4 スカウト
警察署を出ると、宮田は待たせてあったタクシーに瑞香と一緒に乗った。
「この住所へ行ってくれ」
宮田は刑事から受け取った瑞香の住所を書いたメモを運転手に渡した。
車が発進する。
瑞香はしばらくふて腐れたように宮田から顔を背け、窓の景色を眺めていた。
「どうゆうつもりだよ」
瑞香は窓の景色を見つめたまま、宮田に言った。
「ん?」
「カードを俺に預けたなんて、口裏合わせやがって」
「不満か?」
「ありがたいね。けど、もう三〇万はつかっちまったよ。戻ってこないぜ。それにしても、バカだよな、有名人のあんたがカードの暗証番号を自分の誕生日にしてるなんて」
瑞香は宮田の方を向いた。
「かもな」
宮田は素っ気なく言った。
「……」
瑞香は宮田の言葉に一瞬、沈黙したが、すぐにニヤッと笑った。「あんた、もしかして俺とやりたいの?そんな片足の男じゃ、女に到底、もてそうにないしな。たまってんだろ。いいぜ、一晩、つきあってやっても」
「あいにく、女のおまえには興味はない」
「あんた、そっち?」
瑞香は胡散臭そうに宮田を見た。
「三十万は返してもらう。一ヶ月間の労働でな」
「何だよ、それ。俺に風俗店で働けって言うのか」
「おまえの頭の中はそっち系のことしか頭にないのか?おまえにはプロ野球の選手になってもらう」
「プロ野球の選手?俺が?」
「そうだ」
「バカ言うなよ、俺は野球なんかやったことねえぜ。大体、プロ野球の選手なんかに簡単になれるわけねえだろ」
「俺は今、女子プロ野球チームの監督だ」
「え?」
「おまえの肩の強さとコントロールが気に入った」
「嘘だろ?」
「冗談でこんなことが言えるか」
「ま、待てよ」
宮田の話にこれまでふざけ半分だった瑞香の顔に戸惑いの色が現れた。
「つきましたよ」
その時、タクシーの運転手が車を止めた。
「さあ、降りろ」
宮田の言葉で瑞香はタクシーから降りた。
しかし、宮田はタクシーから降りる様子はない。
「何だ、寄っていくんじゃないのかよ」
「そんなこと言ったか?もう用件は伝えた」
「いや……それはそうだけど……お茶ぐらいなら出すよ」
瑞香はぎこちない様子で言った。
「わかった」
宮田は運転手に料金を払い、車を降りた。
瑞香は先頭になって、杖で歩く宮田を案内した。
家と家に挟まれた狭い道を通って、奥へ進むと、二階建ての木造アパートが見えた。築五〇年以上はたっていそうなボロボロのアパートで、あちこち補強の後は見られるものの、いつ潰れてもおかしくない状態であった。
「家賃いくらだ?」
宮田は建物を見た瞬間、瑞香に訊いた。
「一万五千円さ。六畳一間。風呂なし。トイレは共同」
「そんなところで五人で暮らしてんのか?」
瑞香と宮田は金属製の外階段を昇った。階段は錆びついていて、茶色く変色し、一段昇るたびに、きしむ音がする。
「奥の部屋だよ」
二階の通路の右側には三つのドアがあった。
しかし、奥のドアの横には洗濯機が置いてあるのに、手前と真ん中の部屋には洗濯機がなかった。
「もうこんなアパートに住んでるのはうちらだけだよ」
宮田が何か言う前に瑞香が答えた。
その時、奥の部屋のドアが開いた。
中から子供たちがどっと現れた。
赤ん坊を抱いた小学校低学年の女の子とさらに四、五歳の男の子が二人。
「お姉ちゃん、おかえり」
子供たちが瑞香の顔を見ると、笑顔になって駆け寄った。
通路が激しく揺れる。
「おいおい、ボロいんだから、走んなよ」
弟や妹たちを前にすると、瑞香の表情が柔らかくなった。
「赤ん坊がいるが、母親は二年前に死んだんだろ?」
小声で宮田が瑞香に訊いた。
「親父の愛人が置き去りにしてったんだよ」
「お姉ちゃん……」
瑞香の後ろの宮田の存在に気づくと、子供たちは急に怯えた表情になり、瑞香の服をつかみ、すりよった。
「心配すんな。借金取りじゃねえ。俺の知り合いだ。順子、お茶の用意してくれ」
「うちにお茶なんかないよ」
赤ん坊を抱いている女の子、順子がぼそぼそとした声で答えた。
「ちっ、じゃあ――」
瑞香は小銭入れを出したが、金はほとんど入っていなかった。
「順子ちゃん、これで飲み物でも買ってきてくれないか」
宮田は順子にお金を渡そうとした。
「おい、よけいなことすんな!」
瑞香は急に恐い顔をして、怒鳴った。
子供たちはびくっとして、肩を萎縮させる。
「自分の分くらい、自分で出すよ。残りはお駄賃だ。それでいいだろ」
「わかったよ。順子、行ってきな」
宮田は順子にお金を渡すと、順子は赤ん坊を瑞香に預け、階段を下りていった。
宮田は瑞香たちと部屋に入った。
部屋は六畳の畳部屋で小さな台所が玄関のすぐ横にあった。
タンスも一つしかなく、部屋には布団が引きっぱなしで、衣類やゴミ袋が散乱していた。
「適当に座ってくれ」
瑞香は台所でヤカンに水を入れると、ガスコンロに火をつけ、その上にヤカンを置いた。
「足の踏み場もないな」
宮田は衣類をどかして、腰を下ろした。
「五人姉弟か」
「一番上が俺。次は今、お使いに行った七才の順子、五才の幸二、四才の誠、一才の満恵だ」
「妹たちを養うために売春や万引きをやってるのか?」
「そんなつもりはないよ」
瑞香も座った。「十九じゃ、金があったって、誰も部屋貸してくれないだろ。だから、大人になるまで、ここにいてやってるのさ。俺は男の世話になるのなんて、絶対ごめんだからね」
「おまえが出ていったら、この子たちはどうするんだ?」
「親父は戻ってこねえだろうし、そのうち、施設が引き取るだろ。俺には関係ないね」
「だったら、好都合じゃないか。うちのチームに来れば、今すぐ寮に移れる。ここともおさらばだ」
「……人に指図されんのは嫌なんだよ」
「父親が出ていって、どれくらいたつ?」
「一年くらいかな」
「連絡は?」
「ねえよ、来るのは借金取りだけ。おかげで、こいつらは恐がって、順子以外は一人で外に出ていけねえんだ」
「いくら借金があるんだ?」
「さあね、五百万以上はあるだろ」
「なるほどな。じゃあ、入団する気はないんだな」
「ああ。金だって返さないぜ」
「じゃあ、諦めるか」
「え!?」
宮田のあっさりとした答えに瑞香は驚いた顔をした。
「何だよ、さっきは働けって言ったくせに」
「忙しいんでな。他の奴を見つけるよ」
宮田は杖を使ってゆっくりと立ち上がった。
「お湯、もうすぐ沸くぜ。順子だって帰ってくるし」
「気持ちだけもらっておく。じゃあな」
宮田は玄関で靴を履くと、部屋を出ていこうとした。
「お、おい」
「何だ」
「……」
瑞香は言おうか言うまいか何かを考え込んでいる様子だった。
「はっきり言え。俺とおまえとはこれっきりだ」
「ちっ、言えばいいんだろ。俺は今、ここをひと月も離れるわけにゃいかねえんだよ。そんなことをしたら、弟や妹たちを離ればなれにしちまうからな」
「施設に預ければいいじゃないのか?」
「うるせえな、物事には時期ってもんがあるんだよ。今はその時期じゃねえ」
「じゃあ、その問題が片づけば、俺のチームに入るんだな」
「ああ、ひと月でもふた月でもただ働きしてやるよ」
「それなら、妹たちを寮へ連れてこい。俺が何とかしてやる」
「え……」
「おまえも含めて丸ごと預かってやるって言ってんだ。ただし、おまえがチームをクビになれば、妹たちも寮を追い出す。逆に成績を残せば、いくらでも置いてやる」
「……」
「一日やる、妹たちとよく相談するんだな。決心がついたら、電話しろ」
宮田は名刺を床に投げると、部屋を出ていった。
ここから抜け出せる……けど、失敗したら、こいつらも道連れにしちまう。
その時、順子が紙袋をかかえて部屋に戻ってきた。
「お姉ちゃん、今、あのおじさんに会ったんだけど……」
順子は瑞香の顔色をうかがいながら、おどおどした様子で言った。
「順子、大事な話がある。幸二、誠にもだ」
瑞香は順子、幸二、誠を自分のそばに集めた。




