chapter.2 悪の組織
伊織と健太郎は示されたグラフを凝視した。
確かに、二人がエンジェルステラとして活動を始めてからグラフの伸びに異常が生じているように見える。特に、ステラ・バトンを使用する頃になってからの伸びが顕著だ。
「採取した細胞を培養し、様々な実験を繰り返す。そのうちの一つに魔法抵抗力の計測というのがあってね。――まぁ、魔法というのはあくまで語感を優先して付けられた名称で、つまりは君達の、エンジェルステラの浄化能力のことを我々はそう呼んでいるのだが、どのくらい魔法が効きにくいかを計測した数値が、このところぐんぐん伸びている。V波の伸びもそうだが、仮にV2が自然界にある他のウイルスと同じような性質を持っているのだとしたら、この数値の伸び方はかなり不自然なんじゃないかと、そういう話を今、しているところ」
健太郎は顎をさすりながら、三ツ浦の話にふぅんと何度か頷いた。
「不自然、というと?」
「人為的……と言えば分かるかな」
「もしかして三ツ浦さん、誰かの仕業だって言いたいんですか……?」
三ツ浦の言葉に目を丸くしつつ伊織が尋ねると、三ツ浦はこくんと深く頷いた。
「V2がインフルエンザウイルスのように、ヒトからヒトに感染するウイルスだと仮定する。感染した細胞の中で増殖を繰り返していくうちに変異が起きる。変異したウイルスが増殖し、感染が広がる。毎年毎年、各地で感染が広がり問題になるくらいだから、イメージはし易いはずだ」
「でも、V2はインフルエンザみたいな広がり方はしていない……」
「そう。症例と変異のスピードに違和感がある」
ノートパソコンのディスプレイには、インフルエンザウイルスの変異についての説明画像が表示してあった。
渡り鳥から鶏へ、鶏から人間へ。或いは鶏から豚へ、人から豚へ。感染の過程で様々な経路を辿り、変化していく過程が示されている。
「つまり、三ツ浦さん。感染を繰り返すうちに変異していくなら未だしも、インフルエンザと比較しても遙かに感染例の少ないV2がこのスピードで変異しているのが異常ってことですよね」
「そういうこと。まるで誰かがわざと変異を起こしているかのような不自然さがある」
健太郎の言葉を、三ツ浦は否定しなかった。
「正直なところ、V2が何なのか、私たちにはまだ解明できていない。地球外生命体のひとつならば、地球の常識は通じないと言われればその通り。……が、それにしても、だ」
「――正体不明のウイルスを弄っている誰かがいるとしたら」
ボソリと伊織が呟くと、ラボの空気が冷え固まった。
三ツ浦と健太郎は明らかに動きを止め、パーティション越しに言葉を耳にしたラボの他のメンバーも足を止めた。
「例えばだけど……、エンジェリック・ラボとは逆の組織みたいなところがあったとしたら?」
「逆?」
空気の変化に気付かずにつらつらと自分の考えを話し始める伊織に、健太郎が疑問を投げかける。
「そう、逆。V2モンスターの脅威から人々の暮らしを守るためにエンジェルステラ・プロジェクトを進めるエンジェリック・ラボとは逆方向の――……、目的は分からないけど、V2による混乱を押し進めようとする組織があったり……とか?」
「何だそれ。悪の組織かよ」
「――いや、円谷君の推理はある意味正しい」
と、今度は三ツ浦が会話に割って入った。
「キュアキュアじゃないんですから、悪の組織なんて存在……」
「しないとも限らない、という話だよ渚君」
三ツ浦は笑っていなかった。
その厳しい目つきに、伊織も健太郎も言葉を詰まらせた。
「人間は浅ましい生き物だ。自己の利益になるならば、他者の損害は目にも入らない。そういう考えをもつ人間が、残念ながら確かに存在する。私達はこの脅威から罪なき人々を守りたいと願い行動するが、円谷君が言うように、その逆、つまり凶悪な手段としてV2を利用しようとする輩も少なからず存在するはずだと考えていい」
「理屈としては分かりますが」
「納得したくないのは分かるよ、渚君。君は特に、大切な人をV2によって失っている。V2の恐ろしさを最も知っている一人と言っていい。しかし、現実から目を背けてはいけない。仮にV2を悪用するものが存在するとしたら――……、この極端なウイルスの変異も、自然接触の難しい生物と融合したV2モンスターの出現も、容易に説明できるんじゃないかね」
伊織も健太郎も、しばらく何も言えなかった。
コーラのグラスに霜が付いて、グラスの底を濡らし始めた。
健太郎のコーヒーは、すっかり冷めていた。
「ちなみに、ですけど」
目を伏せたまま、健太郎が遠慮がちに切り出した。
「このラボと同等か、更に上の科学力を持つ研究所が存在する可能性について、三ツ浦さんはどう考えてます……?」
三ツ浦は直ぐには答えなかった。
そうだねとしばらく間を置いて、それから言葉を選ぶように、ボソリと言った。
「少し前まではゼロだと思っていた。今は、かなり高いと思っている」
「もうひとつ。V2を悪用することがあるのだとしたら、具体的にどう使うのか……ですけど。あんな危険なウイルス、使い道なんて」
「あると思うよ」
健太郎は目を見開き、三ツ浦に顔を向けた。
「戦争の道具になる。相手国にウイルスをばら撒き、自滅させることもできる。或いは犯罪者を感染させ、V2モンスターに変えて敵国に送り込むことも考えられる。核に変わる新たな脅迫手段にもなるだろう。何せ、発症したらもう、彼らは人間ではなくなるんだ。人間でなくなったものがどうなろうが、問題はない。そう考える指導者も出てくるはずだ。そうやって、ありとあらゆる恐怖の代替手段になっていく可能性がある。……これを、食い止めなければならない。私達は今、試されているんだよ」
淡々と語る三ツ浦は、終始難しそうな顔をしているのだった。




