log90.セントラル・コンダクト
「遠路はるばるのご到着、心より歓迎いたします。さあ、弊社本社までご案内いたしましょう」
ガレスは恭しく頭を下げ、後続の高級車の後部座席ドアを開けた。ヴォルカイドとガレスは並んでその車へ乗り込み、滑らかにドアが閉まる。
僕とハンスは、先頭に用意された同型機と思われる車へ促された。僕たちが乗った車の前後の座席には、セントラル・コンダクトの制服を着た社員たちが同乗している。彼らは直立不動の姿勢のまま、ひと言も喋らない。呼吸音すら忍ばせるような重苦しい沈黙が車内を支配していた。ハンスも警戒するように口を固く閉ざし、腕を組んだまま硬い表情を浮かべている。
車が滑らかに発進すると、重厚な防音ガラス越しにトンネル内の風景が流れ始めた。
窓の外に視線を向ける。広々とした地下トンネルの片側車線には、どれも流線型を描いた最新鋭の高級車ばかりが行き交っていた。磨き上げられた車体が、トンネル内の青い照明を反射して怪しく光る。11区で目にするような、排気を撒き散らすボロボロの作業用車両や乗合車など存在しない、徹底された格差と洗練の光景だった。
やがてトンネルの先方に、巨大なセキュリティゲートが姿を現した。
『エアロック・タワーに進入します』
ノアの声が僕の脳内で静かに響く。
車が滑らかに減速すると、天井部に備え付けられた放射器から鋭い青いレーザーが照射され、車体と僕たちのIDを瞬時にスキャンしていく。
ゴゴ、と地響きのような重音を立てて第一ゲートが上方へ巻き上がり、車両はそのまま密閉された空間へと滑り込んだ。
直後、第一ゲートが背後で閉鎖されると同時に、猛烈な逆圧と高圧の洗浄スチームが車体を包み込んだ。完了のシグナルが灯ると、目の前の第二ゲートが左右へスライドする。その先に待っていたのは、昇降用の巨大なケージだった。
ズズ、という腹に響く重低音とともに、強力な油圧シリンダーが稼働し、車体を乗せたケージは一気に垂直上昇を開始する。数秒後、タワー頂部のハッチが開くと、視界が一気にひらけた。
そこは、高硬度の透明結晶ガラスで完全に覆われた専用の高架道路だ。僕は振り返り、「エアロック・タワー」の外観を見上げた。大樹さながらのタワーの側面からは、太さも規格も異なる無数の鋼鉄・結晶チューブが、枝のように幾本も突き出している。
車両は防護壁に護られた高架道路を滑るように駆け抜ける。窓外にはドーム状の遮断膜が地上に透明な椀を伏せるように点在していた。サザン・クラスターでは、CMRのような都市全体の統一された遮断雲は存在しない。代わりに、資金力を持つ各企業がそれぞれ独自にドーム状の「局所遮断膜」を構築し、そのドーム内部にのみ遮断雲を展開・維持しているのだという。ドームとドームを橋渡しするように数条の輸送パイプや防護壁で守られた道路が接続され、内部を車両や輸送ポッドが行き交っているのが見える。
眼下を覗き込むと、広大なスラム街が目に入った。遮断雲の恩恵を受けられないその区域は、上空から降り注ぐ白濁した光と汚染に晒され、崩れかけたバラック小屋が無数に群がっている。ハンスは、ひと言も口をきかないまま、険しい眼差しでその窓外のスラム街を見下ろしていた。膝上で握られた拳が、時折彼の制服に小さな皺を寄せる。
車列は緩やかな傾斜を登り、「セントラル・コンダクト」のドーム内部へと進入した。ドームの内部に入ると、セントラル・コンダクト内の受領塔に到達する。ここでも入念な二次洗浄とID照合が行われた。すべてのプロセスを終えると、車を乗せたまま大型油圧リフトが下降し、眼前の重厚なハッチが開く。
そして、僕たちの眼前にセントラル・コンダクト本社の全貌が現れた。
それは「ビル」というよりは、無数の太い配管やバルブ、圧力計でくまなく鎧われた、金属の要塞そのものだった。重装甲の装甲板に張り巡らされた配管が重なり合い、周囲を押し潰すように鎮座している。巨大な給排気口からは、絶えず白い蒸気が吐き出されていた。
本社の広大なエントランス前で、車両が静かに停車した。
僕がすぐに車から降りようとドアレバーに手を伸ばすと、同乗していた社員が素早く手を伸ばし、無言で僕の動きを制した。
僕が固まっていると、後続のヴォルカイドとガレスの乗る車が僕たちの車をゆっくりと追い抜き、正門の真ん前に横付けされた。
黒塗りのドアが開き、ヴォルカイドとガレスが降り立つ。ガレスは恭しくヴォルカイドを促し、ヴォルカイドは優雅な所作で周囲を見渡しながら歩みを進めた。
二人が正門の重厚な自動ドアの向こうへと姿を消したのを確認してから、同乗の社員がようやく小さく頷き、僕とハンスに降りるよう手で促した。
「…なるほどな」
ハンスが車から降り際に、聞こえないほどの小声で呟く。僕も深く息を吐き出しながら車外へと足を踏み出し、無数の配管に覆われた巨大な“要塞”を見上げた。
受付を通った僕たちは、応接室へと案内された。
室内は磨き抜かれたグレーの高級革張りの家具と、広大な金色のフレームで縁取られた展望ウィンドウが広がる贅沢な空間だった。部屋の中央には、金色の巨大精密バルブのモニュメントが鎮座している。
「どうぞ、お寛ぎください」
ガレスの促しと同時に、静かな所作で給仕が香りの高い最高級の紅茶をテーブルに差し出した。
上品な湯気と甘い香りが漂うなか、ヴォルカイドが優雅にカップを持ち上げ、一口口にしてから静かに切り出した。
「—さて、シュトランクCEO。挨拶はこのへんにして本題に入ろうか。サザン・クラスター内で広がりつつある『灰綿苔』の蔓延についてだ」
ヴォルカイドの深紫の瞳が、僅かに細められる。
「灰綿苔のオリジナルである『夜綿苔』は、元々は僕がCMR管理区11区の環境に合わせて調整していたものだ。それがなぜ、遠く離れたこのサザン・クラスターに流出し、粗悪なエラー品として蔓延しているのか…何か見当はついているかい?」
対するガレスは少しも表情を崩さず、にこやかな口元のまま穏やかに応じる。
「我が社が管轄する弾流線や配管網は大陸規模で繋がっております。おそらく、11区などの末端区から潜り込んだ炉心強奪者や密輸業者が、無断で持ち込んだ種株が繁殖したのでしょう」
ガレスは金の指輪が嵌った指をゆっくりと組み替えた。
「お恥ずかしい限りです、ヴィルザード卿。弊社としても対策は講じておりますが、なにぶん配管網が広大ゆえ手を焼いておりましてね。しかし、群生地の特定は進んでおります。卿のお手を煩わせずとも、収束はそう遠くないでしょう」
流れるような完璧な申し開き。隣に座るハンスは腕を組んだまま、あからさまに憮然とした顔つきでガレスを睨みつけていた。
『マスター…、対象の心拍数が僅かに上昇しました。自律神経の微小な乱れを検知。発言の信頼性は極めて低く、虚偽の可能性が高いと推測されます』
僕が心の中で警戒を強めたその瞬間、ガレスがすっと立ち上がった。
「とはいえ、ここまでご足労いただいたのです。せっかくですから、弊社の心臓部をご見学されませんか?」
ガレスの案内に導かれ、僕たちはさらに地下深くへと伸びる重厚な昇降機に乗った。金属の軋み音とともに一気に下降し、重い扉が開く。
そこに広がっていたのは、巨大な円形ドーム空間、セントラル・コンダクト「一次圧力調整バルブ室」だった。
壁面に沿って環状に設置された高所通路から見下ろすと、空間全体が黒ずんだ真鍮と強化鋼鉄、そして配管内を流れる瀝星流体が発する青い燐光に包まれていた。巨木のような太さの主配管が集積する中心には、無数の計器群に取り囲まれた巨大な真鍮製の球体バルブが鎮座している。
配管内を通る瀝星流体は青いノイズをバチバチと撒き散らしている。だが、バルブの中心にある「金のストレーナー」を通過した瞬間、眠ったかのようにノイズが消え去り、滑らかな青となって下層へと吸い込まれていっていた。激しい機械音の中で、そのバルブ周辺だけが抜き取られたかのような静寂に支配されている。
「っ…なんだ、これ」
胸の奥を激しく掻き乱されるような、言葉にできない違和感が僕を襲う。それと同時に、脳内のノアの波形が乱れ始めた。
『っ…あ……』
(ノア…?)
ノアを気にかけつつも、僕はハンス達の背を追って高所通路を渡り、巨大な球体バルブの至近へと近づいていく。
ガレスはバルブの中央を指差し、誇らしげに語り始めた。
「これが我が社の誇る一次圧力調整機構です。内部の波形トランスデューサーが、瀝星流体の持つ膨大な論理ノイズを瞬時に相殺・整流しているのですよ」
僕は超高圧耐性ガラスの奥、幾重もの保護フレームの中に浮遊固定されたカプセルへ視線を凝らした。薄青い膜のような“何か”透明な緩衝液の中を漂っている。
突然、僕の脳内でノアの、声にならない震える悲鳴が響き渡った。
『マス、ター… これは……、っ……』
彼女の声が酷くかすれ、ノイズ混じりに途切れ始める。
(…共振している)
僕はカプセル内の“それ”を見つめた。ノアの存在そのものが、あのカプセルの中身と強く引き合っているのだ。薄青い膜が狂ったように激しく脈打ち始める。金のストレーナーが異音を立て、滑らかだった青い流体に一変して激しい青い火花が乱発する。 相殺されていたノイズが暴走し、ガラスが砕けるように静寂が破られた。
けたたましい緊急警報が鳴り響き、赤い警告灯が回転する。配管内部の圧力を抑えきれなくなったバルブの継ぎ目から、瀝星流体が青い火花を散らしながら噴出した。
「何事だ」
ハンスが即座に身構え、腰のホルスターへ手を伸ばす。だが、指が空を切った。会社に入る前、ネイルガンを預けていたのだ。ハンスは苦々しく舌打ちをした。
(ノア…! ノア、しっかりしろ!!)
僕は脳内で必死に叫ぶ。
ノアは激しい苦痛に耐えるように、途切れ途切れの声を僕の神経に直接届けてきた。
『マ、マスター…っ…あれは…あれは……っ』
警報と瀝星流体の噴き上げるノイズ、ノアの掠れた声が重なる。僕は必死にノアの声に意識を研ぎ澄ませた。
『…あ、れは…私の…“声”、です…』
カプセルにピシリと罅が入る。緩衝液の中でケーブル群に繋がれ、脈動し続けている薄青い組織。その中央の切れ目が開閉するように蠢いた。
―ノアの声帯。
それが正体だった。




