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5 因縁の試合

 土曜日、午後一時。


 氷島女子中学のグラウンドではソフトボール部と野球部との試合が行われることとなった。


 前の試合と違い、今度は新聞部があおったこともあって、ギャラリーがたくさんいた。


 試合直前のソフトボール部のベンチ。


「まさか、野球部と対戦することになるとはね」

 部員の藤谷が言った。


「私はどこでも歓迎だよ」

 楓が言った。


〈これよりソフトボール部対軟式野球部の特別試合を行います。部員のみなさん、グラウンドに集合して下さい〉


 グラウンドの隅に設けられた即席実況席で放送部がアナウンスした。


「さあ、みんな行くよ」


「はいっ!!」


 楓を先頭に九人の部員がグラウンドへ駆け出した。


 野球部のベンチからも十五人の部員がグラウンドに向かう。


 野球部とソフト部が二列縦隊に並び、向き合った。


 三年の野球部員は二年の部員と違い体格が少し大きく、威圧感があった。


「あなたが沢木ね。私は野球部のキャプテン高峯。あなたの球、見せてもらうわ」

 高峯(たかみね)は楓を見下ろして、言った。


「ルールは野球のルールにのっとり九イニング制とする」

 野球部顧問の山川監督が言った。


「あの、山川先生、それではうちの部員が――」

 ソフトボール部顧問の谷村が弱々しい口調で言った。


「あんたは黙っててくれ」


「いいですよ。どんなルールでも勝ちますから」

 楓は自信ありげに言った。




「これより、試合を始める。一同、礼!」


「お願いします!」


 野球部とソフト部がお互い礼をして、試合開始となった。


先攻はソフトボール部である。


「先発メンバーを決めるわよ。審判に知らせなきゃいけないから。

 一番 セカンド  山根。

 二番 ショート  藤谷。

 三番 キャッチャー皆岸。

 四番 ピッチャー 私。

 五番 ライト   西野。

 六番 ファースト 内田。

 七番 レフト   境。

 八番 サード   田村。

 九番 センター  長谷川。

 これでいいわね」


「あ、あの」

 一人体操服姿の朋美が楓に声をかけた。


「ん?」


「どうして私が三番でキャッチャーなの?」


「あたしの球が捕れるの、野球経験者の藤谷しかいないんだけど、名川がいないんで、今日はショートやってもらおうと思って。もしかして、ショート、やりたい?」


「そうじゃないけど」


「私が推薦したんだ。私よりも皆岸の方がキャプテンとあうんじゃないかと思って」

 藤谷が小声で朋美に言った。


「藤谷……」




〈一回の表、ソフトボール部の攻撃、一番セカンド、山根さん〉


 山根依子がバッターボックスに入る。


 マウンドには身長一メートル七五センチの投手柴原が上がった。


 で、でかい。


  山根は柴原に打つ前から圧倒されていた。


 バットを短く持って。


 山根は恐る恐るバットを構える。


「プレイボール!」

 審判がコールする。


 柴原が巨体をうならせて、第一球を投げた。


「ストライク!」


 ど真ん中のストレート。山根はボールが通過してから、バットを振っていた。


「せんぱーい、打てません」

 山根がベンチの方を向いた。


「当たらなくてもいいから、思いっきり振って。バットの握りを甘くして、タイミングで振るの!」

 楓がベンチから指示した。


「はい」


 柴原が第二球を投げた。


「やああっ」

 山根がボールも見ずに思いっきり振った。


「あっ」

 バットの先にボールが当たって、ぼてぼての一塁ゴロになった。


「山根、走れ!」

 楓が叫ぶ。


「はい」

 山根は懸命に走った。しかし、捕手がボールを取って素早く一塁に投げ、アウトになった。


「すみませんでした」

 山根が息を弾ませながらベンチに戻る。


「ナイスよ、当たるだけ大したものよ。次はもう少し前に飛ばそ」

 楓が優しく声をかけた。


「はい」



〈二番 ショート 藤谷さん〉



 次の打者、藤谷が打席に入る。


 柴原は半速球のストレートを投げた。


 藤谷がバットを振る。


「当たった!」


「走れ!」

 ベンチから部員の声が飛ぶ。


 藤谷の打球はセカンドゴロとなり二塁手が軽くさばいて、一塁に送球しツーアウトになった。


「ちっ」

 柴原はプレートを軽く蹴った。


「おい、何や、今のストレートは」

 捕手の風間が柴原のもとに歩み寄った。


「こんなお子様相手の試合、真面目にやってらんねえよ。ただのゴロでキャーキャー騒ぎやがって。俺は来年には野球の名門山名学園に行くんだ」


「監督命令やぞ」


「俺たちはもう野球部員じゃない。監督命令なんか関係ねえ」


「あーそうかい、そんなら、好きにしぃや」

 風間が怒って、戻っていく。



〈三番 ファースト 皆岸さん〉



「朋ちゃん、頑張って!」

 楓からの声援が飛ぶ。


「……」

 朋美が打席に入る。


 皆岸、てめえだけは絶対に抑える。


 柴原はムッとした。


 柴原は朋美に第一球を投げた。鋭いカーブが決まる。


「ストライク」


 ふん、どうだ。


 柴原は第二球を投げた。またもカーブ。


 しかし、朋美は待ってましたばかりにそのカーブを打った。


 打球は放物線を描いてセンターを守る外野手の前に落ちる。センター前ヒットである。


「いいぞー」

 一塁ベースに立った朋美に再び女子部員の声援。


「ちっ」

 柴原は朋美を睨みつけながら、舌打ちした。



〈四番 ピッチャー 沢木さん〉



 楓が声援を受けて、左打席に入る。


 捕手の風間が立ち上がった。


「何だ?」

 柴原が聞く。


「敬遠や」

 風間が言った。


「おい、冗談だろ」


「監督が指示してる」

 風間が自軍のベンチを指さした。


「ふざけるな、勝負だ」


「OK」

 風間は諦めて、座った。


「コラッ、柴原、監督の指示が聞こえないのか」

 ベンチから監督の山川が大声を上げる。


「俺はもう部員じゃない。勝手にやらせてもらう」


(ふん、男子野球部に連戦連勝だかなんだか知らないが、所詮ソフト部だろ。俺の変化球を打てるもんか)


 柴原は大きく振りかぶり、第一球を投げ込んだ。その時、一塁の朋美が走った。


 カーブが外角に決まる。


「ストライク!」


 風間がすぐに立ち上がって二塁に送球。


「セーフ!」


 送球がワンバウンドとなって、朋美は二塁盗塁に成功した。


「皆岸ぃ……」

 柴原は歯ぎしりをした。


 朋美は素知らぬ顔で二塁塁上に立っている。


 柴原は続く二球目をカーブでストライクを取り、三球目を内角のストレートでついたがボールとなった。


 今のストレートでもう踏み込めまい。後は俺のウイニングショット、スライダーを外角に決めてやる。


 柴原は四球目を投げた。


 ストライクゾーンのスライダー。


 楓は踏み込み、バットをぶつけるようにして打ちにいった。


 打球がレフトへ飛ぶ。


 当てられた!だが、振り遅れ。レフトフライだ。


 柴原がそう思って、後ろを向いた時、打球はレフトフェンスを越えていた。


 塁審が手を回す。ツーラン・ホームランである。


「嘘だっ!」

 柴原はグラブをマウンドに叩きつけた。


 その間に楓がベースを一周し、部員に大声援で迎えられる。


「ありゃあ、すごいわ」


 風間が感心して、柴原のもとに歩み寄った。


「畜生!」


「監督が敬遠しろって言うのも無理ないわ。あれは超高校級。スイングスピードが速い」


「あいつはソフト部だぞ」


「だから、何や。ソフト部だろうと野球部だろうとすごい奴はすごいんや。次からは真面目に行くで」


 風間は柴原の尻をミットで叩いて、戻っていった。


 続く五番の西野は、カーブにタイミングを狂わされ三振し、一回の攻撃は二点で終わった。



 一回裏、野球部の攻撃。


 一番に柴原が登場した。


「借りは返すぜ」


 右打席に入った柴原は楓を睨み付けた。


「タイム」

 楓は捕手の朋美を呼んだ。


「全球、ハイライズ・ボールで行くから」


「私、捕れるかどうか」


「大丈夫。この日のために練習したでしょ」


「わかった」

 朋美はポジションに戻った。


「プレイ」

 審判がコールする。


 楓は足を大きく上げて、オーバーハンドから第一球を投げた。


 さあ、来いっ!!


 柴原はバットを構えた。


 球速百キロ前後の真ん中低めのストレート。


 確か上昇するんだよな。


 柴原はぎりぎりまでボールが来るのを待った。


 来たっ!


 ベース手前でボールが急上昇する。


「もらった!」


 柴原は上からバットでボールを叩きにいった。


 バットにボールが命中する。


 うっ、重い。


 だが、打球は捕手の頭上に上がった。


 朋美が余裕のキャッチ。


「アウト!」

 審判のコール。


「くそぉ、こんなのインチキボールだ。細工がしてあるぞ」

 柴原がわめいた。


「どれ」

 審判が朋美からボールを受け取り、確認した。「ボールに細工はない。プレイを続行する」


「ちっ」

 柴原はイライラしながら、ベンチに戻っていった。


 間違いない。お母さんが投げていた魔球ハイライズ・ボール。スピードはお母さんより遅いけど、完成度は楓の方が高い。これを本当にずっと投げ続けるというの?


 結局、楓はその後、二番、三番を内野フライに打ち取り、この回を終えた。


「ねえ、楓、こんな変化球、どこで編み出したの?」

 ベンチに戻る際、さりげなく朋美が楓に尋ねた。


「前にね、ある人に教えてもらったの」


「ある人って?」


「あたしの野球の先生」


「誰なの?」


「教えてもいいけど、朋ちゃんは信じてくれるかなぁ」


「どんな名前出したって、信じるわ」

 朋美が強い口調で言った。


「うんとね、宮田慶吾選手、東京ファルコンズの」


「嘘……」


「ほら、やっぱり信じない」


「だって……どういう知り合いなの?」


「知り合いって言うか、友達だよ。話すと長いの」


「そう……」




 その後、試合は、柴原が立ち直り、二回、三回は楓と共にゼロに押さえたが、四回にまたしても朋美、楓の連続二塁打で一点を奪われ、八回表までで三―〇とソフトボール部にリードを許し、八回裏、野球部の攻撃を迎えた。


 攻撃の前に野球部ベンチでは監督を中心に円陣が組まれた。


「いいか、おまえたちに確認の意味でもう一度言っておく。絶対に追い込まれるまで沢木の球は打つな。例え三振になっても構わん」


「しかし、監督、回はもう八回です。この点差ではそろそろ攻撃しなければ」

 高峯が言った。


「心配するな。沢木は九回まで持たん」


「どうしてですか?」


「今日、沢木は全球、あの変化球だ。あんな球、いつまでも投げられるわけがない」


「九回までもたないと言うことですか」


「その通りだ。そして、あの球が投げられなくなった時、沢木にはもう投げるボールがない。その時を待つんだ」




 ソフトボール部のベンチ――


「楓」

 朋美はタオルを首にかけ、ベンチでぐったりと座っている楓に声をかけた。


「あ――何?」

 楓は顔を上げた。


「もううちの攻撃は終わったよ」


「あっ、そう」


「大丈夫?」


「平気、平気」


 楓は立ち上がった。だが、よろけて朋美の肩をつかむ。


「どうして今日はあの球だけなの?」


「絶対にヒットを打たせたくないから」


「楓……」


「そんな顔しないでよ。後二回でしょ、何とかなるって」




 八回裏、楓は野球部の攻撃を、二つの四球を与えながらも、何とか後続を押さえピンチを断ち切った。そして、九回裏――


「ボール、フォアボール」


 楓が八番打者を四球で歩かせ、これで三連続四球で無死満塁となった。


「楓……」

 朋美がマウンドの楓のところに駆け寄った。内野手たちもそれに続いて、集まる。


「低めに来なくなった。低めに投げないと、ハイライズ・ボールはみんなボールになるわ」


「押さえがきかなくて」

 楓は汗を拭った。大分、呼吸が乱れている。


「やっぱり、他のボールも……」


「駄目。今日だけは絶対に打たれたくないから」


「どうして?」


「どうしても」


「楓……」


「なあ、キャプテン」

 藤谷が口を挟んだ。


「何?」


「一つ、勝負を賭けてみない?」


「というと?」


「次は打者は風間先輩。あの人は、今日の打席を見てもわかるけど、必ず初球に手を出してる。そこを逆手に取るの」


「どういうこと?」


「いい、先輩はまだキャプテンが魔球を投げてくると思ってる。だから、バットは上から振り下ろして打ってくるはずよ。そこでど真ん中のストレートを投げる。先輩はハイライズ・ボールかストレートか迷うはず。そういう時の風間先輩は必ずボールを引きつけて、軽くピッチャー返しをしてくる。その打球を絶対にピッチャーで止めて、三重殺を決める。送球は三塁、二塁、一塁の順。風間先輩はレギュラーで一番足が遅いし、右打者だから、間に合うと思う」


「もし見送ってきたら、どうするの?」


「その時はもう一度、考えるってことで」


「うーん」

 楓が考え込む。


「キャプテン、今回だけは守備を信じて」


「わかった、信じる」


 内野手が守備に散った。


 右打席に風間が入る。


 マウンドの楓は朋美のサインを見た。真ん中低めのストレートのサインだ。


 ストレートか……


 楓には朋美のサインに従うことにまだ不安があった。


 もしあたしが取れなかったら……


 楓には味方野手への信頼感があまりなかった。自分が魔球を投げられる時には、多少失策があってもそのピンチを自分の力で断ち切る自信があった。しかし、今は違う。


 今日の試合でも既に三つの失策が出ていた。


 藤谷はああ言ったけど、仮にあたしが取ったとしても、本当に三重殺なんて出来るかな。併殺プレーだって満足に出来ないのに。ここはやっぱり……


 楓は迷っていた。


 一方、風間も打席で考えていた。


 そろそろ魔球の押さえもきかなくなってきたな。さて、どうくる。もし俺なら意表を突いてストレートを投げるな。ここまでずっと魔球やから、みんなダウンスイングになってる。そこへストレートが来れば、必ずゴロになり、うまくすればゲッツーや。


 風間はマウンドの楓を見た。楓は肩で息をしている。


 間違いない、ストレートや。


 風間はバットの握りを心持ち長くした。


 朋美がちらっと風間を見る。


 まさか。


 朋美がはっとする。


 楓が大きく振りかぶる。


 楓、ストレートは駄目!


 朋美は慌ててストレートからカーブにサインを変えようとしたが、遅かった。楓が気づかず、第一球を投げた。


 ど真ん中のストレートだ。


「もらった!」

 風間がバットを振りに行く。


 もう駄目。


 朋美は思わず目をつむった。


「なっ」

 ベース寸前、ボールがわずかに上昇した。


 レベルスイングのバットにボールが当たる。


 打球は低いライナーで楓に向かっていった。


「くっ」


 楓は懸命にグローブを出した。しかし、非情にも打球はグローブの上をすり抜ける。

 塁上のランナーは全員スタートを切っている。


「ああっ!」


 楓が後ろを振り返った瞬間、楓のすぐ後ろにはショートの藤谷とセカンドの山根がいた。藤谷はジャンプして、ライナーをがっちりキャッチすると、飛び出していた塁上のランナーを見て、素早く二塁手の山根に送球。山根は二塁ベースを踏んで、素早く一塁に投げた。


「アウト、スリーアウト。ゲームセット!」

 審判がコールした。


「勝った!」

 楓がへなへなとその場に座り込んだ。


「やった」

 ナインが全員マウンドに集まる。


「どうして後ろに?」


「だから、絶対に守るって言ったろ」

 藤谷が興奮した様子で言った。


「ごめんね。あたし、恥ずかしいよ。自分のことばかりでみんなのこと、全然信じてなかった」


「だから、私のサインを無視して魔球を投げたのね」


 朋美が楓の頭をミットで叩いた。しかし、内心では楓がハイライズ・ボールを投げてくれたことでほっとしていた。


「おまえたち、さぞ野球部を負かして、ご満悦だろうな」


 野球部顧問の山川監督や高峯、柴原が楓たちの前にやってきた。


「ちっ、悔しいが、おまえらの勝ちだ。要求を言ってみろよ」

 柴原がふてくされたように言った。


「朋ちゃん……じゃなくて、皆岸さんを野球部に復帰させて、レギュラーに加えてください。今日の試合を見て、皆岸さんの実力、わかったでしょ」


「楓……」


 朋美は驚いた様子で楓を見た。


 あなた、私のために……


「呑めんな」

 山川が言った。


「他校の野球部との対外試合は当分、自粛します」


「うむ……」


「楓、もういい」

 朋美が楓の腕を掴んだ。


「どうして?」


「だって、私はソフト部のメンバーだもん」


「朋ちゃん」


「ようし、朋ちゃんの正式加入を祝って、みんなで胴上げするぞ。野球部のみんなも手伝って。負けたんだから」


「え、なに?」


 野球部員とソフトボール部の部員が集まり、朋美を持ち上げ、胴上げを始めた。


「朋ちゃん、おめでとう」


 グラウンドで、部員たちに胴上げされ、朋美が何度も空に舞った。それと時を合わせるように、校舎のスピーカーからチャイムが鳴った。



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