chapter.1 誰にも聞かれるわけにはいかない話
スマホの待ち受け画面、キリリとしたまどかの上に表示されたデジタル時計が十九時を報せる。画面を消してズボンのポケットにスマホをつっこんでから、健太郎は目の前のドアを三回ノックした。
中から「どうぞ」と低い女性の声。失礼しますと言いながら、健太郎はドアを開ける。
広い室内に、大きめの応接セットと広い執務机。ノートパソコンと資料、書類の山に埋もれたデスクで待っていたのは、厚ぼったい唇と細長い眼鏡が印象的な長い髪の女だった。
「君から連絡をくれるとはね、渚氏」
「こちらこそ、応じていただいてありがとうございます、緑川女史」
独特な呼び方をしてくる女史――緑川瑠璃絵は、既に何かを察しているのか不敵な笑みを浮かべていた。
ここ数日の心の落ち込みなど一切なかったかのように普段通りの格好で現れた彼のことを、緑川がどこまで知っているのか健太郎には分からない。が、何でもないように見せることが、今の彼にとってはとても重要だった。
心のどこかに引っ掛かっている小さな迷いに気付かれれば、彼女は会話を止めるだろう。
だから、敢えて不安事など何もないように振る舞わねばならなかった。
「二人っきりで話したいと言われて、一瞬どうするか迷ったのだがね。美味い店でも予約して、そこで話そうかと。――だが、違うな。君は誰にも聞かれるわけにはいかないような話をしたかった。違うか?」
「その通りです。お気遣い痛み入ります」
座れと、緑川は顎で合図する。軽く頭を下げて応接セットのソファへと腰を下ろした。
書棚の並んだ室内、窓にはしっかりとブラインドで塞がれ、外部から覗かれることはなさそうだ。防犯カメラの存在を確認しようと天井部分を確認していると、緑川が向かい側に腰掛けながら「随分慎重だな」と口角を上げた。
「どこかで誰かが会話を聞いていたり、記録が残ったりすると面倒なので」
「奇遇だな。私も困る。故に、この部屋にはそういった装置はない。遅番対応の赤井と三ツ浦が開発室で待機しているが、それ以外の人間は出社していない。このフロアには君と私だけ。安心して話すがいい」
緑川が長い足を組むと、白い七分丈のパンツから細い足首がしっかりと見えた。高い編み上げのヒールは、彼女の性格を表しているかのよう。しっかりと組んだ腕が、胸元の開いたカットソーから覗く谷間を強調していた。
相変わらずエロいなと、健太郎は彼女の谷間をガン見した。
「伊織には何も言っていないんです」
谷間に視線を向けたまま、健太郎は言った。
「俺がここにいることも、これから話すことも、あいつは知りません。あいつは無垢で、素直で、何もかも顔に出ます。もしこの場で何かあっても、俺は心の中に全部しまいます」
「良い心掛けだな、渚氏。それほどまでに円谷少年が大事か」
「大事です。あいつのことは、俺が守る」
歯の浮くような台詞。
だが正面に座る緑川は、全く表情を変えなかった。
「このところ、色んな問題が山積していて、頭で整理できないことが増えてきました。伊織はそんな中で葛藤しながらも徐々に自分自身と向き合い、魔法少女エンジェルステラのまどかとして戦い続ける覚悟を決めた。俺は最初から斜に構えて、どうせ魔法少女に変身出来るようになったんなら、好きなように暴れさせて貰おうとか、楽しんだもん勝ちなんていう浅はかな考えで動いていたに過ぎません」
緑川瑠璃絵は静かに、射貫くような目で健太郎を見ていた。
それが怖くて胸元に視線を落としていた、などという言い訳を考えながら、健太郎は話を続ける。
「どうせ戦うなら、全てを知りたいと思うのは当然なことだと思いました。V2とは何なのか、俺達は何を目的にしているのか、エンジェルステラの未来は。そもそも何故魔法少女なのか、明確な答えを与えられていない気がした。誤魔化されて、納得して。道化みたいに動き回るだけじゃダメだってところまで来ていると思っていたんです」
「そうかな。説明はしたはずだが」
「偽りの説明を、ですよね。あなたの真の目的を、俺達は聞いていない」
緑川瑠璃絵の目が、僅かに細くなった。
健太郎は深く息を吸い込み、思い切って質問をぶつける。
「あなたは誰です」
「誰……とは」
「緑川瑠璃絵は偽名でしょう。昔の、変身ヒーローものに出てきた、博士の娘の名前をもじってそう名付けた。まぁこれは偶然かも知れません。俺が色々と調べていた時に引っ掛かった程度のものだし、ブリンクに聞いても『何それ』って一蹴されたので。だけど、偽名だ。それは間違いない」
ニヤリと、緑川は表情を歪ませた。
少し楽しそうに、どこか嬉しそうに。
「面白いことを言う、とあなたは思ったはずだ。俺は最初から今までずっと、あなたを信用していない。V2罹患者が電車内で発症したタイミング、俺と伊織の関係、互いの過去、迅速すぎる研究と政府協力。まるで最初から全部知っていたかのような、妙な気持ち悪さがずっとあった。あなたがあちこちから引き抜いてきた、開発室の面々もそうだ。何故あの人選なのか、なぜ彼らが協力するのか、あなたが優秀だからとか、あなたに人脈があるからだとか、そういうことだけじゃ説明が付かないようなことがたくさんある。――教えて欲しい。本当のことを。返答次第で、俺の今後の身の振り方が決まる」
クククッと、緑川は肩を震わせた。
「本当に、面白いことを言う」
「面白いことじゃない。事実でしょう。緑川瑠璃絵と名乗るエロいおねえさん」
健太郎は引かなかった。
悩み、苦しみ、考えた末の挑発だった。
「特にこの、《ステラ・ウォッチ》の機能。変身はもちろん、ブリンクの存在も、瞬間移動も、現代の文明レベルからかけ離れた技術を使っている。どこかもっと技術の発達した世界――例えば、地球外、或いは異世界。もしくは……未来、とか」
フッと、緑川の表情が大きく緩んだ。
冗談だろ、と健太郎は唾を呑み込んだ。
「なるほど、面白い」
緑川はググッと前のめりになって、健太郎の表情を下から覗き込んでくる。
あまりにも荒唐無稽だったかと、健太郎は少し後悔した。
が、続けて緑川から出た言葉は、もっと衝撃的なものだった。
「その結論に辿り着いたのは、君で三人目だ」
ぞくり、と背筋が凍る。
蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった彼を、緑川瑠璃絵は嬉しそうに見つめていた。




