chapter.5 準備万端
約束の日の午後、伊織の住むマンションに健太郎が迎えに現れる。パートから早めに帰宅した母のみどりと軽く挨拶を交わした後、二人は急いでラボに飛んだ。
ラボにはフルメンバーが揃っていて、最終調整だとかで皆バタバタ忙しなく走り回っていた。
「二人とも、こっち!」
到着した二人を見つけて、研究員赤井里穂が少し奥のテーブルで手を振っている。伊織と健太郎は皆の邪魔をしないよう、慎重に人の動きを確認しながら、彼女の待つテーブルの方へと向かって行った。
額に汗を浮かべ、赤井は「ちょっと貸して」と二人に《ステラ・ウォッチ》を外すよう指示を出した。何だろうと互いに首を傾げて渋々ウォッチを差し出すと、赤井はマグネット式の充電ケーブルにウォッチを繋ぎ、手元のノートパソコンのキーボードをカチカチ打ち始めた。
「急ぎ、アップデートするからね。ちょっとデータが重いから、充電しながらじゃないと……っと」
「アップデート?」
「そう、アップデート。黒髪バージョンの実装」
パチンと、赤井は伊織にウインクして見せた。
「この前の撮影は髪の毛そのままだったのに」
「あれは契約上まどかとなぎさであることを瞬時に理解して貰わなきゃいけないからでしょ。今回は違うから」
「ナイトスカイの社長とのお食事会に、ピンク髪で行くのはどう考えてもおかしいだろ」
健太郎が余計なことを言うので、伊織は眉間に思いっ切り皺を寄せ、下から睨み付けた。
「なぎさは金髪だからって、僕のことばかりとやかく言うの、変じゃない?」
「魔法少女としては可愛いけど、ビジネスの場ではちょっとね~って話だろうが。ガキには分かんねぇか」
「――はいはいはいはい、そこ、じゃれ合わない」
「じゃれ合ってないです」
「クソガキに解説してただけです」
伊織と健太郎のやりとりもラボのメンバーは慣れたもので、誰ひとりツッコミに回らない。赤井も例外なく二人の発言をスルーして、ウォッチがフル充電になるのを待っている。
「黒髪バージョンだけど、普段着の夏服が三パターン、ドレスは黒とカラーの二種類を用意したから。まどかは薄ピンク、なぎさはライトグリーンね。メイクも髪型も服装に合わせてちゃんと変わるようにプログラムしといたからね」
「私服……要ります?」と伊織。
「要るだろ。あれ? 際どい水着の実装は?」と健太郎。
「際どい水着が着たかったら家で勝手にやってくださいね~」
呆れた顔でやって来た御園優里亜が口を挟むと、健太郎が「つれないなぁ」と独りごちた。
「どうせ色々実装するなら、一度にやっちゃった方が楽でしょ。私と里穂さんとめっちゃくちゃ時間掛けてコーデ選んだんだから」
ハイッと突き出してきた紙束には、まどかとなぎさの衣装のデザイン画が幾つも描かれていた。
見せられたところで伊織には「すごいっすね」以外何と答えたらいいのか全く分からないし、健太郎は健太郎で「下着は可愛いから、これで我慢するしかないか」と訳の分からないことを呟いている。
「はい、アップデート終わり」
ピロンと心地いい音が鳴り、《ステラ・ウォッチ》が返却された。
「サイドボタンをクリックしてメニューを表示、背景が虹色になっている羽のアイコンをタップしたら、スタイル選択。ブラックスタイル、ドレス、カラーの順でタップ」
赤井に言われるがまま、伊織と健太郎は左腕に装着した《ステラ・ウォッチ》の盤面をポチポチと押していく。
「最後にウォッチに向かって“チェンジ・スタイル”ね。これで黒髪バージョンのまどかとなぎさに変身できるから」
「おっけー」
「できた。……じゃあ、やってみる。“チェンジ・スタイル”」
いつもの決めポーズ、伊織の声に反応して《ステラ・ウォッチ》が光り出す。全身が淡い光に包まれた後、パンッと一気に光が消えて、変身が完了する。
「か、可愛い……!!」
「美少女過ぎる……!!」
そばで見ていた赤井と御園が、キャッキャと肩を揺らして頬を赤らめた。
「可愛いぃィ〜〜!! なぎさは美人過ぎてヤバいんだけどぉ〜〜!!」
「ヤダっ!! まどかちゃんとなぎさちゃん、本当にこの世に存在していいのってくらい、めちゃくちゃ可愛い~~!!」
「い、言い過ぎだから」
「そんなことないってば!! 鏡、鏡!!」
御園が差し出してきた手鏡。
そこに写っていたのは――……
「のどかに似てる」
「分かる」
黒髪のまどかは、中学生の妹のどかを少し成長させたような顔に見えた。
それこそ、事情を知らない人が見たら姉妹だと思われると想像できるくらいには。
「……なんで健太郎がのどかの顔知ってんの。さっきは母さんとしか会ってないのに」
「課長のスマホの待ち受け、伊織と妹ちゃんだから。毎日見てた」
「なるほど」
後ろに半分振り返って見上げると、黒髪になったなぎさの綺麗な顔が見えた。黒髪と言うよりは茶髪。高校の先輩に居そうな、人懐っこい感じの女子の顔。
「髪の毛の色が違うだけで、普通の人っぽく見える」
「普通の人じゃない。普通よりもずっと可愛い女の子に見える、でしょ」
なぎさに変身した健太郎はすっかり女の子モードになって、下ろした髪を掻き上げたりくるくると身体を揺らしてスカートの揺れ具合を確認したりしているようだ。ピンヒールなんて履いたことがないはずなのに、案外姿勢良く立っているところが何とも憎らしい。
まどかの方は少し底が高いローファーで、ロリータ風の膝丈ワンピース。
似合うかどうかはさておき、芸能人かモデルと詐称できそうな格好になったことだけは、伊織にもなんとなく理解できていた。
「――お! いいね、二人とも」
パンパンと手を叩いて近付いてきたのは三ツ浦だった。
「三ツ浦さん、今日はよろしくお願いします」
なぎさが言うと、三ツ浦はいやいやと首を振った。
「先方から人数は最低限にしてくれと連絡があってね。込み入った話があるから、諸般の事情を知っている一名と、エンジェルステラの二人のみで、と。私は残念ながらお留守番だ」
「諸般の事情……? じゃあ、行くのは緑川所長と私達だけ?」
「そういうこと。楽しんできなさい」
「た、楽しんでって言われても……」
顔を見合わせるまどかとなぎさ。
そこへ、カツンカツンといつも通り高い靴音を響かせて、黒いパンツスーツ姿の緑川瑠璃絵がやってくる。
普段より気合いが入っているのか、緑川は長い髪を後ろで綺麗なお団子にして、眼鏡をギランと光らせていた。
「準備はいいか。まどか、なぎさ。行くぞ」
約束の時間まであと三十分――……
緑川に連れられ、まどかとなぎさは岸社長との食事会に出発したのだった。




