い打球は一二塁間を抜け、ライト前ヒットになる。ノーアウト一塁二塁。
続く二番、瑞香は丁寧に送りバントを決め、ワンアウト、二塁三塁となった。
〈三番、ピッチャー沢木〉
楓が右打席に立つ。
東瀬は捕手のサインに頷き、楓に一球目を投げた。低めのストレート。外角に狙ったが、やや内側に入った。
楓はコンパクトにバットを振り、ボールをセンターへ打ち返した。
打たれた……。
センター前に飛んでいく打球を見て、東瀬は舌打ちをした。。
二塁ランナー茜は三塁ベースを蹴り、本塁へ向かう。レンも二塁をまわり、三塁へ。さらに楓も一塁をまわり、二塁を狙った。右翼手は捕球と同時に素早く二塁へ投げた。
楓は二塁に向けスライディングを敢行。二塁手が二塁ベースのライン上で捕球体勢をとり、ベースを塞ぐ。
二塁手がライトからのワン・バウンド返球を捕った。二塁手の足をすくって、楓の足がベースに入った。
「アウト!」
審判のコール。
その時、足をすくわれ、一瞬、宙に浮いた二塁手が楓の足に全身でのしかかった。
「うっ」
楓がうめいた。
二塁手の膝が楓の右足首に全体重を乗せて落ちたのだ。
二塁手はすぐに立ち上がったが、楓は動けなかった。
一塁ベンチからトレーナーと朋美が飛び出し、楓のもとに駆け寄る。
「楓、大丈夫?」
朋美は心配そうに楓の顔を見た。
「心配ない、大丈夫」
楓はすぐに立ち上がった。しかし、その直後、足首の痛みに顔をしかめる。
「あんた、まさか、足を――」
朋美はすぐにしゃがんで楓の足首を見ようとした。しかし、楓は足を引く。
「楓……」
「心配ないって言ってるでしょ。ほら」
楓はその場で走る真似をした。「ねっ、大丈夫」
楓はそう言うと、先にベンチの方へ走っていってしまった。
「トレーナー、楓の様子を見てきて」
「わかったわ」
トレーナーもすぐに楓を追った。
三回表は、結局、楓のタイムリーヒットで一点のみで攻撃を終わり、四-〇となった。
その裏、楓は強引にマウンドに上り、ブルー・ライナーズの一番からの打線を三者凡退に抑えた。




