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君が帰ってきた家  作者: わかめ
帰ってきた子

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2/15

元住人

いわきに引っ越してから二か月ほど経った。


 最初は広すぎると思っていた家にも、いつの間にか慣れていた。


 朝は七時半頃に起きて、コーヒーを淹れる。八時半には仕事部屋へ入り、チャットを確認して、九時から仕事。昼は適当に作るか、近所のスーパーで買ってきたものを食べる。


 東京にいた頃と仕事そのものはほとんど変わらない。


 違うのは、窓の外だ。


 モニターから顔を上げても、隣のマンションの壁がない。


 庭が見える。


 天気が良ければ鳥が来る。


 たまに猫も通る。


 最初は物珍しく眺めていたが、今ではそれも普通になった。


 問題があるとすれば、庭だった。


「また伸びてんな……」


 昼休み。


 縁側から外を見て、ため息をつく。


 先週刈ったばかりのはずなのに、もう草が目立ち始めている。


 清一さんから家を譲ってもらう時、


『管理してくれ』


 と言われた意味を、最近は嫌というほど理解していた。


 家は、人が住んでいるだけでは維持できない。


 庭もそうだし、排水口にも落ち葉が溜まる。物置には虫が入り、雨が続けば湿気も気になる。


 東京の賃貸なら管理会社に任せていたことが、全部自分に返ってくる。


 面倒ではある。


 ただ、不思議と嫌ではなかった。


 自分で手を入れた分だけ、少しずつ家が自分のものになっていく感覚がある。


「週末だな」


 草刈りは土曜に回すことにして、昼飯を作る。


 冷蔵庫には昨日買った豚肉とキャベツがあった。適当に炒めて、ご飯と一緒に食べる。


 一人分なら料理もそんなに面倒ではない。


 食べ終えて皿を洗っていると、スマホが鳴った。


 山岸だった。


『生きてる?』


「平日の昼に送るメッセージじゃないだろ」


『地方移住二か月経過記念』


「何だそれ」


『虫とか大丈夫?』


「虫くらいいるよ」


『ムカデとか?』


「まだ見てない」


『絶対出るぞ』


「やめろ」


『一人で夜に出たら泣く?』


「三十一歳の男捕まえて何言ってんだ」


 くだらないやり取りをして、仕事へ戻る。


 午後も特に問題なく終わった。


 五時半。


 仕事用PCを閉じる。


 東京にいた頃なら、ここから電車に乗って帰る時間だった。


 今は椅子から立てば、もう家だ。


「……やっぱ楽だな」


 誰に言うでもなく呟いた。


 そのまま台所へ行こうとした時だった。


 インターホンが鳴った。


「ん?」


 宅配便だろうか。


 何か頼んだ覚えはない。


 澄江さんならインターホンを押す前に玄関まで来ることもあるし、清一さんならそもそも電話してくる。


 モニターを見る。


 誰も映っていなかった。


「……いたずら?」


 この辺でそんなことをする子どもがいるのか。


 少し待つ。


 もう一度鳴った。


 今度は画面の端に、頭らしきものが見えた。


「子ども?」


 玄関へ向かう。


 鍵を開け、扉を開いた。


 そこに女の子が立っていた。


 小学生くらいだろう。


 背は低い。


 肩にリュックを背負い、両手でその肩紐を握っている。


 髪は少し長めで、服装もごく普通だった。


 近所の子だろうか。


「……はい」


 とりあえずそう言った。


 女の子は俺を見上げた。


 何も言わない。


「どうした?」


 反応がない。


「誰かに用?」


 女の子は俺ではなく、その向こうを見ていた。


 玄関。


 廊下。


 俺の肩越しに、家の中を見ている。


「……あの」


 ようやく口を開いた。


「はい」


「ここ……」


 声が小さい。


「ここ?」


 女の子は一度俺を見た。


 それから、また家を見る。


「三浦さんの家ですか?」


「そうだけど」


 正確には俺が買った家だ。


 まだ清一さんへの支払いは残っているが、登記も済んでいる。


「三浦晃司だけど。誰?」


 名前を言っても、女の子の表情はほとんど変わらなかった。


 ただ、少しだけ困ったように眉を寄せた。


「……知らない」


「まあ、俺も君のこと知らないしな」


 そこで会話が止まる。


 どうしたものか。


 迷子にしては落ち着きすぎている。


 近所の家を間違えたのかとも思ったが、何度も家を確認している。


「家、間違えてない?」


「間違えてないです」


 即答だった。


「誰か訪ねてきた?」


「違います」


「じゃあ何?」


 少し直接的すぎたかもしれない。


 女の子がまた黙った。


 俺も困った。


 子どもとどう話せばいいのか分からない。


 仕事なら相手が何を求めているのか確認すればいいが、小学生相手に要件を整理してくださいとも言えない。


「とりあえず……暑くない?」


 六月とはいえ、今日は少し蒸していた。


「大丈夫です」


「水とかいる?」


「大丈夫です」


 全部大丈夫らしい。


「じゃあ、ここに何しに来たの?」


 今度は少しゆっくり聞いた。


 女の子は答えなかった。


 代わりに、玄関の横へ少し移動した。


 家の外壁を見ている。


 次に庭。


 門柱。


 物置。


 まるで何かを確認しているようだった。


「……あれ」


「ん?」


「あそこ、前からありました?」


 女の子が指差したのは、庭に置いたホームセンターの物干し台だった。


「いや。俺が置いたけど」


「そうなんだ」


 少しだけ納得したような顔をする。


「何で?」


「前はなかったから」


 俺は黙った。


「……前?」


 女の子が、しまったという顔をした。


 ほんの一瞬だった。


「前って何?」


「……」


「この家、来たことあるの?」


 女の子は答えない。


 代わりに、家の横へ視線を移した。


「そこ、物置ですよね」


「そうだけど」


「扉、開けにくくないですか」


「……開けにくい」


 少し持ち上げるようにしないと引っかかる。


 清一さんからも聞いていなかったので、最初に開けた時は結構困った。


「下のところ、蹴ると開きます」


「蹴る?」


「軽く」


「何で知ってるの?」


 また黙る。


 さすがにおかしい。


「ちょっと待って」


 俺は玄関から出た。


 女の子が半歩下がる。


「別に怒ってないから」


「……はい」


「この家、知ってるんだよね?」


 返事はない。


「誰かに連れてきてもらった?」


 首を横に振る。


「一人で来た?」


 今度は小さく頷いた。


「家は近い?」


 少し間があって、


「今は」


 と答えた。


「今は?」


「近いです」


 ますます分からない。


 俺は頭を掻いた。


「とりあえず名前教えてくれる?」


 女の子は少し迷った。


 それから、小さな声で言った。


「倉田、紬です」


「倉田紬」


「はい」


「何年生?」


「五年生」


 十一歳くらいか。


「俺の親戚とか?」


「……たぶん」


「たぶん?」


 本人もよく分かっていないらしい。


「お父さんかお母さんに、ここへ行けって言われた?」


 その瞬間。


 紬の表情が変わった。


 ほんの少しだけ。


 さっきまでの妙に落ち着いた顔から、何かを隠すような顔になった。


「……違います」


「そう」


 これ以上聞くべきなのか分からない。


 だが、小学生を玄関先に立たせたまま帰すのも気になる。


「近くの家まで送ろうか?」


「大丈夫です」


 また大丈夫。


「君、そればっかりだな」


「……何がですか」


「大丈夫って」


 紬は少し目を逸らした。


 別に責めたつもりはなかったが、どうも言い方が難しい。


「まあいいや」


 俺は庭の方を指した。


「せっかく来たんだし、家見てく?」


 言ってから、自分でも変なことを言ったと思った。


 知らない小学生を家に入れるのもどうなんだ。


 ただ、この子が家を知っているのは明らかだった。


 それに、俺一人で判断するより、清一さんか澄江さんに連絡した方がよさそうだ。


「知ってる家なんだろ?」


「……」


「嫌ならいいけど」


 紬は家を見上げた。


 二階の窓。


 屋根。


 縁側。


 庭。


 長いこと見ていた。


 そして、


「見てもいいんですか」


 と聞いた。


「俺の家だから、俺がいいって言えばいいんじゃない?」


 そう答えると、紬は少しだけ変な顔をした。


 怒ったようにも、悲しそうにも見えない。


 ただ、納得はしていないらしい。


「何?」


「……いえ」


「言いたいことあるなら言っていいよ」


「本当に?」


「内容によるけど」


「じゃあ」


 紬は玄関へ一歩近づいた。


 そのまま中へ入ることはせず、敷居の前で止まる。


 靴を脱ぐ場所を確認するように、足元を見た。


 それから顔を上げて、俺を見た。


「ここ」


「うん」


 少し間を置いて。


 倉田紬は言った。


「私が住んでた家です」


「……は?」


 それ以外の言葉が出てこなかった。


 紬はもう一度、今度は少しだけはっきりと言った。


「ここ、前に私が住んでました」


 俺は家を見た。


 次に紬を見る。


 もう一度、家を見る。


「……聞いてないんだけど」


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


 ただ一つ分かったことがある。


 清一さんに電話する必要がある。


 かなり早急に。

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