第13話:一度しか言わない
王子は、その日のうちに王城に連行された。
枢密院の審議は異例の速さだったらしい。辺境での不正労役、王宮資金の私的流用、貴族子女への脅迫——護衛の証言を皮切りに、堰を切ったように証拠が噴き出した。
結果。王子ヴィクトル・ド・ハイデンは王位継承権を剥奪され、国外に永久追放された。
——そして。
ヴァルロワ公爵家は王家の傍系にあたる。唯一の直系後継者だった王子が追放された以上、次期国王の最有力は——エリオット・ド・ヴァルロワ。
その知らせを聞いたとき。
エリオットは書庫の椅子に座ったまま、本から顔も上げずに一言だけ言った。
「……そう」
いつもの、あの声だった。何も変わっていない。王子が消えても、次期国王になっても——この男はこの男のままだ。
(……この人、ブレなさすぎでしょ)
隣の椅子で、私は小さく笑った。
◇◇◇
それから二週間が経った。
王子の一件が片付き、日常が戻ってきた。いや——少しだけ変わった。エリオットとの間合いが、心なしか近くなった。
穏やかで幸せな日々だった。だが、今となっては唯一の懸念である《悪役令嬢の宿命》のカウントダウンがまだ残っている。
(——今日だ)
朝、目を覚ました瞬間に分かった。頭の中で何かが静かに終わった。《悪役令嬢の宿命》の魅力倍増——そのタイマーが、今朝で尽きた。
(……怖い)
認めたくないが、怖かった。もし、エリオットの態度が変わってしまったら?
大丈夫。——大丈夫なはずだ。エリオットには最初から確変が効いていなかった。ずっと同じ温度だった。
でも、何度も裏切られた体は、理屈で動かない。朝食の席に向かう足が重かった。
テーブルにエリオットがいた。いつもと同じ顔で紅茶を飲んでいる。
「おはよう」
「……おはようございます」
エリオットが私を見た。——じっと、見た。
何も、変わらなかった。
声の温度も、こちらを見る目も。私の前に置かれたダージリンも。何一つ、昨日と変わっていない。
(……変わらない。本当に、変わらない)
安堵すると同時に、らしくないことをつい聞いてしまう。
「——ねえ、エリオット」
「なに?」
「……私の顔、おかしくない? 私のこと、嫌いになってない?」
エリオットは一瞬怪訝な顔をしたが、私の顔を見て、少し考えるように口を開いた。
「何のことだか分からないけど」
紅茶のカップを置いた。あの藍色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた。
「私は素直な性格ではないからな。これまで、どれほど君を愛しているか、言葉で伝えてこなかった」
想定外のセリフに、息が詰まる。
「一度しか言わない。よく聞いてくれ」
エリオットが立ち上がった。テーブルを回り込んで、私の前に来る。——近い。近すぎる。
エリオットの大きな手が、私の頬にそっと触れた。顔を上げさせられる。至近距離に、深い熱を帯びたあの瞳があった。
「君は最初から美しかった。だが今、私には、君が会うたびにますます美しくなっているように見える」
(……まあ、それは元カレたちから魅力を吸い取ったからなんだけど)
ちょっとばつが悪くて顔を逸らす——が、エリオットの手でそっと正面に戻される。
「愛している。——どんな魔法が解けようと、それだけは絶対に変わらない」
唇が、触れた。
——柔らかかった。
(——ああ)
目を閉じた。涙が一筋、頬を伝った。
四人の婚約者を経て、ようやく辿り着いた答え。スキルの外側にいる、たった一人の男。
離れた時、エリオットの耳が真っ赤だった。目は逸らさないくせに、耳だけは正直だ。
「……もう一度、言ってくださいません?」
「一度しか言わないと言った」
「じゃあ……もう一回、してくださいな」
エリオットが、微かに目を見開く。耳が、さらに赤くなった。
——けれど、逃げることはなかった。
二度目のキスは、さっきより少しだけ上手かった。
◇◇◇
——半年後。
エリオット・ド・ヴァルロワは、正式に次期国王として戴冠式を迎えた。
私はその隣に立っている。白いドレスに、銀灰色の髪を結い上げて。左手のサファイアは、あの日と同じ青い光を放っている。
戴冠式は盛大だった。だが、エリオットの表情は終始変わらなかった。王冠を被せられた瞬間も、群衆が歓声を上げた時も。
式の後、控えの間で二人きりになった。
「お疲れ様でした、陛下」
「……その呼び方はやめてほしいな」
「公の場ではそうお呼びしませんと。練習ですわ」
「……そうだね」
エリオットが王冠を外して、テーブルに置いた。重そうだった。——物理的にも、それ以外の意味でも。
「重いですか?」
「王冠のこと?」
「王冠も。それ以外も」
エリオットが、少し黙った。
「……重い」
この男はいつも、聞けば短く正直に答える。自分からは何も言わないくせに。
「だが——」
こちらを見た。穏やかな仮面の奥にある、静かで途方もなく深い熱。
「君と一緒なら、どうにかなる気がしている」
(——また、さらっとキザなことを言う)
顔が熱くなった。最近少しだけ素直になった、この男の不意打ちには今も慣れない。
戴冠式の夜、王城のバルコニーに二人で立った。
眼下に王都の灯りが広がっている。遠くから歓声が聞こえる。風が夜の匂いを運んでくる。
「——変な感じですわ」
「何が?」
「ただの令嬢が王妃ですのよ? 一年前の私に言っても絶対信じませんわ」
エリオットが目を逸らした。
夜風が吹いて、髪が揺れた。エリオットの手が伸びて、私の髪を耳にかけた。最近は自然とこういうことをやってくるから困る。
眼下の灯りを見つめながら、ふと考えた。
転生から一年と少し。四人の婚約者。王子のことは——ノーカンにしておこう。
(最終盤面は想定と全然違うものになったわ)
構築は完璧だった。なのに、最後は計算ではなく、感情で選んだ。カードゲーマーとしては最悪の判断だが、最高の結果となった。
「……ねえ、エリオット」
「どうした」
振り向いた。月明かりの下で、穏やかに凪いだ藍色の目。
転生する直前の真っ白な空間。あのとき私は、この世界の全てをゲームだと思っていた。人生も、婚約も、ざまぁも。全てが盤上の駒で、全てを攻略してやろうと思った。
——今は、違う。
深呼吸した。顔が熱い。ゆっくりとエリオットの腰に手を回し、その胸に顔をうずめる。
エリオットが、きょとんとした。この男にしては珍しい、間の抜けた顔すらも今は愛おしい。
月明かりの下で、サファイアが青く光っている。王都の灯りが遠くに瞬いている。夜風が頬を撫でる。
「……対戦ありがとうございました」
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