2 特訓
翌日から宮田と鷲見トレーナーによる楓の野球特訓が始まった。
楓に強制はしない、無理はさせないと楓の祖父と約束し、了解を得た。
楓は、野球という未知の遊びが全てにおいて新鮮なのか、覚えるのが早かった。打ち方、投げ方、取り方、一度、宮田が見せたものは一度で全て覚えた。
その代わり、野球のルールなど言葉で説明されたものは、飲み込みが悪く、すぐに聞くのをやめてしまう。
しかし、ともすれば、すぐに飽きてしまうような退屈な練習でも、宮田と一緒だと、宮田の真似をするように一生懸命ついていった。
そして、二週間が過ぎた。
「あの子、信じられんな。毎日、練習に付いてきてるぞ」
夜、宿でビールを飲みながら、鷲見が宮田に言った。
「正直、すぐに音を上げるかと思ったんだがな。プロの練習は厳しいんだぞって、教えるつもりが、逆にこっちが教え込まれてるよ」
「どうするつもりだ、あの子」
「どうするって?」
「俺たちが帰ったら、あの子はまた一人ぼっちだ。お爺さんも言っていたが、散々野球を教えておいて、時期が来たら、さよならか」
「俺に引き取れとでも?」
「いいや、そうじゃなくてさ、野球が出来るような環境へ移してやれないのかと思って。あの子は十年に一人の天才だよ」
「学校にも行かせてないわけだからな。何とかしてやりたいが、俺たちがどうこう出来るものでもない。やれることだけやってやろう」
楓は日に日に野球選手として成長し、三週目には、もはや宮田のいい練習相手となっていた。
「いくよぉ」
この日は楓が宮田の打撃投手を務めることになった。硬球は肩に負担をかけるため、投球は一日二十球限定にしている。
マウンドで楓が振りかぶって、ボールを投げた。
宮田がボールを弾き返し、弾丸ライナーで場外へ運ぶ。
「すごぉー」
楓は感心して、ボールの行方を見守った。
重い球だ。小学生とは思えん。
楓の投球フォームに関しては、宮田と鷲見の共同作業で、肩や足腰に負担をかけず、体のバランスと回転で投げるフォーム作りを行った。
打撃フォームに関しても、パワーではなく、体の回転とボールの球威に逆らわずにバットにボールを乗せて打つ遠心力を利用した緩いフォーム作りに着手した。
「いやっほぉ」
楓は打撃練習になると、長打性の当たりはないが、ライトにレフトにセンターにと、軟体フォームで、自由自在に打ちまくった。
クローズド・スタンスから、バットを掲げるように手と一緒に頭上に真っ直ぐ伸ばし、ゆらゆらと揺らす。そして、ボールが来ると、振り子のようにバットを下ろして、ボールをバットに乗せて、飛ばすのであった。
これは腰の回転と手首の返しが鋭く、握力が強い楓ならではの打法であった。
十二月二十五日。
楓の実家に招かれた宮田と鷲見は、クリスマス・ケーキと料理を持ち寄り、楓に新しいバットとグラブをプレゼントした。
「どうもありがとう」
楓はグラブをぎゅっと抱きしめた。
「メリー・クリスマス」
楓は、居間のテーブルでケーキに立てられたロウソクの火を吹き消した。
楓はクリスマスを祝うのが生まれて初めての経験であった。
「すげぇ、おいしいよ、お爺ちゃん」
楓はフォークでケーキを食べながら、言った。
「孫のために本当にありがとうございます」
老人も宮田たちに礼を言った。
「楓ちゃんを学校へ通わせることは出来ませんか?」
「実は、昨日、娘から手紙が来まして、再婚したので、娘を引き取りたいと言ってきました」
「そうですか」
「ですが、迷っとるんです。再婚した娘の夫にもこの子の三つ上の娘がおりまして、果たしてうまくやっていけるのかと」
「はぁ」
「それに、わしもこの年で、楓がいなくなるのは辛いんですじゃ」
「大丈夫だよ、お爺ちゃん。楓はお爺ちゃんのそばにずっといるから。楓、大きくなったら、慶ちゃんと同じ野球選手になって、お爺ちゃんを楽にしてあげるね」
楓は元気に言った。
一月十日。
宮田と鷲見はチームのキャンプに参加するため、東京へ出発することになった。
定期船の出る港には、楓と楓の祖父が見送りに訪れた。
「これが練習メニューだ。もし本気で野球選手になりたいなら、練習は続けろ」
宮田は楓にメモを渡した。
「ありがとう」
「それから、これも楓に預けておこう」
宮田は楓に一冊のノートを渡した。
「何、これ?」
楓はノートを開いた。
「死んだ友人が考えた魔球の投げ方を書いたノートだ」
「魔球?」
楓は不思議そうな顔で宮田を見る。
「特別な条件をクリアした人間でしか投げられないボールと言ったところかな。このボールを投げられるのはプロ野球の世界では一人しかいないが、楓なら、投げられるかもしれん」
「楓、絶対、魔球、投げてみせる。今度、慶ちゃんが着た時までに」
楓が力強く言った。
「シーズン・オフを楽しみにしているよ」
宮田は楓と握手をし、船に乗り込んだ。
その年のシーズン・オフ、宮田と鷲見は再び島へ自主トレに訪れたが、楓の姿はなかった。楓の祖父が亡くなり、楓は楓の母に引き取られたからであった。




