1 引退試合
九月二〇日、雷電スタジアムでは、プロ野球・東京ファルコンズ対名古屋ブラボーズの最終戦が行われていた。
既にリーグ優勝が決定し、事実上は消化試合に過ぎなかったが、球場には三万五千人という観客がつめかけた。その理由は今日がある男にとって最後の試合となるからであった。
試合は九回裏、名古屋ブラボーズ三点リードで、東京ファルコンズ、最後の攻撃を迎えていた。
ツーアウト満塁。
九番打者のところでファルコンズの監督がベンチから出て、審判に選手の交代を告げた。
審判が場内アナウンスに交代選手の名前を告げに行く。
〈ファルコンズ選手の交代のお知らせをいたします。九番長野に替わりまして、代打宮田〉
場内アナウンスが流れると、球場内が歓声に包まれた。
バットを持った一人の選手がベンチから出てくる。
その選手に球場の誰もが注目した。
その選手はバットを杖代わりにして、右足にほとんど重心をかけずにバッターボックスまで歩いていった。その歩き方はさしずめ右足を骨折したけが人のよう。ユニフォームを着ていなければ、とてもこれから投手の球を打とうという人間とは思えない。それほど、彼の歩き方は不自然でぎこちなかった。
しかし、観客は彼のその歩き方そのものに驚くことはない。それは観客にとっては周知の事実だからだ。
宮田慶吾、三十八歳、右投左打。彼は、右足が義足の野球選手であった。今シーズンの成績六〇打数八安打、本塁打八本、打点一七。走れない彼にとっては本塁打以外は安打にならなかった。
過去に三冠王を三度とったこの男に今、観客が注目を寄せているわけは、彼にとってこの打席がプロ最後の打席だからであった。
宮田は左打席に入った。
「最後の打席だってな。だが、俺はただで打たせるほど甘くないぜ」
ブラボーズの捕手が上目遣いで、宮田に小声で言った。
「……」
宮田は無視した。
「プレイ」
審判が声を上げる。
ブラボーズの投手は捕手のサインにうなずき、第一球を投げた。
外角低めのストレート。
「ストライク!」
審判が声を上げる。
「あんたのその足じゃ踏み込めまい。どうやって外角を打つ気だい」
捕手がまた小声で宮田に話しかけた。
「……」
宮田は無表情のまま、打席で構える。
「ちっ」
捕手は投手にサインを出した。
投手はうなずいて、第二球を投げる。今度も外角のストレート。
さあ、どうする。代打屋さんよ。
捕手はちらっと宮田を見た。
なにっ!
捕手は思わず心の中で声を上げた。
宮田は左足にずっと体重を乗せたまま、右手を放し、左手一本で腕を伸ばし、まるでテニスラケットでも振るかのようにバットを振りにいったのである。
しまった!
捕手が舌打ちした。
外角低目のストレートはコントロール重視のあまり、球威がなかった。
宮田のバットが外角球を芯で捉える。
「ぐっ!」
宮田は歯を食いしばって、思いっきりバットを振り切った。
打球がレフト・スタンドへ飛んでいく。
その瞬間、打球の行方を追って、両チームのベンチから選手たちが飛び出した。捕手が立ち上がり、投手が後ろを振り返る。
左翼手が打球を追った。
打球はぐんぐんと伸びていく。
そして――
レフトポールの左側ファウルゾーン数センチのところをよぎって、スタンドへ消えた。――ファウルであった。
球場内に観客のため息がもれた。
捕手はほっと胸をなで下ろした。
「残念だったな。これであんたは終わりだよ」
捕手は宮田に静かに言った。
「ストライクッ!バッターアウト。ゲームセット」
審判のコールで球場全体が一瞬静かになった。
しかし、打席の宮田が、バットを杖にして再びベンチの方へ歩いていく時、客席そして両ベンチから拍手が送られた。




