chapter.4 君と彼を救うため
名前を聞いたところで、健太郎はそれが誰なのか直ぐには分からなかった。
せいら、と彼女は言った。若い子の名前だ。少なくとも自分よりずっと年下の女の子の名前だろう。
やすき、やすき……せいら。
何度か口の中で反芻させているうちに、ふと根暗な女子高生の顔が過った。
「もしかして、カラオケの!」
「カラオケ? ……私の記憶にはないな。この時代の私と君はカラオケに行ったのか」
ハッと息を呑んで視線を上げると、緑川瑠璃絵は力の抜けたような顔をして、指で涙を拭っている。
「まぁ……何というか、内緒話をする場所を探してカラオケの個室に辿り着いたまでです。伊織の同級生の安樹星来。確か、そんな名前でしたよね。カラオケの釣り銭が帰ってきた時、同封されたメモにそんな名前が」
「正体がバレたらしいという話は、聞いている。バレたというより、知っていたのだろう。最初から」
「伊織は彼女をストーカーだと」
「そのようなものだった。あの日までは」
「あの日?」
「君達が電車でV2に襲われたあの日、私は隣の車両から全てを目撃していた。怖くて足が竦んで、何もできなかった。魔物は暴れるだけ暴れて、車内はめちゃくちゃだった。君達二人は必死に抵抗していたよ。怖かったろうに、果敢に殴りかかったり、体当たりしたり。魔物の爪が腹を抉り、頭を傷付けた。電車が急停止して警察が突入するまで、他の乗客に被害が及ばぬよう、あの車両で必死にV2を食い止めていたのを鮮明に覚えている」
「俺と、伊織が……? まさか」
「二人とも、正義感が強かった。大切な物を傷付けられたり失ったりした経験があったからだろう」
そんなことが。
健太郎はポケットからハンカチを取り出し、スッと緑川に差し出した。
すまない、と軽く頭を下げ、緑川はハンカチを受け取ると、眼鏡を外してゆっくりと涙を拭き取っていた。
「あのちんちくりんな女子高生とは、似ても似つかない。でも、目元は似てる」
「こちらに来る前、少し弄ったからな」
「なるほど」
そこまでして、彼女は過去に来たかったのだ。
やはり、彼女はストーカーではなく、伊織のことを。
「好きだったんだな」
ボソリと吐き出した健太郎の言葉に、溜め込んでいたものが一気に噴き出したのかもしれない。
緑川の端正な顔は歪み、また、涙が溢れ出していく。
「そうだな。好きだった。彼が私のことを知らなくても、私が彼を知っていればそれでいいと思っていたくらいには」
「……純愛だな」
「歪な愛だ。純愛じゃない」
グズッと鼻水をすすり上げ、涙を拭いてから、緑川は眼鏡をかけ直した。
目元と鼻が真っ赤だ。
「あの日、全てが終わった後、隣の車両で動けなくなっていた私を見つけて彼は言った。同じクラスの安樹さんだよね、無事で良かった……と。自分はボロボロで死にかけていたのに、彼はそう言ったんだ。そして君も、そうやって他者を気遣う彼を見て、ホッとしたような顔をしていたよ。上司の息子がまともで良かったとでも思っていたのだろうな」
「まともかも知れないが、結構なヘタレだぞ、伊織は。最近は多少しっかりしてきたとは思うが」
「それでも、前を向いていく強さが好きだった」
「なるほどね。分かる気がする」
目の前にいる女性が伊織の同級生の安樹星来であることは明確だ。
さすがの健太郎も、そう信じざるを得ないような状況だった。
まだ幾つか疑問は残るが、そうでなければ説明のできないことが多かったからだ。
「ところでさっき、伊織と俺を救うため、とあなたは言った。つまりあなたの知る未来に、俺達はいない。……ってことで合ってる?」
「合っている。君達はNV2による暴動に巻き込まれ、命を落とす」
「もう一つ、どうして俺と伊織が魔法少女になる必要が? 誰でも良かったはずじゃ……」
誰でも良かったはずだ。
何か特別な理由がなければ、もっと身体能力の強い別の誰かでも、本物の美少女でも。
魔法少女があの場に現れ、V2モンスターを倒す。それさえ達成できたなら、伊織でも健太郎でもない第三者が魔法少女になっていても良かったのだ。
「候補者は、他にもいた。いるにはいたが、最終的に君達に決めた」
「それって、この変身システムと何か関係が?」
「……察しが良いな」
緑川はフッと笑う。
「魔法少女やヒーローに変身させる技術を確立したあと、何人かの被験者の協力を得て、今の君達と同じようにNV2殲滅作戦に従事して貰った。もちろん、強制ではなく被験者の意思によるものだ。彼らの身体に何らかの変化があれば、私の計画は中止にする予定だった。……が、明らかな変化があった。V2、NV2に対する耐性ができた。つまり、感染の確率が格段に減ったのだ」
偶然の産物だったのかも知れない。
もしくは大量にNV2と戦っている間にそうなってしまったのかも。
「罹患しない、つまり魔物化しないってことか」
「V2、NV2の恐ろしさは潜伏期間に発見しづらいこと。発症して魔物化すると、もう元には戻れなくなる。それだけは絶対に避けたかった」
「NV2の場合は人間の姿に戻れるって話じゃ……?」
「中身は別物になる。それを元に戻った、とは言わない」
「なるほど。つまりあなたは、俺達をV2感染の脅威から退けるためにこんなことをしたってこと? 迷惑な話だな」
健太郎が鼻で笑うと、緑川は申し訳なさそうに目を伏せた。
「すまない。他に君達を救う方法を見つけられなかった」
「いいよ別に。楽しませて貰ってる。それより今の話だと、未来にはヒーローもいた。だったらヒーローの方が良かったのに」
「ヒーローではダメだった」
「だからどうして」
「私と君達を繋いだのが、キュアキュアだった。それが一番の理由だ」
――口にしてしまえば、なんて単純な。
たったそれだけの、けれど納得せざるを得ないような理由に、健太郎は思わず噴き出した。
「くだらない」
「そうだろう。実にくだらない理由」
「くだらないけど、ちょっと嬉しい。なんでだろう」
「魔法少女が世界を救う力を信じているから……では?」
そうかも知れない。
何もかも隠してきた緑川の、素の部分にやっと触れた気がして、健太郎は少しだけ気持ちが軽くなるのだった。




