chapter.1 剥がれる偽装
目の前に置かれたフォークとナイフの数に、まどかは圧倒されていた。
なぎさも緑川も全く動じない様子で、淡々と前菜を口に運んでいる。
隣のなぎさと向かいのミチル夫人の手元を見るに、外側のナイフとフォークから使うのが正解らしい。トマトと生ハム、モッツァレラチーズの前菜を前に固まっていると、
「気負わなくても良いのよ、まどかちゃん。硬くならないで」
ミチル夫人の一言に、まどかは少し安心して手を動かし始めた。
「エンジェリック・ラボはV2発見当初から政府のプロジェクトチームに参加していると聞きました。それもこれも、緑川所長の手腕だとか」
岸社長がふいに尋ねてくる。
緑川は少し警戒したように「ええ、その通りです」と答えた。
「何より恐ろしいのは未知のウイルスの蔓延ですから。我々の技術が世の中のためになるならば、幾らでも力を貸しますよと、そういう姿勢でずっと関わらせていただいています。採取したV2罹患者の細胞を分析できる装置を有していたのが、当時私どもだけでしたから、必然的にそのままチームに在籍することになった、というのが正直なところです」
「それは凄い」
「インフルエンザウイルスの変異株なんかが時折問題になるでしょう? 今まで主流だったウイルスとは違う特徴を持った株が蔓延すると、それに対する免疫はないわけですから、重症化リスクが上がる。――元々は、変異株や他国から持ち込まれた未知のウイルスについて研究を行う機関でした」
「なるほど。素晴らしいですね。そういえば、V2モンスターの出現をいち早く探知できる装置も、その殆どがエンジェリック・ラボ製だとか」
「ええ、そうです」
「私は科学には全く詳しくありませんが、あちこちで話を伺ったところ、エンジェリック・ラボさんの技術力は群を抜いているという話でした。相当優秀な研究者で固めているようですね」
「当然です。それだけ重要な仕事をになっているということですから」
仕事の話にしては互いに攻撃的だなと思いながら、まどかはいつもより小さくトマトをカットして口に運んだ。いつもの大きさだと口が自然と大きくなる。まどかは女の子を演じるのに必死だった。
「このままモデルとして活躍できそうなくらい可愛いわね、あなた達」
ミチル夫人からとんでもない台詞が飛んでくる。
ウッと息を詰まし咳き込むまどか。
対してなぎさは、しゃんと背筋を伸ばし、営業スマイルを返している。
「お断りします」
即答かとまどかが目を丸くしていると、ミチル夫人はミチル夫人で、またうふふと含み笑いをする。
「冗談よ、冗談。だけど、本当に可愛らしい。仮の姿……だったかしら。つまり、見た目だけじゃなくて中身も全く違う可能性がある」
「ご想像にお任せします」
中身が健太郎なだけあって、なぎさは強気だった。
フォークとナイフを置き、少し飲み物を含んだ後で、なぎさは意を決したように切り出した。
「……空嶋ミチルといえば、岸社長との電撃結婚の後、突然の芸能界引退で時の人となったイメージが強いんですよね。なかなか人前には姿を現さないことでも有名だったはず。なのに、どうして急に?」
今度はミチル夫人がカトラリーから手を離した。
「わたくしが芸能界にいたのは、十五年も前のことよ。なぎさちゃん、よくご存じね」
「今は、色んな情報が簡単に手に入る時代ですから」
なぎさも負けじと言い返す。
「それにしたって、わたくしの顔を見て直ぐに名前が出てくるなんて。まるでわたくしの現役時代を知っているみたい」
「今はサブスクで昔のドラマや映画も配信しています。『最後の恋の話』、教師役が素敵でした」
「わたくしの現役最後の映画ね」
「あの頃とまるで印象が変わりませんね」
「あら、お世辞も上手」
あっちでもこっちでも、ピリピリとした空気が漂っている。
お食事会と聞いたのにどうしてこうなったんだろう……
まどかは場の空気の悪さに、思わずブルッと背中を震わせた。
「『最後の恋の話』は、サブスクでは公開されていないわよ、なぎさちゃん」
「アッ……!!」
しまったと、なぎさは口を手で塞ぐ。
隣で緑川がなぎさを睨み付けているのが見えて、まどかはひゃあっと肩を竦ませた。
「……化けの皮が剥がれたかしら。少なくとも、高校生じゃないわよね、なぎさちゃんは」
うふふと嬉しそうに肩を震わせるミチル夫人から目を逸らすように、なぎさはわざとらしく顔を伏せた。
「あの作品ね、監督が覚醒剤で逮捕されて、その後も出演者の逮捕や不祥事が続いちゃって、円盤出してもらえなかったのよ。だから、内容を知っているのは当時映画館で観た人くらいね」
やらかした……と、なぎさが頭を抱えている。
「え、マジで観に行ったの?」
「親が空嶋ミチルのファンでさ……」
コソコソ話をするなぎさとまどかを刺すような目で睨む緑川。
今更誤魔化せそうにもないと悟ったのだろう、深く息を吐き、気を取り直して岸夫妻に向き直った。
「申し訳ございません。二人の素性についてはこれ以上の言及はお控えいただきたく。中身は正真正銘まどかとなぎさで間違いありませんので」
「――そうでなくては困るわ、緑川さん」
フフッと、またミチル夫人がほくそ笑む。
「あなたも『緑川瑠璃絵』ではないわよね」
緑川となぎさがビクッと反応するのを見て、まどかはエッと、首を傾げた。
「わ、私は」
「もっと違う名前だった気がするわ。印象も少し違う。以前はもう少し控え目だったような……」
「な、何を仰って」
ミチル夫人は止まらない。
岸社長はそんな彼女に厳しい目を向けている。
「何だったかしら。珍しい名字で……」
「以前どこかでお会いしたことが? 私は全く」
「直接お会いしたこともあったはず。父が勤めていた大学で働いていたでしょう? あまり詳しくは知らないのだけど、確か、三ツ浦先生と一緒に研究を」
――ダンッと、緑川が両手をテーブルに叩きつけて、突然立ち上がった。
何が起きたのか。
まどかは恐る恐る、緑川の横顔を見上げる。
顔を真っ赤にして、眼鏡の奥には涙が。
「聞くな」
ガバッと、なぎさが咄嗟にまどかの頭に両腕を回し、両耳を塞いできた。
「な、なにす」
「聞くな、まどか。何も聞くな」
無理矢理胸に頭を埋められ、そのままギュッと抱き締められる。
「放せよなぎさ! 苦し……」
悶えるまどかの声に被せるように、ミチル夫人は言うのだった。
「……未来から、来たのよね、あなたも」




