chapter.1 納得できない
何かが崩れる音がした。
しばらくの間伊織は立ち尽くして、緑川瑠璃絵が何を言って、これからどうなって、ラボの人達や健太郎がどんな反応をしているのか把握するのに努めるのが精一杯だった。
変なことを言われた気がする。なのに、直ぐに理解できない。まるで脳ミソが理解するのを拒んでいるかのように。
「な、NANDAIが参入……? 変身アイテムや子ども用アパレルが展開されるってことで合ってます……? ガ、ガシャも出ますよね……? え、ヤバくないですか……???」
震えた声で言ったのは、ラボの最年少大川京司。顔が引き攣って、イケメンが台無しだった。
「GEEGAと契約することになれば、日本中のゲーセンにプライズ賞品が並ぶはず……。だいぶ、思い切りましたね、所長……」
眉間に皺を寄せながら赤井里穂が言うと、御園優里亜も顎に手を当て、難しそうな顔をしていた。
「私はてっきり、所長は全部断ってくれるものだと。三ツ浦さんが一緒だから多分大丈夫だと思っていたんですけど、どうして急に? ちょっと前まではナイトスカイの要望には応える必要はないって話していたじゃないですか。事情、変わりました……?」
御園が言うのは尤もだった。
既に話を聞いていたのか、館花と更科は無言だったし、健太郎は飄々としている。
「僕……達、どうなるんですか?」
やっと言葉を捻り出した伊織に、一斉に皆の視線が向いた。
「秘密……は? あ、あの、正体知られると、こま、困るじゃないですか。僕は、お、男で。え、なに、これから何をさせられるんですか? アイドルの真似事ですか……? け、健太郎はそういうの、好きかも知んないけど、ぼ、僕は。――困ります!! 困りますよ、こんなの!!!!」
「落ち着きたまえ、円谷少年」
「落ち着けますか!! 所長は良いかも知んないけど、僕は!!」
ズンズンと足音を立て、怒りに震えながら緑川瑠璃絵に迫る伊織の前に、スッと健太郎が割り込んだ。
「――黙れ伊織」
「うるさい、退け! 健太郎!!」
「うるさいのはてめぇだ、ガキが」
「んだと、この……!!」
殴りかかろうとした伊織の拳を、健太郎はいとも簡単に受け止めた。
思いっ切り力を込めるが、健太郎はびくともしない。体格差、体力差は歴然だった。
そして何より、いつにも増して思い詰めたように生気のない健太郎の表情が、一層伊織を不安にさせた。
「俺達に決定権はない。緑川女史がそう決めた。俺達は従うしかない」
「何言ってんだよ、健太郎! お前この前まで所長を」
「だから何だ。従えと言われたら従う。そういう関係だろ、女史と俺達は」
声のトーンが低い。
淡々と話す健太郎に、伊織はとても嫌なものを感じていた。
「そういうこと。大人の事情だ。申し訳ない。少し、座って話そうか」
一触即発の二人の肩を、緑川はポンと叩いた。
その手が僅かに震えていたことなど、興奮していた伊織は気付くことができなかった。
*
広めのミーティングテーブルに伊織と健太郎、そしてラボの面々を座らせると、緑川は館花に指示してカラー刷りの資料を全員に配った。表紙にナイトスカイ・エンターテインメントのロゴが入っている。そして、エンジェリック・ラボの名称も。
「ナイトスカイ側からV波測定器の件で問い合わせがあり、私と三ツ浦先生が対応したことは既に知っているだろうと思うが、その時、相手方から様々な事情を聞いた。弁明とまではいかないが、理解して欲しくて話をする。これは決してネガティブな契約ではない。これによって世界がより良くなればと思っての契約であることを、まず話しておきたい」
健太郎と館花に挟まれるような形で座らされた伊織は、ムスッと頬を膨らませたまま緑川の話を聞いていた。いつも強引な緑川だが、気のせいか少し疲れているようにも見える。だからと言って、それを説明責任を逃れる言い訳にして欲しくはないのだが。
「当初は向こう側も測定器目当てで接触してきたに過ぎない。――これは、三ツ浦先生も証言してくださいますね?」
「もちろん。エンジェルステラがどうにかしてV2モンスターの出現を察知し、速やかに現場に急行していることから、ナイトスカイでは戦闘直後に接触を図るのが確実なのではと思っていたらしい。で、政府の特別チームメンバーとなっているこのラボに、彼らは接触を」
そこまでの話は、既に伊織も御園から聞かされていた。
だが、問題はそのあとだ。
「私と所長で、一旦は止めたのだ。そのような理由で機器をレンタルするのだとしたら、お貸しすることはできないと。だが、相手は引かなかった。どうしても早急に本物と接触したいと」
「接触してくるのは偽者ばかりで辟易していたのだろう。それに、エンジェルステラが活躍すればする程、別の問題も起きていた」
「凶悪事件が連続で起きているアレですか」
三ツ浦と緑川の話に、健太郎が割って入った。
「毎日毎日、小さな見出しではあるけれどちょこちょこ起きてますよね、事件が。この前、とうとう死人が出た」
「何それ」
伊織が首を傾げると、そんなことも知らないのかと健太郎に睨まれる。
「本物のエンジェルステラと関係があると発信していたアカウントに騙されて、女子中学生が誘拐、殺害された。死体遺棄の疑いで偽アカウントの主が逮捕されてる。似たような事件が未遂だけでも何件か起きていた。本物が本物と名乗らなかったことで起きた事件と言われても、仕方がないだろうな」
「のどかと、同じくらいの女の子が」
健太郎の話を聞いて、伊織の頭からサァッと血の気が引いた。
思っていたよりもずっと、良くないニュース。
真っ青になった伊織に、緑川はそっと目を伏せた。
「ナイトスカイ側から言われたのだ。『もし本物のエンジェルステラが、私達はここにいると呼びかけたら、混乱が収まるんじゃないか』と。自分達で燃料を投下しておいて何をと私も思ったがね。その通りだとも思った。V2の脅威から世界を救えるのはエンジェルステラだけ。彼らの、エンジェルステラと契約してから先のビジョンを、まずは聞いてみようと思ったのだ」




