第19話 つーか、これからっしょ
明星と別れた後。
まっすぐ家に帰ろうかと思った隼人は立ち止まる。
少し考えた結果、昼休みの事を思い出して予定変更した。
(館花先生の所に顔出してみるか)
様子のおかしかった翠。
彼女の事を思い出した隼人は小学生の六年間を書道教室でお世話になっていた、彼女の実家に足を運ぶ事にした。
習字教室ではなく書道教室。
なので、大人の生徒が多かった館花書道教室。
子供向けの習字コースもあると言うだけで、どちらかと言うと大人に向けた硬筆、毛筆、筆ペンを教えるのがメインの教室。
(子供と大人で授業の時間帯が違ったから、大人の生徒と会う事なんて殆どなかったけど。……そう言えば、昔はもう少し優しかったって言うか楽しそうだったよな、館花。いつも一生懸命に字を書いてるのは今も昔も変わらないけど、もっと楽しそうにしてたような気がする。やっぱ、俺が知らない間になんかあったのかもな)
デジタルネイティブなこの時代。
習字教室に子供を通わせる親は激減している。
しかし、意外にも子供の頃にやっていて良かった習い事を聞いた時、或いは子供にやらせて良かった習い事を聞いた時に『書道』をあげる者は相当数いる。
字が綺麗だからと言って人生が大きく好転する事はないかもしれないが、綺麗な字を書ける事がデメリットになる場面はこの世の何処を探しても存在しないからである。
中学高校大学、そして社会人。
ふとした時に目にする手書きの字。
その字が美しいと、それを目にした者の心象は良くなる。もちろん、それで好きになる事はないだろうけど。
逆に字が汚い場合『うわこの人の字、汚い』と思われる事はあっても『まぁ!この人はなんて汚い字を書くのかしら、素敵!』とはならない。
そんな特殊な状況はあり得ない。
字が綺麗で損をする事は基本的にないのである。
まあそうは言っても、やって良かった習い事の上位はスイミングやダンスやサッカーなど、身体を動かすものが独占している。その為、書道だけさせていればいいわけではないのは言うまでもない。
(小学校一年の頃から書道をしてきたお陰で、集中力が身に付いたように思う。ペンを持った時に自然と集中出来る身体になったのか。勉強にも授業にも集中出来るのはもしかしたら書道のお陰なのかな)
等々、隼人が考えているように。
よく分からない人からすると無駄な習い事に思われがちな書道は、意外にも習った者達からするとやって良かったと思われがちだったりする。
「おおー」
そんな訳で、書道教室での昔話を思い出していた隼人がようやく館花の家に到着。
(相変わらずデカイ武家屋敷だな。……うーん、ぱっと見、火事にあったとかそう言う感じはないか。そこは安心だけど、そうなるとプライベートな事で何かアクシデントに見舞われてるとかなのかな)
翠の実家は大きな武家屋敷。
書道教室はいつもそんなお屋敷の一室で行われていた。
立派な門の前に立った隼人はインターホンを押すかどうか、しばしの逡巡。
(館花の様子がおかしかったから何となく心配で見に来ちゃったけど、訪ねてどうするかって言う問題ではあるよな。複雑な家庭事情のゴタゴタとかだったら、俺が立ち入れる問題でもないし。……まあ火事じゃないとわかっただけでもいいか、帰ろっと)
相手があんな後輩であっても心配は心配。
なので、それなりに面倒見の良い性格をしている隼人はとりあえず足を運んだわけだが、それもここまで。
やはり自分が関われるる問題ではない。
そう判断した所で、踵を返したが──時、既に遅し。
「──せ……先輩?」
昼間の一件で項垂れながら下校していた翠と、家の前で鉢合わせてしまった。
書道部の活動がお休み。
と言う事は、隼人だけではなく翠もお休みである事は言うまでもない。なので、真っ直ぐ帰宅した彼女と出くわす確率がそれなりに高いのも言うまでもない。
「ぁ……うっす」
「あ、えっと、ど、どうしてこんな所?」
「どうしてって言うか。……まあ、昼間の館花の様子がおかしかったから、なんかあったのかなと思ってな。何か困った事になってんなら話くらい聞くから、元気出せよな。まあ俺に話す事なんてないだろうけどさ」
「あっ。ああ……っ! 私は今とても元気になったっ! ありがとう! 城崎先輩!」
「ん? そう……か。まあ、元気ならよかったよ」
明らかに落ち込んだ様子だった翠。
そんな彼女が右手で自分の胸のあたりを叩いたかと思うと、次の瞬間に満面の笑みを浮かべた。
そんな彼女に向かって、隼人も軽く口角を上げる。
(本当に元気なのか空元気なのか。その辺の区別はつかないけど……。本人が元気って言うならこれ以上は俺の出る幕じゃないな。そもそも相談を持ち掛けられるような間柄でもないし)
(わざわざ家の前まで足を運んでくれた理由。間違いない、私だ! 私に会いに来てくれたのは明白。よくわからないがこれはまだ『脈あり』と見ていいのではないだろうか! 隼人君はやはり私を求めていたんだな!)
軽く微笑んでいる隼人。
もちろん、ただの愛想笑いだが。
そんな笑顔を見て翠は心臓を高鳴らせた。
そうして、落ち込んでいた気持ちを瞬時に吹き飛ばした彼女は超ポジティブシンキング。
誰がどう見てもフラットラインな隼人との脈。
本来は死亡診断書を作成しなければいけない。
しかし、Dr.翠は『脈あり』と誤診。
存在しない脈を励起させようと、心肺蘇生を試みるべく口を開いた。
「こんな所で立ち話もなんだ。折角だから家に寄っていってはどうだろうか、先輩! 話したい事も沢山あるんだ……ど、どうだろうか! 久し振りに!」
「話したい事、か。うーん──」
(話された所で、俺にどうにか出来るような問題なのかは疑わしいけど……。一応聞くだけは聞いてみるか? 昼だって俺に相談しようとしてたくらいだからな。相当渋ってはいたけど、何かしら俺に協力出来る事があるって事、なのか? まあ、館花先生にはお世話になったしな)
「わかったよ。どうするかは話を聞いてから判断するって事で、とりあえず何があったのかだけ話してくれたらいいよ。今後の事はそれから考えようぜ」
話したい事=何か重要な相談事。
そう判断した隼人は翠の招待を了承。
「そっ、そうかッ! ありがとう、城崎先輩! あっ、では、その、どうぞ、家に上がって下さい! さあさあさあ!」
「あ、おう。わかったわかった」
(二人の今後の事をどうするのか話し合おうだなんて、やはりこれは脈ありと見て間違いない。そうか、やはりそうか。黒川先輩に振られたと言う今、隼人君は私に癒しを求めているんだ。癒さねば、私が、隼人君を……!)
非の打ち所がない完全なる誤診。
しかし、ネガティブになるよりはポジティブな方が世の中は上手く行くのかもしれない。
自分の腕を掴んで屋敷の中に引きずり込もうとする翠。楽しそうに笑うそんな彼女の様子を見た隼人は昔の事でも思い出していたのか、やれやれと溜息を吐き出しながら軽く笑った。
これからこれから! 頑張れば全然いけるって、脈ありだよな、翠!




