第11話 一人の少女と出会った
「その……助けてくれてありがとうございました」
次に彼女に言ったのは、たった一言の礼の言葉だった。
目を合わせている為に、その瞳にこちらの顔が鏡のように写っている。
……いつの間にか、少女は近づいてこちらの目を覗き込んでいた。瞳に俺の顔が写っているように見えたのは、一重にそのせいだったらしい。
この人は特に何を言うわけでもなく、ただ見てくる。顔から胴体、そして義手に視線を向けているようだ。
舐め回すように、という表現は適切ではない。まるで何かを確認しているような素振りを見せている。
そうして離れていった彼女は、俺に向かって一言。
「変な人だね」
「……そうですか」
それを言いたいのはこちらのセリフだ。いきなりそんな事を言われてもなんて返せば良いのかなんて分かりっこないのに。
そんな言葉を飲み込んで、変わりに息を吐き出した。
目を閉じて、また目を開いた後にふと思う。
まだ聞くべきことをほとんど聞いていなかったじゃないか、と。ここはどこなのか、なぜ貴方はこんな所にいるのか、などなど。机においてあるコップを手に取って口につけている彼女に向かって、早速問いを投げかける。
「僕は少し前までボイドの底を彷徨っていたはずなのに、なぜこんな所にいるんですか?」
「……ソレを答えるには、いくつかの条件を飲んでもらわないといけないけど、大丈夫?」
「はい。助けてもらったんですから、一応どんな条件でも飲みますよ」
まともな条件ならな、なんて事を心の中で付け加えてから数秒。少女は唇に当てていた手を放して、言う。
「まず、ここの事は誰にも話さない事、私の事は他言無用ってのは必ず守ってもらうよ」
なぜ、なんて事を聞くのは野暮というものだろう。この状況で聞く必要はないし、理由の追求に意味なんてない。
それよりもと、彼女の言葉に耳を傾けていく。
「──ここはボイドの底の底にある空間。昔千年王国の人達が使ってた、有事の際の避難所って言ったらいいのかな」
有事の際、その言葉の意味するところは容易に想像できる。
地盤が崩れて地上からの救出が困難になった時、アザール鉱石を狙う奴が現れた時、そんな事が起きた時に使う、避難所。
ボイドの底だというのなら、地上での異変が起きた時には使えないだろうし、間違いない。
「なんでここに住んでるのかは言えないけど、君がなんでここに居るのかは言える。……言えるけど、その前にもう一つ約束してもらう」
「え? あ、はい」
予想外の一言に、そんな間の抜けた返事をしてしまう。
何を言うつもりなのかと身構えていると、
「その……敬語、止めてもらってもいい?」
意外な事を言われたものだから、若干緊張して伸ばしていた背筋が曲がる。
そんな事でいいのなら万々歳だ。むしろ付ける条件が緩すぎて拍子抜けしてしまった。
だが、まあ。初対面の相手に敬語無しか。若干抵抗があるが仕方ない。
一度息を吸うと、彼女の黒い瞳を見つけて言う。
「分かった。これでいいか?」
「……うん、ありがとう」
先程まで無表情だった顔が少し綻ぶ。
俺と彼女との間にあった距離が、少しだけ縮まったような……そんな気がした。
「というか、そんな隠すほどのモノでもないんだけどね。……君はここに落ちてきたんだよ。何の前触れもなく、天井が崩れ落ちてきて」
天井が、崩れ落ちてきて。
その言葉の意味する所は想像に固くない。つまりコイツはその現場を目撃したという事だ。目撃して、その場を訪れたという事だ。
その現場は、今どこにあるのだろうか。
「そこまで連れて行ってもらってもいいか?」
「……うん。いいよ」
──その光景は、あの閉ざされていた扉の先に広がっていた。
まず目に入ってきた、というか感じたのは、この部屋とは違う凍えるような冷気。
部屋の中とは違う空気で、今更ながらにここに暖房的なモノがあったのだと気付かされる。
完全に崩壊した天井の下敷きになって、ここにあったであろう機械群が廃棄物と化していた。
ウィスタリアの青い光がそこら中に点在していて、火花を散らしながらチカチカと点滅している。なんというか、凄まじい光景だ。
コレを起こしたのが俺だというのだから信じられないというか……。
左腕の義手に目を向ける。
今は何も装填されていないので、いつもの半分程の重さしか感じない。
だが、もし再装填していればどうしたのか。
恐らく、エクスプローラーズへの報告を最優先してまた天井を壊す事だろう。
見た感じ出口もなさそうだし、ここから出るには相当時間がかかる。
ならば、壊すしかあるまい。
壊して、新しく道を作る。受けた恩なんて気にするものか。そんなモノよりも大事で大切で、どうしようもないくらいに重要なモノがあるのだから。
俺と一緒にボイドの底に来て、そしてあの機械兵に襲われたあの三人。
アイツらは今何をしている?
助けを求めているかもしれない。ひょっとしたらもう一人くらい死んでいるのかも、しれない。
けれど、大人数で捜索すれば必ず見つかるに違いないのだ。
特に関係もなかった三人。
助けたいとは思っていないし、もう死んでいるだろうと割り切ってもいる。
だが、助けられる命を見捨ててしまえば、エクスプローラーズでの俺の評価は地に堕ちるだろう。
それは困る。むしろ絶対に避けなければならない事柄だ。助けられたはずの命をどうして助けなかったのか、なんて偽善者共の酷評を浴びる展開は避けた方がいい。
危険を冒して助けに行って、あの機械兵に遭遇するなんて以ての外だ。
とまあ、そんな思考を巡らせていると、
「コレをやったのって、君でしょう?」
俺にとっては分かりきっている程に分かっている事を、目の前の少女は告げる。
そうだと言うべきか、誤魔化すべきか。いつかはバレる事を、問題を先送りにして凌ぐか。
下衆な思考が巡りに巡って、なぜかその後の反応がその場に居合わせたように脳内で再生した。
『やっぱり……君なんて、助けなきゃ良かった』
ソレは駄目だろう。
「いや、違うよ。たまたま地盤が崩れた所に巻き込まれたんだ、俺は。むしろ被害者なんだよ」
誤魔化した。いっそ清々しい程に誤魔化した。
鼻を隠しながら彼女に向き合うと、数秒見つめ合った後にフッと目を逸らす。
何か嫌な予感がして、一歩後退った。体重を後方に、つま先には全力を込めて、一気に後退しようとする。
だが、なぜだろう。
また体が動かない。
「チィ……!」
一度は偶然。しかし、二度は確実。コイツは何らかの手段で対象の動きを操る能力を持っている!
ソレを悟って舌打ちした途端に、重しをつけられたかのように身体が重くなった。
不安定な体制だった事もあり、背中から地面に打ち付けられてしまう。
肺に溜め込んでいた空気が全て吐き出される。
その間にも全身に来る圧力は強さを増していき、遂には完全に動けなくなってしまう程に重くなった。
少しまずいか。そもそもボイドにいる時点で可笑しいと思ったのだ。
何か特別な事情があるとは思っていたし、きっとソレは人に話せない程に暗く重い事情なのだと思っていたが。
「は……ぐっ……」
ピシリ、という嫌な音。
骨が砕けた音ではないだろう。横目で地面を見ると、なんと凹みと共に割り砕かれていた。
空間が歪んでいる。小石や土埃が浮かび上がり、周囲の現実が改変されていく。
現実改変能力者。
二年前に起きたとある事件。その中核にあったとある実験でその存在が世に認知された、最悪の実験物。
「ねぇ、嘘ついてるよね」
子供のように無邪気な声と問い。
間違いなくコイツは異常だ。それも取り返しのつかない程に精神性を歪められている。
いや……もしくは、元々そうだったのだろうか。
「口では誤魔化せても、君の心までは誤魔化せないよ。アレクさん」
最悪。
その二文字が暗い心の雲泥の中から浮かび上がってきた。
逃げられないのか。もう俺という存在は、物語はここで完結してしまうのか。
そう思った矢先、
「――ア"ァッ!」
最も会いたくなかったモノが、最善のタイミングで来てくれた。




