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log89.金の回廊に、歯車は軋み

サザン・クラスター行きの車両の中で、僕は窓の外を流れる青い光をじっと見つめていた。CMRの管理下において、都市間の市民の移動は原則禁じられている。だが、今回ばかりは“特例”だった。ヴォルカイドという黒領の最高貴族が、灰綿苔の蔓延の原因について、直々に調査するというのだ。僕やハンスはその随行員として、この特権を享受していた。


『セントラル・コンダクトはサザン・クラスター内でも屈指の巨大企業です』

ホログラムのノアが座席近くにふわりと浮かんだ。

『この弾流線バレット・レールの基礎殻、そして私たちが乗っているこの車両の気密フレームに至るまで、すべて彼らの配管鋳造技術で設計されています』


弾流線バレット・レールは、大陸に点在する主要都市を連結する、世界最大規模の物流軌道である。車両は、高硬度の微細孔結晶ガラスで構築された軌道パイプ内を弾丸のように滑走する。窓から見えるのは、車両に推進力を供給するための瀝星流体の青い光の奔流だ。


「それで、どう切り出すつもりだ?」


僕の隣のハンスがシートで身体を揺らし、低く声を漏らした。その視線は僕ではなく、対面のヴォルカイドに向けられている。

僕たちの表向きの任務は、サザン・クラスターで報告されている夜綿苔のエラー品―灰綿苔の汚染経路調査だ。だが、「ノアの体の一部の回収」こそが、今回のサザン・クラスター行きの主目的だった。


針の終端(ニードル・エンド)の乾燥炉では、民間には出回らないはずの高純度瀝星燃料が使われていた」


僕は作業着のポケットから携帯端末を取り出し、ディスプレイをハンスとヴォルカイドの前に提示した。そこには、針の先端ニードル・エンドの奥部で撮影した乾燥炉や沈殿槽、灰綿苔の束が写されている。


「バルドの残した物資の山に、セントラル・コンダクトの刻印が入ったバルブ部品があった。フリッツが彼と繋がっていて、さらに『仮想爪』を扱っていたことを考えると…」

一度言葉を切り、喉の乾燥を唾液で潤す。

「燃料の供給元は、セントラル・コンダクトの内部ラインだとみて間違いないと思う」

「なるほど。大陸の輸送パイプを完全に掌握している彼らなら、燃料を融通することくらい、造作もないだろうね」

ヴォルカイドは笑みを崩さないまま、深紫の双眸を細めた。その瞳孔が、流動する窓外の青い光を反射してチリリと瞬く。


炉心強奪者アウトローや非正規の術師を駒にして燃料を流し、地下で灰綿苔を密造させて灰化病を意図的に広める。そして患者から爪を収穫する…というわけか」


ハンスの右手の拳が、膝の上で硬く握り締められた。


『おそらく、フリッツのような中継役の末端は、複数存在するのでしょう』


窓外の青い光が、ノアのホログラムの光の粒子を静かに揺らめかせた。




ガツン、と激しい減速の衝撃が僕たちの身体をシートに押し付けた。金属が激しく擦れ合う、鼓膜を突き刺すような高周波の鳴き声が室内に響き渡る。窓外の青い光の奔流が急激に速度を落とし、やがて目の前に無機質な金属の防壁が静止した。


『定位置への絶対停車を確認。駅側スリーブとの誤差、二ミリ。ドッキングを開始します』


アナウンスと同時に、車両の外側から、地響きのような重々しい駆動音が伝わってきた。駅の壁面から伸長した接続筒スリーブが、軌道パイプのスリットを抜けてこちら側のハッチへと迫っているのだろう。

直後、ドンという鈍い衝撃とともに、車両と接続筒スリーブが完全に結合した。間髪入れずに、噛み合う歯車の音を立てながら、車両のハッチが滑らかに開く。


「さあ、着いたよ。サザン・クラスターの玄関口、弾込駅バレット・ポートだ」


ヴォルカイドが優雅に立ち上がり上着の襟を直した。ノアはホログラムを霧散させて姿を消す。僕とハンスも、荷物を持って続いて立ち上がった。


ハッチを抜けて接続筒の内部へと足を踏み入れると、一瞬で耳が詰まるような完全な静寂に包まれた。内部はびっしりと真鍮ブラスの防音・遮密プレートで覆われており、壁面には減圧状態や術式ロックの安定度を示す無数の小さな機械式メーター(インジケーター)が埋め込まれている。


通路の中間部まで進むと、筒の円形に沿って環状の枠が嵌め込まれたセキュリティ・ゲート「円関門」が立ちはだかった。枠の内側には、光の線が細かい格子状に張り巡らされている。

先頭を歩くヴォルカイドが接近すると、光の格子は彼の輪郭を正確にくり抜くように一瞬だけ消失し、無音で通過を許可した。もし許可のない者が触れれば、即座に「停止ロックコード」が脳に直接焼き付けられ、身柄を拘束されるという仕組みらしい。続いてハンスが門を抜ける。一瞬の躊躇の後、僕が足を進めると、光の格子は同じように僕を通した。


(ヴィルザード卿はともかく…ハンスさんも初めてじゃないのかな)


平然と光の格子を抜けていった二人を思う。僕は無意識のうちに、喉の首環リングを指先で触った。


円関門を抜け、接続筒の外門をくぐると、行く手を阻むように重厚な境界壁が現れた。壁の一部をくり抜くようにして、カウンターが据えられている。そこに座る職員が、無機質な視線を僕たちに走らせた。


「IDタグの提示を」


事務的な声に、僕とハンスは自身のIDタグを差し出し、個人波形との照合を受ける。職員はそれを淡々と処理し、続いてヴォルカイドが差し出したIDタグに指を滑らせた。


「っ」


職員が、端末に表示されたデータを見て息を呑む。彼が立ち上がり、カウンター奥の扉を開けて姿を消す。直後、カウンターの横にある職員用の重い防壁扉が音を立ててスライドし、中から褐色の制服を着た数人の男たちが慌てた様子で姿を現した。その胸元には、サザン・クラスターに君臨する巨大企業『セントラル・コンダクト(CCO)』の、精緻な配管を模したロゴマークが刻まれている。


「お待ちしておりました、ヴィルザード卿。直々のご光臨、心より歓迎いたします」


役員の一人が腰を深く折り、うやうやしく頭を下げた。他の面々もそれに続く。


「やあ、手厚い歓迎をありがとう。あまり大袈裟にされても困るんだけどね」


ヴォルカイドはいつもの軽い笑みを浮かべ、彼らを受け流した。役員たちはヴォルカイドの言葉一つひとつに神経を尖らせ、案内を始めようとする。その間、彼らの視界には僕やハンスの姿など最初から存在しないかのように、一瞥すらくれなかった。


厳重な境界壁の扉がスライドして開く。一歩そこへ踏み出した瞬間、これまでの完全な静寂が嘘のように、暴力的なまでの喧騒と重低音が僕たちの全身を殴りつけた。


目の前に広がっていたのは、サザン・クラスターの動脈、「主要地下回廊サザン・コンコース」だ。鉄骨とコンクリートで無骨に補強された強固な地下回廊の壁面に這う配管からは絶えず白い煙が噴き出し、重低音の振動が床を通じて骨にまで響いてくる。


回廊の両脇には、「出店許可証」の真鍮プレートを誇らしげに掲げた店がずらりと並んでいた。11区の露店とは比べ物にならないほど高価な機械パーツ、眩い光を放つ高純度の結晶研磨店、整然と並べられた霊子基板や、無数の計器類。僕はふらふらと引き寄せられそうになる目と足を何とか押さえ込む。数も種類も、今まで見たことのないほどの豊かさだ。0区にいた時ですら、高品質とはいえ、手にはいるのはCMR規格品に限定されていた。ここにはCMR規格品から黒都の結晶導体、黒領の霊子基板まで、ありとあらゆるパーツが揃っている。僕は思わず生唾を飲み込む。ここに住め、と言われたら僕は喜んで地べたに寝起きするだろう。


「あれは…第九世代の積層型論理素子? いや、あっちにあるのは黒都製の非線形抵抗器か…!?」


喉の奥から乾いた声が漏れそうになり、僕は慌てて両手で口を押さえた。技術者としての本能が、視界に飛び込んでくるパーツの山を前にして完全に暴走を始めていた。11区の錆びついたスクラップとはわけが違う。保護ケースにも入れられず無造作にカゴに盛られた基板の数々は、どれもが0区の術師でさえ申請書を何枚も書かなければ拝めないような一級品ばかりだった。


『マスター。心拍数が122まで急上昇しています』


脳内に直接、ノアの冷ややかな、それでいてどこか呆れたような声が響いた。視界の端で、彼女のアイコンが小さく警告の赤色に明滅する。


(分かってる、分かってるから…でも、ノア、あれを見てくれよ、あの変調器の回路設計は―)


「おい」


興奮のあまり一歩踏み出そうとした僕の脇腹に、ゴツリと硬い質量がめり込んだ。ハンスの肘打ちだ。


「お前なぁ、何のためにここに来たか忘れたわけじゃねえだろうな。カウスの使いで、ヴィルザード卿のお供をやってる最中だぞ。あんまりうろちょろして、不審がられるな」


ハンスは呆れたように息を吐きながらも、その視線は僕を見ていなかった。彼の鋭い眼光は、きらびやかなパーツ屋の並ぶ回廊のさらに奥、鉄骨の影になった薄暗い区画へと向けられている。


「ハンスさん…?」

「イレブン、あっちを見てみろ」


回廊のきらびやかな照明が届かないコンクリートの壁際で、何かが激しく地面を叩くような音が響いていた。


セントラル・コンダクトのロゴが入った制服を纏った警備兵たちだった。彼らは手にした警棒を容赦なく振り下ろし、ボロボロの衣服を着た浮浪者を、まるで汚物か何かのように打ち据えていた。警棒が男の背中に叩きつけられるたびに、火花が散り、男の身体が痙攣する。だが、周囲の客やパーツ屋の店主たちは、平然とそれぞれの動作を続けている。


「…」


氷水を飲み込んだかのように胃袋が冷えた。目の前にある、目が眩むほどの技術の豊かさと、その足元で当然のように踏みつぶされている人間。


僕は前を進むヴォルカイドの背に視線を戻した。その上質な上着の裾が翻る。彼の周りを取り囲む職員らは、その一挙手すら逃すまいと瞼を緊張させている。後ろを歩く僕らには、一瞥すら寄越さない。


回廊を歩くうち、僕はある奇妙な空白に気づいた。数十メートルおきに、店舗のないシャッターが下ろされた壁面が姿を現すのだ。僕は無意識のうちにそのシャッターの構造を分析していた。どうやら用途に応じて三種類に使い分けられているらしい。

まず目に飛び込んできたのは、鈍い灰色をした大型のシャッターだ。その奥からは歯車の重々しい駆動音が響いている。そこから少し離れた場所には、同じ灰色の小型シャッターがある。パーツを抱えた商人や、警備兵たちが出入りしている。


そして、ひときわ異彩を放っていたのが、三つ目のシャッターだった。


「こちらです、ヴィルザード卿」


先導していたセントラル・コンダクトの職員が、その前でピタリと足を止めた。それは鈍い金色―丁寧に磨き上げられた真鍮の高級仕上げが施されたシャッターだった。手前には重武装の警備兵が直立不動で立ちはだかり、鋭い視線で周囲を威圧している。


「IDタグの提示を」


警備兵が、ヴォルカイドだけでなく、僕やハンスのタグまで一枚ずつ厳重にスキャンして照合を行った。全員の認証がクリアされた瞬間、硬質な音とともに金色のシャッターが滑らかに跳ね上がった。


シャッターの向こう側は、外の油臭さや喧騒が完璧に遮断された、淡く発光する筒状の密閉歩道だった。しばらく歩き、突き当たりにあるハッチが開くと、路面の敷設された広々としたトンネル内に出る。そこを支配するのは、外の雑多な空間とは一線を画す静寂だ。滑らかな路面の上には、流線型のフォルムを持った、一目で最高級品とわかる黒塗りの車両が静かにアイドリングの微振動を刻んでいる。


その車両の脇に、一人の男が立っていた。

恰幅のよい体躯に、整えられた金髪と口髭。身に纏っているのは、一分の隙もなく仕立てられた深褐色の高級スーツだ。男はヴォルカイドの姿を認めると、その肉厚な顔に極めて社交的で隙のない笑みを浮かべ、彼に向かってまっすぐに手を差し出してきた。


「お目にかかれて光栄です、ヴィルザード卿。セントラル・コンダクトCEO、ガレス・シュトランクと申します」



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