1 霧原麗華
翌日、横浜の港町ウェーブ・スタヂアムでブルー・ライナーズとスター・レイカーズのオープン戦が午後一時から行われた。
この日は監督の宮田が外出のため、代理監督してチームのオーナー兼選手でもある朝野美登里が務めることになった。
「ついにこの日が来ましたわ。今まで監督のダメ采配に泣かされてきましたけど、今日はわたくしが見事、勝利して、わたくしの有能ぶりを監督に見せつけてやりますわ、ほほほほほほ」
美登里は試合前からテンションが最高潮に達していた。
「どうでもいいけど、審判が早く先発メンバーのリストを出せって言ってるわ」
ベンチで一人盛り上がる美登里に千鶴が声をかけた。
「もうできてますわ」
美登里は千鶴にメンバー表を渡した。
千鶴はメンバー表を見た。
「……」
千鶴は溜息をついた。「何これ?」
「あら、気に入りませんの?
一番 レフト レン・チャン
二番 ショート 羽佐間
三番 ライト 沢木
四番 サード わたくし
五番 ファースト リンダ
六番 センター 堀
七番 キャッチャー皆岸
八番 セカンド あなた
九番 ピッチャー 本井
まさに完璧なオーダーでなくて」
「あのさ……」
「あら、八番ではご不満?あなたが頭を下げてお願いすれば、七番にあげて差し上げてもよいのよ」
「どうでもいいけど、沢木はいないよ」
「いないですってぇ。まさかサボり?」
「監督命令で、真崎と一緒に新人の秋月の練習を手伝ってやってるんだ」
「試合と新人の練習とどっちが大事だと思ってるんですの?」
「それは監督が決めること。あんたも代理監督なら、与えられた戦力でやりくりしなさいよ」
「くうぅぅ」
美登里は歯ぎしりさせて、千鶴から先発メンバー表を奪い取り、くしゃくしゃにした。
「私は八番でも九番でもいいわ。あんたが決める分にはね」
千鶴は苦笑して、グラウンドに戻っていった。
この日の試合、朋美にとっては、他の選手以上に気合いが入っていた。
こんなに早くブルー・ライナーズと対戦できるなんて。
かつて母から逆転サヨナラ本塁打を放ち、母を引退に追い込んだブルー・ライナーズの四番打者、霧原麗華。今年で三十六才という現役最年長ながら、昨年も四十二本塁打を放ち、本塁打王を獲得。チームの三連覇に貢献した。
投手として霧原と対戦できないとは言え、この日のために朋美はビデオを見て、霧原への配給を研究した。
一回表の攻撃に備え、守備につくため、ベンチでレガースを装着していた朋美に同じ捕手の磯口が声をかけた。
「皆岸、ちょっといい?」
「はい」
朋美が手を止め、磯口を見る。
「ブルー・ライナーズの選手の対策はしてきたわね」
「はい、ビデオと磯口さんのくれた配球ノートを参考にさせていただきました」
「参考にはなった?」
「はい」
「じゃあ、なぜうちの投手がブルー・ライナーズにいつも打たれてるのかわかるわね」
「え?」
「あなたが私より上だと言うところを見せてみて」
磯口は軽く朋美の肩を叩くと、朋美のもとを離れていった。
一回表、先攻・ブルー・ライナーズの攻撃。
一番打者の藤江が右打席に入った。
捕手の朋美は藤江を見た。
藤江選手はバットを短く持ち、オープン・スタンスで構えている。これは一見、内角が強そうに見えるが、実は内角の見極めが出来ないから、こういう構えになっている。だから、まず内角を意識させる。
朋美は、投手の本井にサインを送った。
本井が頷き、第一球を投じた。内角高めの速球。見送ればボールだ。しかし、藤江がバットを思わず出し、一塁線のファウルとなる。
そうそう、内角きわどいところは、必ず手を出す。
朋美はもう一度、本井に同じ球を要求した。本井が二球目を投じる。藤江が再びバットを出し、バック・ネットを越えるファールとなった。
よし、二ストライクに追い込んだ。後は外角にボールを投げ、目をそちらに向けさせ、最後は内角の変化球でボール球を振らせる。
朋美は本井に外角へのボール球のサインを送った。本井が頷き、三球目を投じた。
え?
しかし、外角を要求したはずの本井のストレートがすうっとシュート回転して、真ん中へ入った。藤江がそれをバットで叩き、センター前に持っていった。
そんな……
藤江がヒットで一塁に出塁する。
続いて、二番打者、金居が右打席に入った。すぐにバントの構えをする。
守備陣がバント・シフトをとる。三塁手が少し前に出る。
ここは三塁手に獲らせるよう内角へ投げさせる。
朋美は、内角ストレートのサインを出した。
本井が金居への一球目を投じた。朋美の要求通りの内角ストレート。
金居は窮屈な体制でバントし、ボテボテのゴロが三塁に転がった。
よし。
朋美は三塁手に二塁を指示しようとしたが、藤江の足は思った以上に早く、既に二塁ベース近くまで走っていた。
「一塁!」
朋美は一瞬迷ったが、一塁へ投げるよう声を出した。
しかし、猛然と奪取してきた美登里が素早く転がったボールをグラブでさばくと、声を無視して果敢に二塁に送球した。
二塁ベース・カバーに入った千鶴がボールを取ったが、ランナーの足が速く、審判はセーフの判定をした。
ノーアウトで、ランナーは一塁二塁となった。
「皆岸、指示が遅いですわ」
「……すみません」
落ち着くのよ。
朋美は自分で自分に言い聞かせた。
三番打者、石崎が右打席に入った。
朋美には、ネスクト・バッターズ・サークルにいる次の打者、霧原のことが気になり始めていた。
内野は併殺シフトを獲る。
ここまでのところ、本井さんの今日のストレートは、シュート回転している。ぎりぎりのコースの要求は無理だ。変化球でカウントを稼ぎ、最後は内角で詰まらせ、ゴロを打たせよう。
朋美は本井にカーブのサインを出す。
一球目は大きく外れ、ボールとなった。
朋美は本井に続けてスライダーのサインを出す。
しかし、これも外れて、ツー・ボールとなった。
駄目だ。変化球が決まらない。しかも、相手は変化球にぴくりとも動かない。どうする。このカウントでストライク・ゾーンを要求すれば、狙い打たれるかもしれない。けど。
朋美はサインを送った。
三球目、ど真ん中のカーブ。石崎はあっさり見送り、ワン・ストライク、ツ-・ボールとなった。
やはり、狙いはストレート。ならば、ここはフォーク・ボールで。
朋美は低めに落ちるフォーク・ボールを要求した。
本井は四球目を投じた。
しかし、本井のフォーク・ボールは全く落ちず、ど真ん中のストレートとなった。
石崎は見事にその球を打ち返し、ライトに持っていった。ライト前ヒットとなり、二塁ランナーが生還して、ブルー・ライナーズがあっさり一点を先制した。
要求しても、ボールがその通り来ない。どうやって、リードすればいいの。
四番打者、霧原が打席に入った。霧原が入ると、三塁側から大声援が上がる。
間近に見る霧原は、朋美にとって、とてつもなく大きく見えた。体格だけでなく、長年四番に座り続け、偉大な成績を残してきた風格が霧原には備わっていた。打席に立つだけで、ぴりぴりとした重圧と緊張感が朋美に押し寄せてくる。
こんなのと、お母さんは対決していたんだ。今の状態で抑えられるのか。
朋美も霧原対策は行ってきたつもりであった。霧原は打てないゾーンはないが、高低を使った攻めには、打ち損じが出る。特に高めのボールで追い込んだ後、外角へ落とすボールが有効であることはわかっていた。
ここは定石通りいくんだ。
朋美は心に言い聞かせ、本井に高めのボール球になる直球のサインを出した。ボールだが、霧原がよく手を出すゾーンで必ずファールとなり、カウントが稼ぎやすいポイントであった。
本井がサインに頷き、霧原に一球目を投げた。
よし、高めのストレート。
朋美の要求通りの球が来た。朋美が立ち上がって、ミットを高めに構える。霧原がバットを振った。
カキーン!
朋美がもらったと思った瞬間、霧原がバットで捉えたボールは、センター方向へ弾丸ライナーで飛んでいった。そして、外野手が一歩も動くことなく、センター・バック・スクリーンに飛び込む。
満塁ホームランであった。
どうして……
朋美は呆然と立ちすくんだ。
三塁側から大歓声が上がり、ランナーが次々とホームに帰ってくる。
勝てない。私には無理だ。
最後にホームに帰ってくる霧原の姿を見て、朋美は初めての恐怖を感じた。




