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婚約破棄から始まる無限コンボで全てを手に入れます  作者: 夢野カイ


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第4話:タイムアップ

 婚約期間は——控えめに言っても、悪くなかった。

 レナードは毎朝のように花を届けてくれた。派手な花束ではないが、毎日自分で選んでいるらしい。


 婚約者として公の場に並んで立つようになった。レナードは相変わらず社交が苦手で、人混みの中では明らかに緊張している。——それでも、私をエスコートする時だけは背筋を伸ばして、ぎこちないながらも手を差し出してくるのだ。


 練習したのだろうな、と思った。この不器用な男が、鏡の前でエスコートの所作を何度も繰り返している姿が目に浮かぶ。


(……まあ、確変中だからね。この男が私に夢中なのは当然よ)


 だが、婚約から二週間が過ぎた頃、纏う空気の華やかさが、ほんの少し薄れ始めていることに気が付いた。


(魅力バフのタイマーが切れ始めた。あと数日くらいかしら)


 落胆はない。むしろ予定通りだ。


 ◇◇◇


 レナードの変化はすぐに現れた。


 最初は些細なことだ。お茶の約束の時間に少し遅れる。会話の合間に、ふと視線が泳ぐ。こちらの冗談に、あの心地よいワンテンポの遅れではなく——ただの上の空で反応する。


(……来たわね)


 ただ、ルフェルトの時とは様子が違った。レナードの目に「別の女」は映っていない。代わりに浮かんでいるのは——戸惑いだ。

 ある日のお茶の席で、レナードがぽつりと漏らした。


「……先日、叔父に言われたのです。その……男爵家との婚約は、エルツ家の格には見合わないと」


 私は紅茶のカップを傾けたまま、何も言わなかった。


「僕は——そんなことは関係ないと思うのですが」


 語尾が弱々しく消えていく。叔父に何も言い返せなかったのだろう。


(ああ、そういうこと。身分差の現実に気づき始めたのね)


 確変が切れて魅力が落ちた。レナードの目から「恋の魔法」が解けた。そうなれば、今まで気にならなかった身分の差が、急に大きく見え始める。


(恋の盲目から覚めたと思っているんでしょうね。まあ、ある意味では正しいわ)


 理由が違っても、結末は同じだ。


 それ以降、レナードからのお茶の誘いは途絶え、花が届くこともなくなった。代わりに聞こえてくるのは、エルツ家の親族がレナードを囲んで「あの男爵令嬢との婚約は考え直せ」と詰めているという噂だった。


 そしてある午後、レナードが屋敷を訪ねてきた。応接間に通すと、ソファの端にぎこちなく腰を下ろし、何度か口を開きかけては閉じた。


「ヴェルン嬢、その……僕は——」


 視線が泳ぐ。膝の上で拳を握り、ほどき、また握る。言おうとしている内容は分かっている。分かっているから、待った。

 結局、レナードは何も言えなかった。「すみません、今日は——失礼します」と、ほとんど逃げるように帰っていった。


(……ああ、私に直接言えないのね、この人は。優しいというか、何というか……)


 三日後、手紙が届いた。


「貴女のことは今も尊敬しています」「自分には貴女に見合う器がない」「家の意向に背くことが、どうしてもできませんでした」——丁寧な筆跡で並ぶ、不器用な弁解。最後の一行だけ、少し震えた字で書かれていた。


『——婚約を、解消させてください』


 私は手紙を畳んで、テーブルの上に置いた。


(……想定通りよ。何も問題はないわ)


 ——何も。


(……ちょっとだけ、悪いことしたかしら)


 一瞬だけ、そんな考えがよぎった。が、すぐに振り払う。


(甘いこと考えてるんじゃないわよ。私はスキル持ちだから平気なだけで、普通の令嬢が同じことをされたら? 家の顔色ひとつで婚約を反故にされて、社交界で「捨てられた女」の烙印を押されて、それで終わりよ)


 婚約破棄は、決して軽くない。特に女の側にとっては。

 レナードは確かに優しかった。でも優しいだけの男は、いざという時に何も守れない。


(……ええ。だから、これでいいのよ)


 ——《契約破棄の代償》、発動。


 この力が流れ込むような感覚はもう覚えている。伯爵の資産が、ステータスが、さらさらと私の中に溶け込んでくる。

 子爵の資産に、伯爵の資産が上乗せされた。前回よりも更に大きな力だ。


 窓の外を見た。よく晴れている。さて、次だ。


 ◇◇◇


 レナード・フォン・エルツの凋落は、ルフェルトの時よりも静かだった。

 《スクラップ&ビルド》が暴いたのは——エルツ家親族の裏工作だった。


 叔父を筆頭とする一派が、アリシアとの婚約を潰すために社交界で悪評を流していた。「男爵令嬢が財産目当てで伯爵家に取り入った」「あの女には醜悪な裏の顔がある」——噂の出所が全てエルツ家の内部だったことが、次々と明るみに出た。


「まさか、身内が婚約者の評判を落としていたなんて」「エルツ家は婚約者すら守れないのか」


 エルツ家が長年かけて築いた「誠実な名門」という評判は、じわじわと瓦解していった。身内の陰謀が白日の下に晒され——そしてそれに抗えなかったレナードの弱さも。


 怒りに任せて暴走し、派手に自滅したルフェルトとは違い、レナードは黙って、静かに身を引いた。

 後日聞いた噂によれば、彼は伯爵の地位を弟に譲り、領地の片隅で以前から興味を持っていた農学の研究に打ち込んでいるという。家長の重圧から解放された彼の表情は、以前よりもずっと晴れやかだったそうだ。


(……ふふっ。案外、あなたにはそっちの方が合っているかもしれないわね)


 二度と会うことはないだろうけれど、私は心の中で小さくエールを送った。


 ——チン、と頭の中で澄んだ音が鳴った。《スクラップ&ビルド》の完了通知だ。


 次の相手が見つかった。


 翌日の夕刻、王都の大通りを歩いていると、黒塗りの豪華な馬車が目の前に停まった。扉に刻まれた紋章を見て、足が止まる。侯爵家の紋章だ。

 馬車の扉が開き、長身の男が軽やかに降り立った。燃えるような赤髪に、澄んだ碧眼。こちらを見た瞬間、まるで旧知の友人に会えたような笑顔を浮かべた。


「君がヴェルン嬢か。初めまして」


 明るい、よく通る声。レナードのぎこちなさとは正反対の、堂々とした口調。一歩、二歩とこちらへ近づいて、遠慮なく顔を覗き込んでくる。


「ラファエル・ド・ベルフォンです。——お時間、いただけますよね?」


 疑問形なのに、断られるとは微塵も思っていない口調。図々しいほどの笑顔——なのに、不思議と嫌味がない。


(大物が釣れた。ルフェルトともレナードとも、ちょっと格が違うわね)


「……ええ、喜んで」


 微笑んだ瞬間——体の芯に、あの熱が灯った。


 《悪役令嬢の宿命》発動——確変突入。

 その瞬間、ハートを射抜かれたようにラファエルの目が私に釘付けになる。


 馬車に乗り込みながら、胸の内で呟く。

 子爵から伯爵、次は侯爵。その先に残っているのは、公爵と王族だけだ。

 窓の外を流れる王都の景色が、馬車の加速とともに後ろへ消えていく。


 ——私の《ざまぁ・ループ》に、死角はない。

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