3 申し出
遠坂霊園。
広い敷地にブロックのように立ち並ぶ墓地。
平日と言うこともあって、人の姿もほとんどない墓地を朋美が歩いていた。
朋美は右手に花と線香を持ち、左手には鞄を持っていた。
朋美はある白い石の墓前で足を止めた。
墓石には皆岸家の名前が刻まれている。
朋美は墓石に備え付けの花瓶に花を添え、マッチの火で線香を炊いて線香立てに置いた。
そして、墓前で目をつむり合掌する。
「お父さん、今年でもう十年になるね。わたし、十五歳になったよ」
ガサッ。
その時、朋美の近くで落ち葉を踏む音がした。
朋美はふっと目を開け、音のした方を見た。
「あなたは……」
朋美は目を細めた。
朋美の目の前には長身で杖をついた宮田が立っていた。
「宮田慶吾です」
宮田は小さく頭を下げた。
「宮田さん。東京ファルコンズの……」
「もう引退しましたがね。君は?」
「私は皆岸泰幸の娘、朋美です。父とお知り合いですか?」
「彼とは同期入団だった。新人の時、一年だけだったが、いいライバルだったよ」
宮田は杖をつきながら、皆岸の墓のそばに歩み寄った。
「もしかして、毎年、父の命日に花を添えてくれたの、あなたなんですか?」
「ああ」
「どうしてそこまで」
「彼が亡くなる一ヶ月前かな。彼の入院先の見舞いに訪れた時、彼から一冊のノートを渡された」
「ノート?」
「彼の野球の全てを書き写したノートだ。もし自分の夢を実現する能力を持つ選手に出会えたら、このノートを渡してほしいってね」
「……」
「彼は、本当は奥さんにその夢を託したかったようだが、彼には残された時間が少なかった。だから、私に渡したんだろう」
「あなたはそれを沢木楓に渡したんですか?」
「……沢木楓を知っているのか?」
「私のクラスメイトです。母でも完全には修得できなかったハイライズ・ボールを自在に投げてました」
「私も見たよ。引退試合の後、彼女に勝負を挑まれてね。すごい球だった」
「楓とは、どういう知り合いですか?」
「彼女とは、私の自主トレ先のキャンプ地で知り合った。君は人の走るスピードと同じ速さで、十五キロの距離を木から木へ飛び移って、進むことが出来るか?」
「……」
「彼女は私のロードワークにそれでついてきた。まるで猿のようにね」
宮田は思い出し笑いをした。「彼女の中に、私は自然の中に開花した天性の素質というものを見た気がしたよ。鍛えれば鍛えるほど成長する彼女を見て、私は皆岸が探していた人材は彼女だと思った。だから、彼女にノートを預けたんだ」
「父はどうしてノートを母に預けなかったんですか?」
「ん?」
「そのノートを母に預けていれば、母は魔球を自分のものに出来ていたかもしれない。魔球があれば、母は霧原に打たれることもなかったし、肩を壊すこともなかった」
朋美の言葉には、悔しさと悲しみが込められていた。
「楓のことを知っていると言うことは、君も野球をやっているのか?」
「はい。中学卒業したら、プロのテストを受けるつもりです」
「君のお母さんはそのことを?」
「母は関係ありません。私は母みたいに負け犬で終わりたくない」
「お母さんのことをそう悪く言うもんじゃない。立派な選手だったじゃないか?」
「負け犬ですよ。だから、父はノートを預けなかった。所詮は、監督の指示を無視して、霧原と勝負したあげく、ホームランを打たれて、チームのみんなを裏切り、解雇されたピッチャー。どこがかっこいいんですか。おまけに今は保険の外交員……」
その時、朋美の後ろで人の気配を感じた。
朋美は振り返った。そこには紀久子が立っていた。
「お母さん……」
「……」
紀久子は悲しそうに朋美を見つめていた。
「くっ」
朋美はその場を逃げ出すように駆けだした。
「宮田さん、お久しぶりです」
紀久子は頭を下げた。
「娘さんは勘違いをなさっていますよ。ノートを私に預けるように皆岸に進言したのは、あなたでしょう」
「もう終わったことですから、いいんです。ただ、ちょっとショックでしたけど」
紀久子はよろけそうになった。
宮田がそれを受け止める。
「すみません」
「いいえ」
「沢木さんという子、本当にハイライズ・ボールを修得したんですか?」
「ええ」
「では、プロに?」
「プロ・テストは受けると言っていました。私ももうすぐスター・レイカーズの監督に就任する予定ですが、監督となったら、スカウトするつもりでいます」
「お願いがあります」
「はい」
「娘もプロ・テストを受けるチャンスを与えてはくれないでしょうか」
「本気ですか?」
「はい」
「わかりました。考えてみましょう」




