第17話 加減って言葉知ってる?
書道部の部室に到着した隼人が扉を開ければ、すぐに反応がある。
「あ、来てくれたのだな! 城崎先輩!」
「そりゃ来るだろ。てか、部室で飯食ってもいいの?」
「それなら問題ない。顧問から許可は頂いている」
「そう言う事なら、こっちも気にしないんだけど──」
部室に足を踏み入れると、そこには昨日綺麗に片付けたはずの畳が敷かれていて、ちゃぶ台と座布団が置かれている事が一目見てわかる。
特に不自然な所はない。
ちゃぶ台なんて何処から持って来たんだよとか、突っ込みたい事がいくつかある隼人だが、なによりも気になるのはちゃぶ台の上に置かれている重箱の方。
(運動会でもないのに三段重ねの重箱て。館花って結構食うんだっけ? そんな記憶は無かったけど……って、まあこいつと昼飯食べた事なんてないから知らないけど。まあ、背も伸びたからよく食べるのかな)
ちゃぶ台の上にドーンと乗っている重箱。
お節料理を彷彿とさせる美しい重箱の弁当を見れば、誰だって視線が吸い寄せられる。隼人じゃなくても思わず見てしまうのは仕方のない話。
「ああ。これか! 良かった! 気に入ってくれたのであれば何よりです。さあ、遠慮なくどうぞ、先輩! 腕によりをかけて作ったんだ」
「え? あ、うん?」
話が見えてこない隼人は首を傾げて考える。
何言ってんだこいつ、と。
そんなキョトンとした表情を浮かべた隼人の様子に、翠は内心で確かな手ごたえを感じていた。
終わっている女こと館花翠。
彼女は昨日帰ってから考えた。
沢山考えた。
考えた結果。
(男を落とすには胃袋からと聞く。我が師にして我が母も胃袋を掌握することで父を落としたと言っていた。いつか隼人君に食べて貰おうと思って、書道のかたわらで研鑽を積んだ甲斐があったと言うものだ。隼人君のあの表情、感激で固まっているのだな)
胃袋を掴む。
恋愛におけるテクニック。
と言うよりは、結婚に向けたテクニックとして古くから用いられる基本的な恋愛兵法の一つ。
料理の巧拙が結婚の決め手になる事は少ない。
しかし、男女共に『結婚相手の料理が上手だと嬉しい』と考える者は80%。どちらとも言えないと言う回答を含めれば97%の人間が、恋人の料理が上手であれば喜ぶ傾向にある。
嬉しいと思わない人間は3%未満しかいない。
むしろ、恋人が料理上手である事を嬉しいと思わない人間が3%弱存在する事に軽く恐怖するが、それはそれとして。
胃袋を掴むと言う作戦は大変に有効である。
(これから毎日心を込めて美味しい料理を作って、まずは昔のように仲良くなるんだ。本当は弁当ではなく私を食べて欲しいくらいだが、それは流石にまだ早かろう。しかし、中学に上がって以降私の肉体は多くの男性の目を惹きつけて止まないようだからな。それも時間の問題か。ふふっ。ふふふっ)
なにわろとんねんこの女。
と思う気持ちはひとまず置いておいて。
確かに、美味しい料理は誰だって好きである。
ましてや、好きな人に作って貰う料理は何ものにも代えがたい。他の誰にも代わりが務まらない愛情が詰め込まれている、この世に一つとない美味しさがある。
だがそれは恋人や結婚相手の場合の話。
言うまでもなく、今の隼人と翠には当てはまらない話。
「えーっと、そっか。料理上手なんだな、館花。凄いな」
「ああ! 得意料理は和食だが、何でも作れる! リクエストがあれば何でも言ってくれ!」
なんかこれに似た事を最近言われたようなきがするなー、と。
そんな事を考えながらとりあえず畳の上に胡坐をかいて座った隼人は、当たり前の事を口にする。
「俺は母さんに弁当作って貰ってるから、いいよ。それより、何か大事な話があるんだろ?」
「え? ぁ、いやっ! どうだ? どれから食べてくれても構わないんだぞ、先輩!」
「え? いやいいよ。弁当持ってきてるから。それより昼休みも長いようで短いから、話があるなら手短に頼む」
「い……いや、だから──だし巻きはどうだろうか? 母に仕込まれたので、料亭にも負けぬ味であると自負している」
「だから弁当持ってきてるって。わざわざ二年の教室に足を運んだくらいだ。なんか大事な用事があるんだろ? 人気のない部室に来たって事はあんまり聞かれたくない相談か?」
一部のおかずは昨夜から仕込んだりもした。
朝早くから用意した自慢の料理。
見事な色と艶を出す一級品の弁当。
だが、最初の反応以降隼人は一切の興味を示さなかった。
自前の弁当を静かに食べ始めた隼人。
微塵も弁当を見ない彼の様子を見た翠の手はカタカタと震え始めた。
(ど、どうなっている? おかしい……こんなはずでは。何故だ? 何故、私の料理を食べようとしないんだ? ここは普通『ありがとう翠ちゃん、美味しいよ、好き!』の流れでは……ない、のか?)
おかしいのは翠の頭なのだが。
想像していた展開と全く違ったらしい。
そして、そんな目に見えて動揺し始めた彼女の様子に気が付いた隼人も思った。
(な、なんだ? なんか……なんだ? 急に雰囲気が変わった? 相談内容は余程言い辛い事なのか? ……ダメだな。館花のこと全然知らないから、相談内容がまるで想像できない。そもそも俺に相談するような内容ってなんだ? そんな局所的な悩みなんてあんのか? 書道……関係、か? 部活か?)
目に見えて動揺の色を見せ始めた翠。
顔色が悪くなり始めた彼女を見て、相談内容が余程深刻なのだろうと考え始めた隼人も自然と箸を置いた。
お弁当ですか?
お弁当の事は特に何も思っていないみたいです。
いじめっ子やパワハラ上司に弁当を用意されたとして、そいつが笑顔を浮かべながらお弁当食べていいよって言ってきたら、食べますかと言う話。
食べないと余計にイジメられるとか、パワハラが悪化すると言う懸念もあるので結局は泣きながら食べざるを得ない可能性もあるけれど、断れるなら誰だって断りたいに違いない。
とは言え、それは一般論。
隼人はあんまり人を嫌いになる事がない。
いつもめちゃくちゃ言って来る翠に対してすら、大した悪感情は持っていない。
だからと言って逆に好感情も持っていない状態。
言うなれば限りなく『無』に近い状態。
もしかしたらちょっとマイナス。
その程度の感情しか持っていない。
故に、お弁当を食べていいよと言われても『へー、そうなんだー』くらいの感想しかわかなかっただけの話。
リアクションは最初の一回『料理上手なんだな、館花さん。凄いね』だけ。
それ以降は完全な無関心。
そんな隼人の様子に翠の精神は一秒毎に大ダメージを受けていた。
「そ……そうだ、な。では、こちらの、にんじんしりしりも悪くはない……ですよ。ど、どう、でしょうか?」
そして、いつも自信満々で堂々としている翠が急激にしおれていく様を見た隼人も、異変に気が付いた様子。
「どうって。お、おい、大丈夫か? とりあえず弁当の話はもういいから! わかったから。てか、そんなに話し辛い事ならまた心の準備が出来た時にでも聞くって。無理に聞いたりしねえよ。今はまず落ち着け! な?」
「ああ……えっと……」
「てか、そんなに俺に話し辛い内容なら先生とか友達に聞いて貰うのも手じゃないか? 今日の所は教室に戻るから、また何かあれば言ってくれ。一人で帰れるか? 大丈夫か? 誰か呼んでくるか?」
「あ──えと……。はい。だい、だいじょぶ、です。はい」
基本的に優しい隼人。
たとえ相手がいじめっ子であっても。
たとえ相手が暴言製造機であっても。
具合が悪そうであれば心配するのは自然の流れ。
その後は無理に相談を聞き出す事もなく。
翠も項垂れたまま、沈黙。
大丈夫だと言う彼女をその場を後にして、念のために書道部の顧問に報告して、書道部の後輩にリリンクでそれとなく気に掛けるように連絡。
(大丈夫かよ、館花。相談内容はわかんねえけど、あの様子じゃ俺に何か出来る内容じゃないだろ、絶対。相談相手間違えてるわ、多分)
多少の心配しつつ校舎の中をうろうろと歩いた。
一方で、想定していたよりも遥かに事態が深刻である事をようやく認識した翠は隼人が去った後、部室で一人食べられるだけのお弁当を頑張って食べた。
知らないなら辞書で調べよう? そうしよ、翠?




