chapter.3 ズレ
公表されるまでは秘密ねと、伊織は大人達に何度も念を押された。
「スケジュールは追って説明するけど、『二人が実在する女の子であるというアピールをしたい』と、ナイトスカイ側から強い要望があったんだ。契約発表用の写真、動画撮影とインタビューをお願いしたいそうだから、よろしく頼むよ」
いつも通り軽い調子で話す館花に、伊織は少し救われる。それほど重く受け止めなくても大丈夫な気にさせてくれたからだ。
そうして図書館に戻り、お待たせと手で合図して優也と安樹星来の待つ自習コーナーに向かうと、「思ったより早い」「用事済んだ?」と二人が伊織を迎えてくれる。
「なんか忙しくなりそうって話だった」
夏休みのアリバイ作りに協力してくれる二人には、最低限の予告くらいはしておきたいと思ったのだ。
「出動が増えそうってこと?」
「連続して出るときは出るもんね」
二人とも言葉を濁しながらも治安が悪くなったのではと推測して話してくれる。
忙しいの意味が本当は違うのだが、否定してややこしくなるのは避けようと、伊織は「そんな感じ」と適当に答えた。
「そんなことより見て」
安樹星来が優也と伊織に手で合図して、スマホの画面を差し出してくる。
まじまじと画面を覗くと、見覚えのあるXyアカウントのポストが表示してあった。
《募集を締め切ります
ありがとうございました
こちらのポストは後日削除いたします
株式会社ナイトスカイ・エンターテインメント 代表取締役社長 岸 文博》
一億円支援のポストを引用した形で書き込まれたそれは、まさにラボでの話を裏付けるもの。
伊織はゴクリと唾を流し込み、二人に悟られないようにグッと言葉を呑み込んだ。
「諦めたのかな」
「いたずらが多くて業務に支障をきたすとか」
優也と安樹が呟きあうのを、伊織は冷や汗を垂らしながら見つめることしかできなかった。
*
ラボでの用事が終わり、所長室に戻ってきた緑川は、誰もいないはずの室内に誰かがいることに気が付いて、グッと身構えた。
執務机の事務椅子に勝手に座り、置かれた資料をパラパラと捲っていたのは、先程までラボで一緒に話をしていた渚健太郎だった。
「何をしている」
怒気を含んだ低い声で威嚇して見せたつもりが、健太郎はニヤリと口角を上げて上目遣いに緑川を見つめてくる。
「二人きりで話をしたかったので」
健太郎は持っていた資料を置いてすっくと椅子から立ち上がり、緑川の方に近付いてくる。
緑川は咄嗟に抱えていたノートパソコンを背中に隠した。
「IDがなければ許可なく入れないはずだが」
「直接この部屋に飛んでくれば、あなたの許可なく入れますよ」
ハハッと乾いた声で笑い、健太郎は応接セットのソファに勢いよく腰を下ろした。
一体何を考えているのか。奇妙な気味悪さを感じつつ、緑川は執務机にノートパソコンを置いてふぅと溜息を漏らした。
「契約おめでとうございます。やればできるじゃないですか」
健太郎は正面を向いたまま緑川の方を見ようとはしなかった。
「契約日は明日。公表はそのあと、撮影やインタビューが終わってからだ」
「金が動きますね」
「そうなるな」
「これで世界が救われるなら安いものでしょう」
「そうだな」
緑川も健太郎と目は合わせなかった。
「彼らは本物の証を求めていた。何を見せたんです」
「あぁ……それか。戦闘中の君達との会話ログだ。関係者以外絶対に入手できないものを提示すれば信用して貰えると思った」
「なるほど。さすがですね、緑川所長」
棒読みで返されても何の感情も湧いてこない。
緑川はさっきまで健太郎が座っていた事務椅子に、諦めて腰を下ろした。生温い。あまり、嬉しくない温度だ。
「で、渚氏。話とは」
「あぁ、そうだ。ナイトスカイの岸社長、募集は締め切ったってXyでアナウンスしてました。もしかして、既に色々動いてます?」
「……そのようだ。円谷少年は夏休み中で問題ないだろうが、君は仕事の関係があるだろう」
「いえ、大丈夫です」
「大丈夫? 写真と動画の撮影、インタビュー、メイクや移動時間も含めると、丸一日拘束されるはずだが」
「仕事は、休んでいるので」
緑川は、手を止めた。
「休んでいる……?」
「こう見えて、俺の精神はボロボロなんですよ」
健太郎の声に、感情は乗っていない。
台本を淡々と読み上げるような話し方に、緑川はゾッとした。
「どういう……ことだ」
「どうもこうも。忙しく動いていないと、直ぐに死にたくなるくらいには病んでます。更科さんに喋るV2モンスターの存在を知らされてから、頭の中がぐわんぐわんして。俺の過去、知ってますよね。妻が目の前で魔物化したことを思い出して、久々に狂いそうなんです」
恐る恐る健太郎の顔を見る。執務机から見える彼の目に、光はなかった。
「仕事ができる精神状態にはないと、上司の円谷課長に諭されて有休を消化しているところなんです。じっとしていたら心が持たないから、なるべく忙しくしたくて。それで……調べなくてもいいことまで色々調べて、動き回って、どうにか持ちこたえている状態です」
緑川にも覚えがある。
思い出せば思い出すほど苦しくなって、じっとしていられなかった。研究に没頭した。
一歩でも前に進んでいなければ、自分の存在価値そのものに疑問を抱いてしまうくらいには追い詰められていた。
逃げればいいのに、逃げることを身体が拒んだのだ。
「前に、NV2の話をしてくれたじゃないですか」
「あぁ」
「あれって、今から何年後の話ですか」
ゆっくりと、健太郎が緑川瑠璃絵に顔を向けた。
「NV2が出現するのは、今から何年後の話ですか」
語気が変わった。
健太郎の目に、少しずつ光が戻り始めているのが緑川にもよく分かった。
「三年後。私と伊織が大学一年の夏」
ウイルスは変化する。
徐々に徐々に時間を掛けて。
そうしてある日、全く別の型として現れ――人々を恐怖に陥れた。
「この時間軸でNV2が出現するのはもっと早いんじゃないですか」
ゾワリと、緑川の背筋に悪寒が走った。
「あなたが未来からやって来たことで、色々とバランスが崩れたはずだ。俺と伊織は怪我を負わなかった。エンジェルステラという魔法少女が現れた。死ぬはずだった人間が生きている、予定外の誰かが発症している――そういう可能性もあるんじゃないかと思うんです」
「……つまり」
「あなたが来たことで、全てがズレ始めた。喋る個体の出現は、NV2の出現を予告しているとも考えられるんじゃないんですか……?」




