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婚約破棄から始まる無限コンボで全てを手に入れます  作者: 夢野カイ


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第8話:厄介な男

 ——チン。


 朝の紅茶を飲んでいる時に、頭の中で澄んだ音が鳴った。

 《スクラップ&ビルド》の完了通知。次の相手が見つかった。


(来た。侯爵の次は——公爵と王族しか残ってない)


 静かにカップを置いた。


(あと二回転。公爵を落として、別れて、最後に王子——それで終わりだ。さっさと片づけよう)


 ◇◇◇


 その夕刻、王城から招待状が届いた。


 建国記念の祝賀会——王家主催の、この国で最も格式の高い行事の一つだ。侯爵位以上の貴族と、王家が特別に認めた者だけが招かれる場。

 半年前の私なら門前払いだった。今の私には並みの侯爵以上の資産があるとはいえ、こんな場に招待されるとは思ってもいなかった。


 会場は王城の大広間。ラファエルと通った貴賓館すら霞む規模だった。天井にはシャンデリアが幾つも連なり、磨き上げられた大理石の床に光が反射している。集まった顔触れも——大臣、将官、各家の当主——これまでとは別世界だった。


 視線が、奥に止まる。


 一段高い王族席に、若い男が座っていた。滑らかなブロンドに、退屈そうな金色の瞳。王家の紋章をあしらった衣装。——王子だ。取り巻きに囲まれて、頬杖をついている。


(王子。……あれが最終目標か)


 もう一人。

 壁際に、長身の男が一人で立っている。


 深い藍色の髪を無造作に流した、長身の男。藍色の瞳。顔立ちは文句のつけようがなかった——整っているのに、それを誇示する気がまるでない。穏やかな表情をしているのに、何を考えているか全く読めない。周囲の貴族たちが挨拶を交わす中、一人で静かにグラスを傾けている。


 男がこちらへ歩いてきた。真っ直ぐに、迷いのない足取りで。


「初めまして。君がヴェルン嬢だね」


 明るくも暗くもない、さらりとしたフラットな声。


「初めまして。私の名前はエリオット・ド・ヴァルロワ」


(ヴァルロワ公爵家——王家の傍系にあたる、公爵の中でも最上位の家。こいつが、スキルで引き寄せた次の相手ね)


「お初にお目にかかりますわ。アリシア・フォン・ヴェルンと申します」


 完璧な令嬢の微笑みを作った。三人分のループで、この顔を作るのだけは上手くなった。


 同時に、体の奥で熱が灯る。《悪役令嬢の宿命》、起動。

 纏う空気が変わる。華やかさが増す。いつも通りだ。


 だが。


 公爵の目は、何一つ変わらなかった。

 あの目が、さっきと全く同じ温度でこちらを見ている。まるで、この顔を前から知っていたかのように。


「ああ、よろしく」


 返事がそれだけだった。


(……スキルが不発? そんなはず——)


 疑問が浮かびかけた、その時だった。


「ヴェルン嬢! お初にお目にかかります。フォルスター伯爵家のフリードリヒと申します——」


 横から割り込んできた若い貴族が、明らかに目の色を変えていた。瞳孔が開いて、頬が上気している。——確変の反応だ。間違いない。


「私はランベール伯爵家の——」


 もう一人。背後からも声がかかる。


(……不発じゃないわね。こいつらにはしっかり効いてる)


 スキルは正常に働いている。周囲の貴族たちの反応が証拠だ。にもかかわらず、ヴァルロワ公爵だけが——全く変わらない。


(なんで、この男にだけ——)


「少し、向こうで話せるかな」


 他の貴族たちに取り囲まれそうになる私の様子を興味深げに見ていた公爵が、助け舟を出すように声を掛けてきた。


「もちろんですわ」


「じゃあ、テラスに出よう」


 色めく貴族たちの間を、公爵は当然のように通り抜けた。視線だけで道を開けさせながら。

 ——ヴァルロワ公爵に逆らえる人間は、この広間にも多くはないということだ。


 ◇◇◇


 テラスに出ると、夜風が頬を撫でた。喧騒が遠くなる。

 公爵が欄干に軽く腕を乗せた。給仕がグラスを持ってきた。公爵が一つ取り、もう一つをこちらに差し出した。


「はい、どうぞ」


「……いただきますわ」


 そのとき、公爵の胸元の紋章に目が止まった。


(……この紋章、どこかで見たことが?)


「失礼、以前どこかでお会いしましたかしら?」


 公爵は少し驚いた顔をした。


「へえ、気付いてないと思ったけど。——断罪の場にいたんだよ。ほら、ルフェルト子爵の」


「……え?」


「偶然通りかかったんだ。君は数十人に囲まれていて、たった一人も味方がいなかった。余りに一方的なので、仲裁に入ろうかと思ったんだけど——」


 脳裏に、あの日がよぎる。転生直後にルフェルトに婚約破棄を告げられた大広間。——出口付近に立っていた、格の高い紋章の男たち。そうか、あの紋章だ。


「君は不敵に微笑んでいた。それがずっと気になってね。少し調べさせてもらったよ」


「……調べた、とおっしゃいますと?」


「ルフェルト子爵。レナード伯爵。ラファエル侯爵」


 公爵がグラスを傾けながら続けた。感情のない声で、事実を並べるように。


「三人が君と婚約して、三人が婚約破棄して、三人が揃って失墜した」


(——全部、把握されている)


 令嬢の微笑みを維持しながら、背中が冷える。


「……お恥ずかしい話ですわ。でも、それは単なる偶然で——」


「さっきの現象はどう説明する?」


「さっきの?」


「君の周りの人たちが急に色めき立っていた。でも私には何も感じなかった。——あれは何だったのかな」


(確変のことまで気づいてる)


 笑顔を崩さないように、慎重に答えた。


「さあ。皆さん、お酒が入っておられたのでは」


「ふーん」


 公爵の表情は一切変わらなかった。ただ、その凪いだ藍色の瞳が、まっすぐに私を見透かしている。


「——ヴェルン嬢」


「……なんですの」


「君、魔女なんじゃないの?」


 感情の読めない穏やかな声だった。だからこそ、その想定外の言葉により一層の凄みが漂う。


(……え、魔女? 本気で言ってるの?)


「……面白い冗談ですわね」


「ああ、魔女なんていないのは知ってる」


 公爵は、全く悪びれる様子もなくあっさりと言った。


「でも、それ以外に説明がつかなくて。——まあ、急かすつもりはないよ」


 欄干から体を起こした。会話を切り上げる合図のようだった。


「三日後、私の屋敷に来てくれないかな。ゆっくり話を聞かせてほしい」


 柔らかい口調だった。——なのに、断れる余地がまるでなかった。


 公爵はにこやかに手を振って、テラスから立ち去った。


(……何よ、魔女って。まさか火あぶりとか、そういう話にはならないわよね。冗談じゃないわよ!)


 呆気にとられた私は、残されたグラスを、しばらくただ持ったままでいた。


 ◇◇◇


 帰りの馬車の中で、窓の外を眺めながら考えた。


(……大丈夫。もし疑われているとしても、証拠なんてどこにもない。スキルの存在を証明できるわけがない)


 石畳の振動が背中に伝わる。窓の外を流れる王都の灯りを、ぼんやり眺めた。


(それにしても、厄介な男に目をつけられたわね)


 公爵の藍色の瞳が、ふと脳裏によみがえる。口調は穏やかだが、ミステリアスで捉えどころのない男。


(まあ、いいわ。どんな男だろうと、やることは同じ。惚れさせて、飽きさせて、婚約破棄されて、資産とステータスを頂くだけ)


 迷いなど無かった。もう、私にはこの道を突き進むしかないのだから。

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