9 入団テスト
白水川グラウンド。
寒空の中、グラウンドには百人近い女性が集まっていた。
皆、スターレイカーズの入団テスト希望者たちである。
審査にはスターレイカーズの監督である宮田自らが当たることになっていた。
「結構、来てるんだなぁ」
ソフトボール部のユニフォームで来ていた楓は、落ち着かない様子でまわりを見ていた。
「あれ、みんな、ゼッケンつけてる。どこでもらうんだろう」
楓が戸惑っていると、
「ゼッケンは向こうで応募票と交換してるわ」
と誰かが声をかけた。
「あっ、すみません」
楓が声の方を向いて礼を言おうとした。「あっ、朋ちゃん」
「遅いわよ」
「朋ちゃんが一緒に行ってくれれば、遅刻しなかったのに」
「今日はお互いライバルよ。お互い頑張りましょう」
「うん」
「これより、スターレイカーズ入団テストを行う。一次テストは走力と遠投のテストだ。走力は百メートルを十三秒以内、遠投は百メートルを最低基準とする。参加者は係官の指示に従って、テストを受けるように。それでは、みなの健闘を祈る」
宮田監督が台の上に立ち、グラウンドの参加者全員を前に拡声器を使って伝えた。
「いよいよ始まるんだ」
楓は先ほどの動揺もすっかり消え、期待に胸を躍らせていた。
走力テストは五人ずつ百メートルの直線を走る形で行われた。スタートにはスタートの合図をする係員。ゴールにはストップウォッチを持つ係員が五人いる。
楓たちより先に走った参加者のトップは、見事十一秒四の記録を出した。
「すごいなぁ。あたし、あまり走るの、速くないんだよね」
ゼッケン八七の楓はゼッケン八八の朋美に話しかけた。
「黙って。集中できないわ」
緊張感のない楓に朋美が真顔で注意した。
「ごめん」
走力テストの順番は次々と進み、楓たちの番となった。
楓たち五人はスタートラインに立つ。
「このテスト、必ずあなたに勝つわ」
朋美が楓を見て、言った。
「うん」
楓は朋美の迫力に圧倒されていた。
「ゼッケン八六番から九〇番、位置について」
係員がピストルを上に構える。「用意――」
パンッ!
係員がピストルを撃った。
楓と朋美はほぼ同時にスタートを切る。
朋美は走力は速く、五〇メートルを過ぎたところで楓との差を五メートル以上つけていた。
絶対に合格するんだ。
ラスト二〇メートルで朋美はスパートをかけた。
朋美はトップでゴールにたどり着いた。
「ゼッケン八八、十二秒一」
ゴールの係員が朋美に伝える。
楓は最下位であった。
「ゼッケン八七、十三秒四」
「すごいね。頑張ったけど、負けちゃった」
楓が朋美に歩み寄る。
しかし、朋美は楓を一瞥しただけで、その場を通り過ぎてしまった。
続く遠投テスト。ホームベースから硬球をセンターに向かって投げ、その距離を計測する形で行われた。
「沢木楓は、足は速くありませんね」
テストを見守る宮田にコーチが話しかけた。
「まぁ、あいつは足より手だからな。速い方だよ」
順番は進み、楓の番となった。
「ようし、行くぞぉ」
楓は試投もせず、いきなり投げた。
ボールは放物線を描いて、フェンスを遙かに越え、場外まで出てしまった。
これには記録員も驚いた様子であった。
「八七番、推定一五〇メートル」
「まぁ、こんなものかな」
楓はあっけらかんとした様子で言った。
「……」
目の前でとんでもない遠投を見せられて、朋美は言葉が出なかった。
続いて、朋美が投げた。
朋美の投げたボールは外野フェンスの前で地面に落ちた。
「八八番、一〇七メートル」
朋美は係員の声を聞いて、微笑んだ。
一次テストが終了し、参加者が一カ所に集められた。参加者は全員体育座りをして、待機している。
「これより一次テスト合格者を発表する」
台の上の宮田監督が記録用紙を見た。
「一七番」
「はい」
ゼッケン一七番の参加者が返事をする。
「呼ばれたら、その場に立って」
ゼッケン一七番の参加者が立ち上がった。
「二十五番」
ゼッケン二十五番の参加者が返事をして、立ち上がる。
その後、十五人の合格者の名前が呼ばれ、さらに
「八十七番」
「はい」
楓は慌てて立ち上がった。
「八十八番」
「はい」
朋美が返事をして、立ち上がった。
「一次合格者は以上十九人だ」
宮田は記録用紙を係員に渡す。
「やったね」
楓と朋美が手を取り合う。
「ちょっと待って下さい」
その時、一人の参加者が立ち上がった。
「何か質問でも?」
「八十七番の人は、走力で合格ラインの基準に達していません。どうして合格なんですか?」
「合格ラインはあくまで振り落としのための基準だ。走力で少々劣っても、遠投でトップなら、落とす理由はない。プロ・テストは受験じゃないんだ。使える選手を獲る」
「……」
「よし、続いて、打撃テストを行う。各自、係員の指示に従うように」
「はい」
「八十八番、ちょっと来てくれ」
宮田は朋美を呼んだ。
「何でしょうか」
「君の参加票を見せてもらったが、希望は投手とあるな」
「はい」
「野手に代えろ。可能性があっても、投手なら合格には出来ん」
「まだ、見てもいないのに」
「見なくてもわかるさ。君は氷島野球部のレギュラーになれなかった。そのレベルと言うことさ」
「私は霧原と勝負がしたいんです。投手で駄目なら……」
「他のチームのテストを受けるか?それは構わないが、実績もない君を採用するかな。俺が君をこのテストに呼んだのも、楓のモチベーションを上げるためだ」
「え?」
「君は楓のおまけだ。今のところはな」
「そんな……楓だって、実績はないじゃないですか」
「彼女はこの俺から空振りを取ったこともある」
「今のあなたなら空振りぐらい私だって取れます」
朋美は宮田を睨みつけた。
「ほお。そいつは面白いな」
宮田は笑った。「俺から一度でも空振りを取ったら、後のテストを飛ばして、投手として入団を認めてやろう」
「本当ですか?」
「ああ。ただし、こちらも条件を出す」
「何でしょうか?」
「もし俺が勝ったら、投手は諦めろ。楓のサポートに回れ。それで入団させてやる」
「……いいわ」
「みんなの中で誰か内外野の守備についてくれないか?」
宮田の呼びかけに何人も名乗り出た。宮田はメンバーを適当に選び、守備につかせた。
「どういうつもり?」
「どういうつもりも何も君は一人で野球をするのか?」
「あなたには一球だって打たせやしない。捕手一人いれば、十分だわ」
「まあ、そう言うな。勝負はワンアウト勝負。君が俺から一球でも空振りを奪うか、三振でもゴロでもフライでもアウトを取れば、君の勝ちだ。四球はノーカウント。ただし、俺がヒットを打てば、俺の勝ちだ。最も俺は走れないからホームラン以外はヒットにならないけどな」
「こんなの勝負にならないわ」
「放棄するなら、俺の勝ちだ」
「……いいわ。後悔しても知らないから」
朋美はそう言い放って、マウンドの方へ歩いていった。
「何があったの……」
楓はベンチのそばで心配げにマウンドの朋美の姿を見ていた。
「元々は、あなたのサポートだから、あの子は」
いつのまにか楓のそばに千鶴が立っていた。
「どういうことですか?」
「彼はあなたを即戦力と買ってる。でも、十五才の女の子が一人でプロに入団するのは精神的にもきついわ。だから、あなたのサポートとして、あの子を獲ろうと考えてるの。そのことにあの子は納得いかなかったんじゃない」
「そりゃあ、そうですよ」
「けど、あなたは彼女と一緒にプレイしたいでしょ」
「……」
「入団すれば、条件は一緒。チャンスはあるというのに、ここで負けたら、全てが終わりよ」
「いつでもいいぞ」
宮田はバットを杖代わりに足を引きずりながら、左打席に入った。
私はお母さんの仇を討つんだ。そのためには投手をやめるわけにはいかない。
朋美は軸足をプレートに置いた。
「私だって、投げられるんだから」
朋美はノー・ワインドアップから一球目を投じた。
一三〇キロはあろうかという内角低めの速球。
「あたしの球より速い……」
楓は思わず呟いた。
ボールはベース寸前で急上昇。
ハイライズ・ボール……
宮田は構えたバットをぴくりとも動かさず見送った。
「ストライク」
審判役の係員がコールした。
「すごい、朋ちゃんも投げられたんだ」
楓は呆然とする。
「……」
千鶴は腕を組んだまま、黙っていた。
どう、私のボールは。私だって、昔、お母さんに教わって以来、この日のために練習してたんだ。
朋美は二球目を投げた。
またもハイライズ・ボール。
「……」
宮田はそれを同じように見送った。
「ストライク・ツー」
審判のコール。
「この勝負、先が見えたわね」
千鶴が呟いた。
「え?」
楓が千鶴を見る。
「一球目より二球目の方がわずかに切れが悪い」
宮田はバットを構えたままの姿勢を崩さず、マウンドの朋美を見ていた。
「これが最後よ」
朋美は最後の三球目を投げた。
内角低めの直球。
よし、上がれっ!
ベース手前でボールが上昇する。しかし、千鶴の言葉通り上昇角度が明らかに前の球より低かった。
これまで微動だにしなかった宮田のバットが獲物を捉える狼のように動き出した。
上昇するボールと振り下ろされるバットが激突した。
その瞬間、宮田はバットをものすごい速さですくい上げた。
そんな!
ボールは弾丸のような速さで朋美の頭上を越えた。
朋美はしばらく身動きできなかった。
宮田がゆっくりと一塁に向かって歩き出す。
「誰か、早くボールを一塁へ」
朋美ははっとして、後ろを向いた。
しかし、後ろの野手は動かなかった。
「何してるのよ、誰かアウトにしてよ。誰かぁっ!!」
朋美は声がかれんばかりに叫んだ。
宮田は黙々と塁上を回り、本塁に帰ってきた。
「何でアウトにしてくれないのよぉ」
朋美はマウンドに両手両膝をついた。そして、土をぎゅっとつかむ。
「君の負けだ」
宮田が静かに言った。
「楓のボールより球威だってスピードだって上だったわ。なのにどうして……」
「君はハイライズ・ボールの弱点に気づいていないようだな」
「!」
朋美が顔を上げ、宮田を見た。
「ハイライズ・ボールは投げれば投げるほど、球の切れも球威も悪くなる。魔球を開発した君のお母さんでさえ数球が限界だった」
「そんな、だって楓は……」
「君は、楓がハイライズ・ボールをたくさん投げられることで、自分も同じように投げられると勘違いしていたんじゃないのか」
「勘違い……」
「朋ちゃん!」
楓がグラウンドに入り、朋美のもとに駆け寄った。
「楓……」
朋美が愕然とした顔で楓を見つめた。「私の負けよ」
「今日はね。また今度、相手してもらえばいいじゃない」
「楓は楽観的だね」
朋美は苦笑した。「私、全然気づかなかったわ。あんなにあんたのハイライズ・ボールを受けてきたのにね。楓はすごいピッチャーだわ。とてもかなわない」
「何言ってんのよ、朋ちゃんだっていい球投げてたじゃない」
「ふざけないでよ」
朋美は肩を震わせて、言った。
「朋ちゃん?」
「私の方があんたよりずっと野球の練習してきたのに、どうしてあんたの方がうまいのよ。お母さんが必死の思いで修得した魔球を簡単に自分のものにしちゃってるじゃない」
朋美の目からは涙が流れていた。
「負けじゃないよ」
「え?」
「だって、入団決定でしょ。今は投手じゃなくても、霧原さんと同じ舞台に立てば、きっとチャンスはあるよ」
「楓……」
「慶ちゃん――じゃなかった、監督」
楓は宮田の方を向いた。
「ん?」
「あたし、朋ちゃんを絶対に立派な投手にして見せます。頑張りますから」
楓はそう言うと、にっこり笑った。
その日、沢木楓と皆岸朋美の入団テスト合格が決まり、晴れて二人はスター・レイカーズの一員となったのであった。




