再訪の座標
11区の官用車が、瀝星の燃焼不良による異音を立てながら“漆黒の道”を走る。ハンドルを握るハンスが軽く舌打ちをした。
「イレブン、お前の話を聞いたときは半信半疑だったが、まさか本当に“消去”されてるとはな」
かつて“12区”だった場所に立ち込めるのは、結晶片混じりの白い霧だ。以前はかろうじて姿を留めていたビル群すら跡形も無い。その一面の白の中で、あの脱出の際カウスの築いた漆黒の道だけが、断崖を這う命綱のように伸びている。
「…」
助手席の僕が振り返ると、セイルは無言で防護窓の外を眺めていた。車輪が踏み締めているのは、カウスが残した幅4メートルほどの、黒い表層だけだった。タイヤのゴムが硬質な黒い路面を削るたび、摩擦の鈍い音が車内に反響する。ダッシュボードの奥で、不純物を含んだ瀝星が不完全燃焼を起こし、白い煤交じりの重い熱が足元へ吹き込んでいた。
『…正気とは思えません。このような座標を再訪するとは』
携帯端末のスピーカーからノアの声が響く。彼女は最後までこの12区再訪に難色を示していた。今でも、ホログラムの姿すら見せずに、端末から青い火花を散らせている。
***
「は、また…!?」
「そうなんですよ、レジーさん。また、“論理的共鳴”です」
炉心室の通信機を握り、僕は焦りを滲ませた声でレジーに返した。隣のコンソールでは、ハンスが屑煙草をふかしながらやりとりを聞いている。近くで書類の整理をしているニコが、不安げな表情を僕に向けた。
「ほら、11区の心臓炉は12区の心臓炉と同規格でしょう?それで配管を一部共用してたから…ええ。ええ」
僕は喉の筋肉を絞り、息の速度を速めた。言葉の端々に湿った焦燥を混ぜ、通信機のマイクへ顔を近づける。
「はい。消去されたはずの12号炉の残圧が、11号炉の補助冷却系に逆流している形跡があるんです」
通信の向こうで、レジーの呼吸が不規則に止まった。
CMRが管理する公的な炉心構造図において、両区のバイパス配管が物理的に遮断されているか否か、その詳細な記録は12区の“消去”により行方不明になっている。その空白が、レジーの思考を縛っていた。
「どうやら、それで先日も冷媒が逆流したみたいなんですよ」
「…冷媒の逆流? だけど、現地の霊揮率は通常の防護服じゃ」
「だからこそ、僕たちが行くんです。防護壁の向こうにカウス教授の残した黒い道が残っているうちに、物理バルブを直接閉鎖しなければ、11区の心臓炉が先にやられます」
スピーカーの奥で、何かが割れるような硬質な音がした。レジーがコーヒーカップを倒したのだろう。
「分かったよ…。ただし、何かあったら後始末は自分でやってくれよ」
通信が切断され、砂嵐が低く鳴った。僕は通信機を置き、隣のハンスを見た。彼はニヤリと笑って、短くなった屑煙草の火を灰皿で揉み消した。
***
「…5時間以内に戻らなくちゃいけない」
僕の呟きに、ハンスが短く顎を引いた。レイナが僕たちと官用車に貼ってくれた遮断膜のタイムリミットだ。レイナは同行を強く主張していたが、「11区の警備」という、彼女の左腕に縫い付けられた“11区警備長”の階級章に縛られ、最終的に庁舎に残留することに同意した。
車内のこもった熱が、ぬるい汗をかかせる。僕は作業着の襟を軽く動かして空気を入れた。監視用の頚環がじっとりと皮膚に張り付き、僕はその金属と肉の境目を指で擦った。
この頚環は、11区の心臓炉と僕を繋ぐ契約の鎖だ。11区の心臓炉が止まれば僕も死ぬ。何度か外そうと試みたが、首の皮膚に傷が増えただけで成果はない。ただ、その外そうという試み自体に、CMRもこの頚環も、何の反応も無いのがかえって不気味だった。
(11区の使い捨て契約者に興味は無いってことか)
「…そろそろ庁舎に着くぞ」
ハンスが、アクセルペダルを床板に向けて深く踏み込んだ。瀝星の不完全燃焼音が一段と高くなり、官用車は白く濁った結晶の霧の中へと滑り込んでいく。12区管理庁舎の付近は、一層濃く白い霧が辺りを包んでいた。僕の膝の上に置いた携帯端末から、チリリと青い火花が弾ける。ノアはまだ機嫌が悪いらしい。
官用車の前輪が、隆起したアスファルトの段差を乗り越え、鈍い金属音を響かせて停止した。ハンスが重いブレーキレバーを引き絞る。
フロントガラスの向こうに現れたのは、かつて12区の心臓部であった管理庁舎の残骸だった。
そこには、建築物としての連続性が存在しなかった。
五階建ての鉄筋コンクリート造であったはずの庁舎は、その三分の二が垂直に切り取られたように消失している。露出した断面からは、破断した鉄骨が不規則な針のように突き出し、その表面はすべて均質な、ざらついた白い結晶層に覆われていた。
風が吹くたび、結晶化したコンクリートの粉末が剥がれ落ち、白濁した空気の中に吸い込まれていく。
「おい、イレブン。大半が消えてる。壁も、床も、まるごと削り取られた痕だ」
ハンスが漆黒の道の端に転がる結晶を軽く蹴った。乾いた風が、一括りにした彼の灰色の髪を煽る。
セイルが後部座席から降り、管理庁舎を見つめる。彼の視線は、消失を免れた中央奥の区画へと向けられていた。
庁舎の大部分が霧の彼方へと霧散した中で、旧心臓炉が設置されていた地下への昇降口の周囲だけが、直径二十メートルほどの円形の「島」のように、原型を留めて取り残されている。
その周囲は、底の見えない白い亀裂によって寸断され、かろうじて一本の歪んだ鉄梁が、僕たちの立つ漆黒の道と「島」を繋ぐ唯一の架け橋となっていた。
「なんであそこだけ残ってるんだろう」
僕の呟きに、腰に提げた携帯端末が不規則な高周波ノイズを鳴らし、ノアのホログラムが像を結んだ。白い霧の中で、彼女の輪郭はいつもより淡く掠れている。彼女は淡々とした口調を崩さないまま、無機質に唇を動かした。
『旧心臓炉付近の霊揮率のみ、周囲より80%低い。何らかの干渉形跡を確認。「島」を繋ぐ鉄梁は引張強度が基準値の一割強まで低下しています。…移動の際は質量分布に細心の注意を』
それだけ言うと、ノアは粒子を霧散させて姿を消した。ハンスが屑煙草を白い霧の中に放り、僕を促した。僕は頷き、錆びついた鉄梁に足をかける。靴底から伝わるのは、凍りついたような硬度と、微弱な細動だ。僕が反対側に辿り着くと、続いてセイルが鉄梁を渡る。最後に、ハンスが乾いた音を立てて「島」に降り立った。
「島」の中心、半壊したハッチの敷居を踏み越えると、不自然な光の反射が視界の端を焼いた。ハッチの脇、ひび割れたコンソールの足元。崩落した結晶化コンクリートの瓦礫に半分埋もれるようにして、“それ”は転がっていた。
全長二十センチメートルほどの紡錘形。
11区の地下の反応炉で見たものと全く同一の構造を持つ、“星の核”だった。
その質感は、完全に乾燥しきった植物の根、あるいは油分を失って硬化した細繊維の塊に近かった。11区のそれが見せていた、濡れたような自律的な蠢きは無い。繊維の末端は、接続部から半ば引き千切れて青白く結晶化し、パラパラと崩れていた。
「…」
セイルがその場に膝をつき、爪先を星の核へと伸ばす。彼の紫の瞳が、無機質な残骸の表面を微細に走査していた。
「…同じだ」
セイルの右の爪先から銀の火花が漏れる。彼は、星の核の繊維の1本ずつをなぞるように検分している。瓦礫に擦れる繊維の乾いた摩擦音が、静寂の中に小さく響く。
セイルの指先が止まる。僕はしゃがみ込み、星の核を爪先でつついた。青い火花が乾燥しきった細繊維の隙間に吸い込まれ、紡錘形の中心部がドクリ、と不規則に収縮した。油分の抜けた植物の根のようだった表面に、一瞬だけ、濡れたような黒い光沢が走り、すぐに元の灰白色へと戻る。
…確かに、同じ波形だ。
僕の腰のベルトで携帯端末が再びノイズを鳴らす。青い火花を爆ぜさせた端末は、光の粒子を空間にぶちまけた。
ノイズを伴って現れたノアのホログラムは、白濁した霧の中で明滅を繰り返している。彼女の無機質な瞳は、瓦礫の上の紡錘形を凝視していた。
『―報告。対象より、微弱な自律パルスを検知。この“星の核”は死滅していません。極めて低い不活性深度において、未だ活動を維持しています』
彼女は指先から青い走査線を星の核へと向けて走らせ、その表面に刻々と変化する数値を重ね合わせた。
『周囲の霊揮率の異常低下について、原因を特定。この残骸は、周囲の空間から廃霊を吸引し続けています。これが、この「島」を固定し、崩壊を食い止めている』
「…“星の核”は瀝星にだけ反応するのかと思ってた。こいつ、廃霊を吸うのか」
『肯定。しかし、構造崩壊加速の要因と推測。紡錘形末端の結晶化が進行しています』
ノアの淡々とした声が、白い霧を震わせる。ホログラムが提示した透過図の端では、赤い警告表示が周期的に明滅していた。廃霊を喰らう核は、自らを内側から削るようにして、その存在を維持しているようだった。
「おい、イレブン。こっちを見ろ」
少し離れた、崩落したコンソール近くからハンスの声が響いた。
彼の指先が差すのは、星の核の接続部から伸びた、半ば引き千切れたチューブだった。
乾ききって亀裂の入ったゴムの被覆が、生き物の喉元のように、不規則に内側から押し広げられている。微弱な圧力の波が通るたび、チューブ全体が瓦礫の上を数ミリメートルだけ這うように震えた。
「なるほど。この結晶がg-70配管に流れ込んだのか」
僕はその不自然な膨張の周期を見て、先日確認した11区の配管図を思い出した。あの黄ばんだ配管図の端。境界線を示す太い赤線の手前で、その導管―g-70配管の破線は唐突に途切れ、空白に吸い込まれていた。
チューブの亀裂から滲み出した灰白色の液滴が、床の結晶の塵を吸いながらじわりと床を這い始めている。
「おかしいだろ」
ハンスの声に僕は顔を上げた。彼はコンソール脇の、白い結晶塊を眉を顰めながら見やった後、脈動するチューブを顎で指した。彼は左手で、首筋の侵食痕を軽く搔く。
「なんでそれ、動いてるんだ?」
ハンスが靴先で白い結晶塊をつつく。―その塊の“口”から、青白いノイズが零れ落ちた。




