chapter.6 岸社長とミチル夫人
都内某所――……
高層ビルの建ち並ぶ繁華街。
ドレスアップしたまどかとなぎさ、そして緑川は、エレベーターの中にいた。
目的地は、とあるビルの最上階にある高級レストラン。
ラボからここまで来る間、まどかは社用車の後部座席で同行の二人に散々マナー指導を受けた。テーブルマナーは大丈夫か、フォークとナイフはどの順番で手に取るのかはもちろん、椅子に座ったら見えなくても足は閉じろ、背中を丸めるな、笑顔を絶やすなと両脇から言われっぱなしで、運転手が可哀想にと愛想笑いをする有様だった。
そのせいか、まどかは既に疲労困憊の表情だった。
一方なぎさは、心に余裕がないのか、やたらチラチラとエレベーター内を覗っていた。
「がに股にならないように。面倒でもバッグは両手で持て」
緑川が最後の忠告。
「女子の服、なんでポケット付いてないの……。面倒くさい……」
「四の五の言わない。食事も可愛く食ってよ、まどか」
なぎさも重ねて忠告する。
「が、がんばる……」
エレベーターの上昇が終わり、すぅっと浮くような感覚。
「行くぞ、二人とも」
「おっけー」
「はい」
ドアが開く。緑川に続いて、エレベーターを降りる。
待ち構えていたスタッフが名前を確認し、三人を案内した。
――豪奢な部屋だった。
柔らかな間接照明、大きな窓の外に広がる一面の夜景。空中に降り立ったのかと錯覚してしまうくらい視界いっぱいに、色とりどりの光が煌めいている。
「わぁっ! 凄い眺め……!!」
思わずまどかが声を上げた。
「まどか、先に挨拶」
「――あっ!」
緑川に言われるまで、まどかは気付かなかった。先客がいたのだ。
「いいのよ、まどかちゃん。良い眺めよね」
「気に入って貰えたようで嬉しいよ。ここからの景色は格別だから」
一人はナイトスカイ・エンターテインメント代表取締役社長の岸文博氏。そしてもう一人は……
「も、もしかして空嶋ミチル……!!」
なぎさが驚きの声を上げた。
「あら、嬉しいわ。こんなに若いお嬢さんがわたくしの名前を知っているなんて」
岸社長と共に待っていたその女性は、まどかとなぎさを見てニッコリと微笑んで見せた。
「え、何? 有名な人?」
「岸社長の奥様だよ。現役時代は雑誌のモデルにドラマ、CM引っ張りだこだったんだから。引退して久しいのに、変わらずお美しい……」
ペラペラと話しているあたり、健太郎が昔好きだったタレントさんだったのかも知れない。そうなんだとなぎさに相槌を打ち、まどかはとりあえず納得した振りをした。
「本日はお招きいただきありがとうございます。エンジェリック・ラボ代表の緑川瑠璃絵と申します」
「岸です。こちらこそ、応じていただきありがとうございます」
緑川と岸社長の名刺交換が終わったところで、二人も続いて「なぎさです」「まどかです」と頭を下げる。
「まさかご夫人が同席だとは」
「ええ。実は、妻がどうしてもお話ししたいことがあると」
「奥様が?」
「ふふふっ。詳しい話はゆっくりと、お食事を楽しみながら致しましょう」
長テーブルに、席が五つ。
フレンチのコース料理だとは聞いているが、こういう場が初めてのまどかは、どう動けば良いのか分からずに、ぎこちなくなぎさの後ろについて行く。
案内されたとおりに席に向かい、緑川やなぎさの動きを真似てバッグを背もたれと背中の間に置く。小さなバッグはここで良いらしい。座る時もスカートの裾がしわくちゃにならないよう、丁寧に座る。
「まどかちゃんは高校生?」
ふいに向かいの席のミチル夫人に声を掛けられ、まどかは思わず「はい」と返事した。
「こういうの、慣れないわよね。硬くならなくていいわよ」
「あ、ありがとうございます……」
肩を竦めて萎縮するまどかに、ミチル夫人は「可愛い」と頬を緩ませた。
「正体は絶対に明かさないという二人とこうしてお会いできたこと、感謝します。緑川所長には、かなり無理を言ってしまいましたね」
岸社長は年の頃五十代前半。写真や映像で見るよりもずっと若々しく、静観な顔付きが印象的だ。背も高く、ガッチリしていて、如何にもやり手の社長という風貌だ。
「いえ。私の方こそ、正体も明かさぬ状態で契約に至ったことに関してはお詫びすることしか。しかし、彼女らはアイドルやタレントではありません。それぞれ素性を隠さなければならない事情がありますので、そこはご配慮いただきたく」
「それにしても、こんなに可愛いお嬢さん達が魔法少女として戦っているなんて。本当に素晴らしいわ」
うふふと微笑むミチル夫人は、いわゆる美魔女だった。年齢は恐らく岸社長と近いはずだが、ウェーブのかかった長い髪は絹糸のように滑らかで、豊満な胸が濃い紫色のドレスの下からでもくっきり分かる程、整ったプロポーション。物腰も柔らかく、かつて女優だったというのも納得の美しさだった。
「念を押しておきますが、これも仮の姿です。まどかもなぎさも、本当の姿は誰にも明かさない」
「あなたは知っている」
「ええ。私が責任者ですので。ですが、真実を知るのは、社内でも僅かな人間だけです」
「あら、秘密が多いのね」
「申し訳ございませんが、素性を探るようなご質問は避けていただきたく」
いつも毅然としている緑川が押されているような気がすると、まどかは思った。
場がピリピリする。
「まぁまぁ、ミチル。それくらいで。今日は素敵なお嬢さん達との貴重な時間を頂けたんだから、和やかにね」
岸社長の一声で、ミチル夫人は「それもそうね」と口角を上げた。
テーブルの上には前菜とテーブルワイン、まどかとなぎさの前にはソフトドリンクが運ばれてくる。
給仕の無駄のない動きを目で追うまどか、一連のやり取りに不穏な空気を感じ取ったなぎさ。そして、二人の正体を隠し通すことに全神経を注ぐ緑川。
グラスに全員分の飲み物が揃ったところで、ミチル夫人がスッとグラスを持ち上げた。
「乾杯しましょう。美しい夜景と、可愛い魔法少女のお二人に」
一人一人、グラスを手に持つ。
いささか不安ではあるけれど、卒なくこなさなくてはと、まどかは息を飲む。
「乾杯」
少しだけ高く掲げたグラスの中の、オレンジジュースがたぷんと跳ねた。
まどかはその向こう側で、ミチル夫人がふふふっとまた何かを含んだように笑うのを、見たような気がするのだった。




