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婚約破棄から始まる無限コンボで全てを手に入れます  作者: 夢野カイ


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第12話:私の答え

 答えは、もう出ていた。


 エリオットの藍色の瞳を見た。何も言わない。ただ、静かに私を見ている。


「——王子殿下」


 声は、思ったより落ち着いていた。


「お申し出は、大変光栄に存じます。ですが——」


「お断りいたしますわ」


 ◇◇◇


 空気が張り詰める。


 王子の金色の瞳が凍りつく。理解ができない、という顔。——断られることを、想定していなかったのだ。王族として生まれ、一度も拒絶されたことがない人間の顔。


「……今、なんと?」


「お断りいたします、と申しましたわ」


「——理由を聞かせろ」


 声が低くなった。王子の顔に退屈そうな気配は、もうない。


「私には、すでに婚約者がおりますので」


「公爵との婚約は破棄すればいいと言ったはずだ」


「お気持ちはありがたく存じます。ですが——私が、公爵様との婚約を破棄する気がございませんの」


 言い切った。嘘じゃない。演技じゃない。——本心だった。


(……私、本気で言ってる)


 横で、エリオットの気配が揺れた。振り向かなくても分かった。


 王子が一歩、踏み出した。瞳の奥で、何かが壊れたように表情が歪む。


「——お前に、選ぶ権利があると思っているのか」


 声が変わっていた。王族の、命令の声。


「私の求婚を断るということが何を意味するか。分かっていないようだな——ヴェルンの小娘」


(……まずい)


 護衛の二人が、剣の柄に手をかけた。


「王家への侮辱だ」


 金色の瞳が、冷たく細められた。王子の声は、怒鳴るわけでもなく、淡々と事実を告げるように響く。


「不敬罪だ。——今ここで処刑する。王族を侮辱した女がどうなるか、その身で思い知るがいい」


 心臓が止まった。


 護衛が動いた。一歩——私に向かって。


(——冗談でしょう。こんなところで、終わるの?)


 足が竦んだ。逃げ場はどこにもない。


 ——目の前に、背中が立った。


 エリオットが、私の前に出ていた。長い背中。広い肩。私と護衛の間に、壁のように立ちはだかっている。


「退け、ヴァルロワ。お前には関係のない話だ」


「関係ある」


 エリオットの声は、静かだった。なのに、今まで一度も聞いたことがないような迫力があった。


「アリシアは私の婚約者だ。どうしても処刑すると言うのなら——」


 一拍。


「代わりに私の首を差し出す。それで足りるだろう」


 もう一度、心臓が止まった。


「それでも足りないなら——ヴァルロワの家名を返上する。公爵位も、領地も、財産も。全てだ」


 王子が、さすがに言葉を詰まらせた。——無理もない。自分の命と、王家に次ぐこの国最大の家の全てを差し出すと、この男は言っている。


「条件は一つ」


 エリオットの声が続いた。


「アリシアには——手を出すな」


(——なんで)


 涙が滲んだ。こらえた。——泣いている場合じゃない。


(なんで、そこまでするの。王子はあなたは関係ないと言った——なのに、自分の命まで差し出すの?)


 エリオットが、ゆっくりと振り向いた。


 藍色の瞳が、真っ直ぐに私を見た。


 ——笑っていた。不器用で、ぎこちなくて、ほとんど形になっていない。でも確かに——この男が、笑おうとしていた。


「私を選んでくれて、ありがとう」


 声が震えていた。いつものフラットな声じゃない。感情がこぼれていた。この男が初めてこぼした、剥き出しの声。


「——だから」


 大きな手が伸びて、私の左手に触れた。サファイアの指輪の上に、指が重なる。——温かかった。


「君は——幸せになれ」


 手が離れた。


 エリオットが背を向ける。王子に向き直る。——もう振り返らない覚悟の背中だった。


(待って)


(待ってよ)


(「幸せになれ」?——ふざけないで)


 怒りが込み上げた。悲しみより先に、怒りが来た。


(私が選んだのよ。構築を崩してまで、計算を捨ててまで、あなたを選んだのよ。——なのに勝手に、一人で終わらせようとしないで)


 口を開こうとした。


 ——だが。


 王子の声の方が、一瞬早かった。


「——くだらん」


 場の全員が、動きを止めた。護衛も、エリオットも、私も。


「公爵位も、家名も、首も差し出す?——それだけ必死になる女か、これが」


 金色の瞳が、嘲るように細められた。——侮蔑だ。純粋な、見下しの目。


「まあいい。こんな小娘に求婚した私が馬鹿だった」


 吐き捨てるように、続ける。


「さっきの求婚は取り消しだ。——だれがこんな女と結婚するか」


 ——その瞬間。


(え、嘘?)


 体の芯に、何かが流れ込んでくる。——知っている。この感覚を、私は何度も味わっている。


 《契約破棄の代償》。


 王族が公爵家当主の立ち合いのもと行った『求婚』を、侮蔑的に、一方的に撤回した。——スキルはこれを『契約破棄』と見なした。


 王子の足が止まる。


「——なんだ、これは」


 その目が見開かれる。力が抜けていく感覚。足元が揺らぐような、自分の中の何かが抜き取られていく恐怖が顔に浮かぶ。


 王子の金髪から光沢が消えた。金色の瞳の輝きが曇る。顔の造形すら、微かにぼやけたように見えた。——カリスマが、抜け落ちている。


「な——何が起きている! 護衛!」


 叫ぶ声は、もう王族のそれではなかった。威厳が、根こそぎ剥がれている。


 護衛の二人が駆け寄る。だが——明らかに動揺している。王子を見る目が、変わっていた。不信感と怯えがないまぜになった目。


 そこで、今まで静かに、だが鋭く王子の動きを窺っていたエリオットが私の顔を見た。私が無言で頷くと、エリオットは王子の方に向き直り、一歩前に出た。

 藍色の瞳が、冷然と王子を見下ろしている。


「——あなたの護衛が動揺するのも無理はない。彼らは知っているはずですからね。殿下が辺境から流用した資金の裏帳簿の存在を」


「な、何を……」


「すでに水面下では審議が進行していました。あなたの報復を恐れて表沙汰にするタイミングを窺っていたのですが……どうやら今がその時のようですね」


 エリオットのその冷たい宣告が——致命的な最後の一押しとなった。王子の護衛の一人が、堪えきれずに膝をついた。


「……公爵閣下の仰る通りです。もう、黙っていられません」


 声が震えていた。護衛の男の目に、恐怖と解放が混在している。何かに縛られていたのが、吹っ切れたような顔だった。


「殿下。あなたが辺境の民に強いてきた労役のこと、私はずっと見てきました。王宮の金庫から私的に流用された資金のことも。——全て、記録してあります」


 王子の顔がさらに蒼白になった。


「黙れ——黙れ! これは命令だ!」


 もう一人の護衛が立ち上がった。


「殿下が上級貴族の子女に対して行った脅迫の件も。——これ以上は、見過ごせません」


 王子の足が、がくりと崩れた。


「——嘘だ。私は王族だぞ。この国の次期国王だぞ!」


 もう、誰もその言葉に反応しなかった。


 護衛が王子の腕を取った。さっきまで主に仕えていた手が、今は拘束の手になっている。王子には暴れる力も残されていない。カリスマも、威厳も、人を従わせる全てが抜け落ちた後の、ただの男がそこにいた。


(《ざまぁ・ループ》——完了)


 静かに、心の中で呟いた。


 達成感は——あった。確かにあった。


 だが、高揚感は無かった。代わりにあったのは、もっと静かなもの。


 引きずられていく王子の背中を見送る。さっきまでの傲慢さはもうない。怒りの下に隠れていた惨めさだけが、剥き出しになっている。——王族として生まれ、一度も拒絶されたことがなかった男の、最後の姿。


 可哀そうだとは思わない。あの男は自分で選んだのだ。侮蔑を。暴力を。


 ループが、終わった。回し続けた歯車が、ゆっくりと止まっていく。


 目の前には、まだ私を庇う姿勢のまま立っている男がいた。


 ◇◇◇


 王子が連行されていく背中を見送ってから、庭に静寂が戻った。

 エリオットが振り向いた。いつもの穏やかな表情に戻っている。


「アリシア、怪我はない?」


「ありませんわ」


「そう。よかった」


 それだけ言って、エリオットは踵を返した。何事もなかったかのように。


「待って」


 怒りがぶり返した。さっきからずっと飲み込んでいた怒り。


「——怒ってますの、私」


「どうして?」


「どうしてって、あなた。なんですの、あれ」


 声が震えた。——泣きそうなのか、怒っているのか、自分でも分からなかった。


「『幸せになれ』? 『首を差し出す』?——勝手に一人で全部終わらせようとしないでくださいませ」


「……結果的に差し出さずに済んだから、いいじゃないか」


「全然よくありませんわ」


 いつの間にか、涙声になっていた。


「私が選んだんですのよ。王子を断って、あなたを選んだの。——なのに、勝手にいなくなろうとしないで」


 声が裏返った。令嬢口調が完全に崩れている。もう取り繕えなかった。


 エリオットが、少し黙った。それから。


「——私は」


 エリオットの声も震えていた。


「君が私を選ぶとは思っていなかった」


「……え?」


「王子を選ぶのが合理的だ。君は頭がいいから、そうすると思った。……だが、私を選んだ」


 エリオットの顔が、耳の端まで赤くなっている。


「あの瞬間——仮にあのまま処刑されていたとしても、君に選んでもらえた。——それだけで、もう十分幸せだった」


(……この男、重い。重すぎるのよ)


 涙が、こぼれた。今度は堪えられなかった。


「——あなた、本当にもう少し自分のことも大事にして。もう二度と一人で抱え込まないで。次に何かあったら、二人で対処しますわ。約束して」


 私の手に、エリオットの大きな手が重なる。


「……約束する。もう、どこにも行かない」


 安心させるような、優しい声だった。


「エリオット様」


「……エリオットでいい」


「——エリオット」


 左手のサファイアが静かに光っていた。

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