第20話 全ての気持ちを伝えるのは難しい
久しぶりに訪れた館花邸。
大きなお屋敷では数人のお手伝いさんが住み込みで働いていて、昔見た事がある人も居れば知らない人も居る。そんなお屋敷の中を軽く頭を下げながら、廊下を歩く事しばらく。
「私は先に着替えるのでどうか寛いでいてくれ、先輩」
教室に通っていた頃にも何度か入った部屋。
客間と思われる和室に通された隼人。
窓の外に美しく剪定された庭が見える。
大変に雅な印象を受ける部屋。
「はいよ。てか、先生は今日ご不在なのか?」
「いいや、今の時間ならまだ書斎で仕事をしているはずだ」
「そっか。じゃあ挨拶は辞めといた方がいい感じか?」
「別に問題はないだろうが、母への挨拶など後ですれば大丈夫だろう(夕食を食べる時にでも)」
「わかった。それじゃあ後でするかな(帰る前に)」
目を細めてニコリと笑う翠。
彼女が静かに襖の向こうに消える。
特にやる事が無い隼人はスマホを取り出して、友達とSNSでやり取りをしながら、惰性で続けているソシャゲのログインとミッションをこなし始めた。
その間もお手伝いさんが入室してきてお茶を用意してくれたり、お菓子を用意してくれたり、おもてなしが継続。その度に畏まって頭を下げる為、のんびりしようにも微妙にのんびりし切れない微妙な待ち時間。
そんな時間をしばらく過ごせば、着替えを終えた翠が再び姿を現した。
「お待た致しました、先輩」
「おお……おかえり。館花って普段着は着物なんだ?」
「ぅん? ああ。書道をする時には結局袴か着物に着替えるからな。中学に上がった頃から身長が伸びて、そこから母のススメで家の中ではいつも着物姿でいるようになったんだ」
「なるほどなー」
机を挟んで隼人が座っている反対側の座椅子。
ゆっくりと正座をした翠。
姿勢を正して胸を張った彼女が真っ直ぐに彼を見つめる。
「とっ……」
「と?」
「ところで……どうだろうか? 私の着物は変だろうか?」
「え? いや、変なわけないだろ。凄く似合ってるって。館花は背もあるからすらっとしてて綺麗だよな」
「そうかっ! ありがとう! ……その、なんだ、近頃は胸の成長が中々に止まらなくてな。似合わないのではないだろうかと不安だったのだが、先輩から見て不自然ではないなら幸いだ」
「ああ、おう。……っと、なんだっけか。着物は胸が大きすぎると少し大変なんだっけか」
おっぱいの話題は男子なら誰だって大好き。
もちろん隼人も大好き。
失恋中だとか傷心中とか、そんな事は関係ない。
と言う事で、胸の成長が止まらないと言う翠の発言を聞いた彼は彼女の胸に軽く視線を移して、慌てて逸らした。
「ああ。気を付けなければ胸が帯に乗ってしまう事があって、不格好になってしまうのが問題でな。今はまだどうにか潰せるのだが、それもこのまま成長してしまうと辛いかもしれない」
「ほー。な、なるほどなぁ」
(……確かに、制服着てる時もめっちゃデカイとは思ってたけど。そんな話を男相手にすんなよ。てか、何の話だよ)
着物の上から自分の胸の上に手を置いた翠。
色々想像した隼人は窓の外を見て落ち着く事に。
そして、大きく息を吸い込んだところで本題に入った。
「──よし。それで? 何か大事な話があるんだろ、館花」
「あっ! ある……と、思う。ます。」
「だろうな。知らない仲ではないし、俺に出来る事があれば協力はするつもりだ」
「う、うん。あ、いや、あの──」
「うん」
何故、自分に相談をしようと思ったのかと言う疑問は今も尽きない。
(俺に話したい事があるって言うなら聞くしかないだろう。最近は口を開けば弛んでいるだのなんだの言われていた記憶しかないが、そんな気難しい後輩からの相談事だからな。力になれる内容ならなってやる)
明星も翠も傷心中の相手にどんだけ気を遣わせとんねん、と言う気持ちはあるかもしれない。
だが、そうは言ってもそれは隼人の視点。
視点を変えればまた変わった事情が見えてくる。
確かに、二人のこれまでの態度は決して褒められたものではなかったかもしれない。だが、それでも乃愛以外の事が全く見えていなかった隼人が長年に渡って無自覚に二人を傷つけていた事も一つの事実。
無論、隼人にはなんの落ち度もない。
しかし、ここに至る数年間の明星と翠の胸中も今の隼人のように大変に複雑なものだったと言う事は間違いない。
尤も、明星と翠の態度に問題しかなかった事実にはなんら変わりはないので、何の同情も出来ないけど。
そんな各々の事情を知るはずも無く。
再び緊張の色を浮かべ始めた翠を見た隼人は、どんな相談内容であってもまずは聞いて受け止めようと気合を入れる。
「──ど……どうか……そ、その、元気を出して欲しいと、思っているんだ」
「……うん? うん。元気。……え? 元気? な、なにが?」
ようやく振り絞るように出した翠の言葉。
言葉の意味がわからない隼人が首を傾げた。
「いや、だから……。黒川先輩に振られたと聞いたから、お……おぉ、落ち込まないで欲しいと、思って。部活を辞めるなんて、言わないで欲しいと、思って」
色々考えた翠が選んだ言葉。
確かに意味不明な言葉だったかもしれない。
(……今の私が隼人君に好きだと伝えても、恐らく何も響かない……だろう。今日もお弁当のおかず一つ口にして貰えなかった。……女子の手作り弁当を前にして手を付けないなんて、そんな事は普通では考えられない。そんな男は存在しない)
それは知らんけど。
しかし、手を付けて貰えなかったのは事実。
(気晴らしに遊びに行こうと誘ったら、無碍も無く断られてしまった。その上私と遊びに行くのは怖いとまで言われてしまった。……今の私と隼人君の間に⋯⋯脈は、ない)
少しばかり舞い上がっていた翠。
だがそれも、着替えている間に落ち着いたのか。
今は多少冷静さを取り戻している様子。
(これまでの態度を改めて謝罪して、その上でもう一度昔のように隣に座る関係に戻るんだ。まずはそこから始めないと、きっとダメなんだ)
そして、翠が辿り着いた結論。
「だか……だから、いや、あの。……つ、つまり、城崎先輩に、元気になって欲しい、です」
それは、振られて落ち込んでいるかも知れない隼人にまずは元気になって欲しいと言う、今度こそ良い意味でポジティブなものだった。
叶わない恋。
年齢差と言う覆せない壁。
駆られる嫉妬心に暴走する態度。
これまで沢山間違えてしまった少女は、ようやく一つ目の正解を口にする。
「えーっと……? っと。まあ、うん。とりあえず一応元気なつもりだけど、ありがとな」
真剣に考えて出した言葉。
それは真剣に考えている相手にはきっちり伝わるようになっている。世の中はそこまで複雑ではない。
翠が必死に考え抜いて真剣に絞り出した言葉は、隼人にも正しく伝わってくれたようで。彼女の気持ちの一部を受け取った彼はほんの少しだけ優しい表情になった。
だからこそ、少しでもいいから思っている事を素直に口にしようね




