第10話 目が覚めると
──目が覚めると、俺はベッドに寝かされていた。
口の端から僅かな息を漏らして、まず第一に自身の左腕を確認する。
……良かった。寝かせてくれた何者かにも取られていないし、傷もない。仮にもし何かあったのなら、それこそ社長に殴り殺されてしまう。
服は脱がされていて、僅かに血に濡れている包帯が胴体に巻かれていた。
足にも包帯の感触があるし、体を動かすたびに痛みが走るので、全身に酷い怪我を負っているのは間違いないようだ。
ここはどこなのだろうか。
先程のような岩肌が剥き出しになっていた壁ではなく、石材のブロックが仕切りに周囲の壁に敷き詰められていた。
部屋の中にはタイトルも見えない本が乱雑に積み上がり、本棚には分厚い本やら薄い本やらが、壁と同じように敷き詰められている。
昔使われていたのだろう。
年季が入っている机、そしてアザール鉱石が入った透明な筒が白く輝いていた。
アザール鉱石が放つ淡い光は青色のはず。それは一旦置いておいて、また部屋を見渡していく。
部屋の両端には、どこへ続くかも分からぬ扉がある。
一方は開け放たれ、一方は固く閉ざされている。どちらの扉にも近づきたくないし開けたくない。
人間は何よりも未知を恐れるべきである、なんて言葉を思い出し、
「なんだ、ここ。得られてる情報も少ないし……ホント、何なんだ」
唐突に浮かび上がってきた疑問と共にそんな気持ちを吐露した。
ベッドの上で上半身を起き上がらせ、僅かに体を震わせる。
ソレは、紛れもなく純粋な、純粋すぎるほどの恐怖であった。中途半端に頭が回るのが災いして、様々な事を考えてしまう。
俺をベッドに寝かせたのは誰だ?
そもそもなぜこんな所にいる。普通ならあの場で死んでいるはずなのに。なぜ。
明らかな第三者の存在。そして目的の不鮮明さ。全てが不気味で恐ろしい。
なぜ助けたのか。ソレを知るには直接その人物に接触するしかなさそうだ。
頭の片隅で冷静にそう判断すると、思考の大部分を占めている不安を押し殺してベッドから降りる。
「…………」
まずは、あの開かれた扉から。
少し覗くだけならば問題あるまい。
例え攻撃されたとしても、俺にはこの義手がある。多少の攻撃なら受け流し、そのままカウンターを入れてやるさ。
やや強気になって、暗い、暗い扉の向こう側に足を運んでいく。
その扉はまるで獣が大きく口を開けているような、そんな本能的な恐怖を煽られる。
「……ったく」
ここがどこなのか、なぜ俺を助けたのか、その他諸々の事情を問い詰めなければ始まらない。
恐怖を抑え、遂に扉の目の前に辿り着く。
かつて左腕があった部位に着けている義手を構え、そのまま部屋の中に突撃した。
暗闇の中に飛び込み、がむしゃらに左腕を振り回す。
突然の攻撃にも対応できるように、だったが、傍から見れば子供のように見えてしまうだろう。
暗闇を恐れる、ただの子供。実際怖いし何とも言えないが、とにかく左腕を振り回した。
暗闇の中を歩いていき、前方に向けていた手に壁の感触を感じた所で足を止める。
二度三度と撫で回すように壁の表面を触り、ハッと我に返った。何やってんだ、俺。
「誰もいない……のか」
思わずそう呟いてしまうほどに、ここは静かだった。
聞こえる音といえば、落ち着かずに部屋の中を歩き回っている自分の足音と吐息の音のみ。
他の音なんて聞こえやしない。
そうしてしばらく部屋を歩き、ようやく暗闇に目が慣れてきた頃。
「ん?」
もう一つの扉を発見した。
他の扉は木製の扉だった。先程まで寝ていた部屋にあった二つの扉も、木製だった。だが、コレはどういう事なのか。
鉄製。鉄の扉。この扉だけは他の扉とは違う材質で出来ている。その理由は?
扉を開ける為にある出っ張りに手をかけてしまい、すぐに手を離した。
スライド式のドアのようだ。
この扉の先には何があるのか。ソレを自分なりに推測して、それから開けることにしよう。
そう考えて冷たい鉄の扉に左耳を押し当てる。
水が流れるような音。川のような流れではなく、もっと人工的な流れの音だった。
……危険は無さそう、か。
「開けるか」
きっとあの音は蛇口を捻りっぱなしにしている水道から出る水が落ちる音だったのだろう。
脳内で勝手に想像して、扉を開ける。
中は明るく、上の方にはアザール鉱石が放つ光が白色に変換されているランプがあった。
乱雑に積み上がっているタオルと、なぜか女ものの服やら……下着やらが床に放っている。なんだろう、そういう趣味でもあるのか?
そして、また扉である。くぐもった透明のガラスだけがそこにあり、ドアノブを捻れば開けられそうだ。
そして。
向こう側には、誰かが立っている。
──ガチャッ。と、扉を開けるような音と共に目の前の扉が開かれた。
「あっ」
「えっ?」
二つの声が狭い空間内に響き渡る。
そして、見てしまった。その女性の裸体を、余すことなくこの目に焼き付けてしまっていた。不幸な事に、向こうもなぜか動かない。
その時間、僅か二秒前後。
俺と同じ黒髪で、艶のある長い髪はランプの光を反射して白く輝いている。
目の色もまた黒。それも俺と同じだ。ただ一つ違うのは、俺のように眠たそうな目ではなく、クリクリした可愛らしい目だった。
顔は当然のように整っていて、驚いているのか口をはんびらにしている。自然と視線は胴体に向けられていく。
ムワッと風呂場から来た湯気に隠れてよく見えないが、その乳房は普通の大きさに見える。大きくも小さくもない。
体の線は細く、抱きしめればそれだけで折れてしまいそうなほど。
腹の臍まで見えてしまった所で、もう一度その女性の顔を凝視する。
「な……」
爆発寸前、といった声だ。
震えていて、今にも怒鳴り散らかしそうな声。この時点で背を翻し、逃走を図ろうとした。
だがなぜか体が動かない。まるでその場の空間ごと固定されてしまったみたいで、自分の意識では自由に体を動かせない。
「ななっ! 何してるのさぁ!!」
背中と頭に走る鋭い衝撃。轟音。
……その後の記憶は無い。
◇◇
──目が覚めると、俺はベッドに寝かされていた。
これで二度目である。
自分がしでかした事は把握しているし、即刻謝って色々と話を聞かなければならないという理性的な思考も働いていた。けれど、それ以前に彼女が部屋の椅子に座っているのを見て体を一瞬震わせてしまう。
水面で餌を求める魚のように口をパクパクさせて、何を言うべきかを冷静に考えていく。
まあ、やる事は一つだろう。俺はベッドから立ち上がって名も知らぬ少女に向き合い、
「――すいませんでしたッ!!」
大声で謝罪の言葉を口にした。
「……第一声がソレな時点でもう何も言えないけど……普通なら覗きで訴えられるよ? そこら辺分かった上で言ってるのかな、君は」
ジト目でそう言う少女に向かって、俺は何も言えなかった。
必死に頭を回転させても、この状況での最善は『謝る』以外にないという頼りない解答しか得られない。
言い訳なんて以ての外。ソレは状況を悪くするばかりで一向に解決にならないだろう。
「……その、嫌なら答えなくてもいいんですけど……なんで俺を助けたんですか? 貴方には何もメリットがないし、理由が不可解すぎてどういう対応をとったら良いのか分からないんですけど」
もし、敵対的な理由ならと拳を握りしめていると、彼女はなぜか首を傾げて言う。
「──人を助けるのに、理由なんて必要ないでしょう?」
その、言葉に。
今まで、打算で助けられた事、悪意に助けられた事、利害関係の一致で助けられた事、その他諸々の理由が一瞬で頭を駆け巡った。
なぜかは分からないけれど、俺は。
「……そう、ですか」
人の優しさに助けられたのだと、理解する。




