↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君が帰ってきた家  作者: わかめ
帰ってきた子

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/15

この家のこと

「ここ、前に私が住んでました」


 すぐには信じられなかった。


 けれど、物置の扉の癖を知っていたことや、庭を見回す様子を思い返すと、作り話とも思えない。


「……清一さんに電話する」


 俺がスマホを取り出すと、紬は敷居の前で立ち止まったまま、家の中には入らなかった。自分の家だったと言う割に、勝手に入ろうとはしない。


 二度目の呼び出しで清一さんが出た。


『何だ』


「倉田紬って子、知ってます?」


 少し間があった。


『……紬? 今どこにいる』


「俺の家の玄関です」


『は?』


「俺が聞きたいです」


『澄江のところからか』


「たぶん。本人は近くに住んでると言ってます」


『待ってろ。澄江に電話する』


 通話が切れた。


「知ってた?」


 紬に聞くと、彼女は頷いた。


「清一おじいちゃんは知ってます」


「おじいちゃん?」


「お父さんがそう呼んでたから」


 清一さんのひ孫、ということになるらしい。俺との関係もどこかで繋がっているのだろうが、家系図を考えるのは諦めた。


 その時、再びスマホが鳴った。


『紬、しばらくそっちに置いとけ。澄江が迎えに行く』


「この子が前にここに住んでたって、本当ですか」


『本当だ。拓真が転勤になるまで、紬が五歳くらいまで住んでた』


「この家を借りてたってことですか」


『そうだ。戻ってくるとは思わなかった』


「戻ってくる?」


 清一さんは少し黙った。


『拓真が倒れた』


「病気ですか」


『足に力が入らなくなって入院してる。今すぐどうこうじゃないが、しばらく動けん』


 紬の表情が曇った。


「それで、こっちに?」


『そうだ。母親とは離婚してる。今どこにいるかは分からん』


 外で車の音がした。


「澄江さんが来たみたいです」


『なら詳しい話は澄江に聞け』


「最初からそうしてくださいよ」


『今度説明する』


「信用していいんですか」


『知らん』


 通話が切れた。


「紬!」


 外から声が飛んできた。


 門から入ってきたのは、近所の三浦澄江さんだった。普段は穏やかな人だが、今は明らかに怒っている。


「どこへ行ったかと思ったでしょう!」


「……ごめんなさい」


「何も言わずにいなくなったら心配するでしょう」


 叱りながらも、声には安堵が混じっていた。


「ごめんなさいね、晃司くん。この子が勝手に来ちゃって」


「俺は大丈夫です。それより、少し話を聞いてもいいですか」


 澄江さんは頷いた。


「立ち話も何だから、中で話してもいい?」


「どうぞ」


 三人で居間へ移り、麦茶を出す。


「拓真さんは、転勤の多い会社に勤めていてね。結婚してから、この家を清一おじさんに借りて暮らしてたの。紬が五歳になる頃まで」


「その後、何度も引っ越したんですか」


 紬が答えた。


「三回。小学校に入ってから」


「幼稚園の時にも一回あったから、もっとね」


「拓真さんが倒れたのは?」


「六月に入ってすぐ。風邪みたいな症状から、急に足に力が入らなくなって。ギラン・バレー症候群っていう病気らしいわ」


「治るんですか」


「回復する人は多いそうだけど、時間がかかるって」


 紬の手がコップを強く握った。


「お父さん、ちゃんと話せてるからね」


「分かってる」


「紬」


「分かってるって」


 強い声に、澄江さんは口を閉じた。


「今は澄江さんのところに?」


「とりあえずね。学校も、こっちへ転校する手続きをしてるところ」


「また転校か」


 俺が呟くと、紬は目を伏せた。


「……慣れてます」


「それで、今日はどうしてここへ?」


 紬はしばらく黙ってから答えた。


「見たかっただけ」


「何を?」


「家」


 窓の外を見ながら、紬は続けた。


「お父さんとお母さんと三人で住んでたのは、ここだけだから」


 部屋が静かになった。


 俺にとっては、東京の部屋を出るために買った格安の中古住宅だ。


 けれど紬にとっては、両親がまだ一緒だった頃の家で、何度引っ越しても忘れられなかった場所なのだろう。


「……そっか」


 それしか言えなかった。


 やがて紬が立ち上がる。


「帰ります。今日はごめんなさい」


「家を見に来ただけだろ。謝らなくていい」


「でも」


「また見たくなったら来ればいい。ただし、澄江さんには言ってから」


「……いいんですか」


「勝手に入らなければな」


「入りません」


 澄江さんが笑った。


「晃司くん、もう保護者みたいね」


「やめてくださいよ」


 二人を見送る。


 門の前で、紬が一度だけ振り返った。俺ではなく、家を見ていた。


 玄関を閉めると、家は急に静かになった。


「……元住人、か」


 俺は二階へ上がった。


 段ボールを置いている六畳ほどの洋室。紬はここが自分の部屋だったとは言っていない。


 だが、何となく扉を開けた。


 壁際の柱に、薄い鉛筆の跡が残っている。


 しゃがんで見ると、そこにはこう書かれていた。


『つむぎ 4さい』


 その横に小さな線。さらに上には、


『5さい』


「……ここかよ」


 俺が二か月前から段ボールを置いていた部屋。


 そこにも、本当に紬が暮らしていた跡が残っていた。


 窓の外では、澄江さんの車が門の向こうへ曲がっていく。


 俺はもう一度、柱の文字を見た。


「聞いてないって、清一さん」


 今度は、その言葉の意味が少し違っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。