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青の火花に、鼓動は覚めて

―心臓炉。

そのシルエットは、“炉に生えた砂時計”だ。

天井から下がる、砂時計の上部の膨らみにあたるのが基幹部。

くびれ部分は束ねられたコード。

やや縦に潰したような、下部の膨らみにあたるのが計器とコンソール群。

砂時計の底部にあたる部分からは、鉄柱と、無数のコードや配管が伸び、それが瀝星を燃やす巨大な炉に繋がっている。


炉心室に露出しているのは“砂時計”部分だけで、炉自体は地下に設置されている。


「ちょっと0区のシャンデリアに似てる」


僕はぼんやりと基幹部を見上げながら呟いた。複数の円盤と大小の円筒を組み合わせたようなそこからは、ごちゃごちゃと配線が垂れ下がり、無造作にコンソールや計器に接続されている。


『マスター。視神経の洗浄が必要なようです』

ノアが冷ややかに告げる。


実体の無い彼女の青白い手が、無秩序に垂れ下がった配線を指差した。


『混線した比喩にリソースを使う余裕があるのなら、脳だけでなく、これらの配線を整理してはいかがですか?』

「整理?これを?」

『はい』

ノアの指先が示す先では、皮膜が剥がれかけた十二本の信号線が、計器盤の端子台に向けて自重で垂れ下がっている。

接触不良の警告灯が、断続的にコンソールを赤く染め、そのたびにノアの青白いホログラムが細かくノイズで歪んだ。


『現状の配線交差は、磁気干渉を引き起こすだけでなく、物理的な重量によって端子台の基盤を歪ませています』


「あー…、まあ…。やるか…」

僕はのっそりと背もたれから体を起こした。床に置いた工具箱から真鍮製のプライヤーを取り出す。床板からは、心臓炉の拍動が靴底を通じて膝へと伝わっていた。



「イレブンさん」


炉心室に入ってきたのはセイルだった。彼は、錆びついた蝶番を驚くほどの静けさを維持して閉めると、やや足早に僕に歩み寄った。


「見てほしいものがあるんです」


セイルは、ポケットから透明な密閉袋に入れられた何かを取り出した。コンソール脇のサイドボードにそれを慎重に置く。ノアが、僕の肩越しに身を乗り出してそれを観察した。


「結晶片?」

僕の問いに、セイルが頷く。

「先日の配管作業の後、リリィに付着していたのを発見しました」

彼の言葉通り、袋の中に入っているのは薄く小さな結晶片だ。結晶塊を破壊した際、飛散したものだろう。


「おかしいんです」


セイルはそれを袋から取り出し、自身の蒼い爪先でなぞった。結晶片がチリ、と微かな音を立てる。


「これ、ただの廃霊バグじゃない…生きている、というような」

セイルは結晶片から手を離し、左手で自身の右手をさすった。袖口から覗く結晶痕が小さく明滅する。

「…」

僕はその結晶片をつまみ上げた。リリィが破壊したのは「白い雨」の結晶塊だ。セイルの右腕に受肉されたような、生体重結晶ではない。爪先に感じられるのは、無機質で不規則な波形の“はず”だった。


「…?」

僕の疑念に応えるかのように、ノアの指先から青い光条が走った。青いグリッドが結晶片を包み込み、この構造を走査スキャンする。


『マスター。その結晶片を右舷の第三解析端子へ接続してください。空中走査では、周囲の磁気干渉によるノイズが四割を超えます』


ノアのホログラムが指し示したのは、計器盤の隅にある小さな真鍮製のクランプだった。

僕はプライヤーを床の工具箱へ戻し、指先でその冷たい結晶片をつまみ直す。厚みは一ミリメートルに満たない。二枚の霊極板の隙間に結晶片を滑り込ませ、横の固定用ツマミを右へ二回転半まわした。金属の顎が結晶を噛み、チリ、と微小な剥離音が鳴る。


コンソールの円形モニターに、緑色の光線が走り始めた。

光線は細かく上下に跳ね踊り、ノコギリの刃のような不規則な棘を描き出す。典型的な廃霊の残滓が示す崩壊波形だった。セイルはその発光を凝視している。


『解析完了。…奇妙です。ノイズフロアの数値が理論値と合致しません』

ノアの音声のピッチが、わずかに下がった。

青い光の輪郭が、緑色のモニターに重なる。彼女の半透明な指先が、激しく上下する棘のさらに「底」をなぞった。


『このランダムなパルスをフィルタで除去します。マスター、見てください。下に別の波形が隠れています』


ノアが青い爪先から青い火花が走り、減衰器アッテネーターを操作すると、激しい棘が縮小し、代わりに一本の太い光線が浮かび上がった。

それは死んだ魚の呼吸のように、極めて緩やかに、しかし一定の周期を維持して上下にうねっている。


『廃霊の波形ではありません。この波形には、微小な増幅傾向が見られます』

「…」

僕はモニターのガラス面に顔を近づけた。ガラスの冷気と、内部の真空管が発する熱が、同時に顔面の皮膚に触れる。

緑色の光線が描く、なだらかな山と谷。その曲率、および頂点に現れる微細な二重の歪み(ノッチ)

「これ、知ってるかも」

僕の指先が、無意識に自分の胸元、衣服の布地の上から心臓のあたりを押さえる。僕の隣でセイルが顔を上げ、ノアと結晶片を交互に見た。


「廃霊の波形じゃない。もっと深く、この炉の、下から上がってくる奴だ」


僕はモニターの波形と、クランプに挟まれた結晶片を見比べる。 


「“あれ”の固有波形に似ている」




炉心室のハッチから地下に降りると、炉の発する重たいほどの熱気が僕たちを襲った。熱が衣服の隙間から皮膚を容赦なく炙る。肺に吸い込む空気は重く、潤滑油の焦げた匂いが鼻腔の奥に貼り付いた。


そこには、直径六メートルの鋳鉄製反応炉リアクターが鎮座していた。 瀝星を内部で燃焼させるその巨躯は、規則的に外壁をわずかに膨張させては収縮させている。そのたびに、周囲に張り巡らされた高圧配管が自重で揺れ、金属同士が擦れ合う乾いた高音が室内に響いた。


ホログラムのノアが、僕の斜め前方の空中を浮遊している。彼女の青白い輪郭は、炉から立ち上る陽炎によって細かく歪んでいた


反応炉リアクターの天頂部には、直径三十センチメートルの重結晶を用いた耐圧覗き窓が設置されていた。

僕とセイルは、ボルトが打ち込まれた真鍮製の枠に手をかけ、内部を覗き込む。


覗き窓の向こう、減圧された不活性ガスの満ちる空間の中心に、それはあった。

数万本に及ぶ透明な微細繊維。それが超高圧で圧縮され、全長四十センチメートルほどの巨大な紡錘形を成している。


―星の核。


その質感は、乾燥させた脳組織を限界まで押し固めたような、無機質さと有機的な密度を併せ持っていた。紡錘形の下部に装着された接続部ソケットと接触する境界で、繊維の末端が生き物のように自律的に蠢く。炉の拍動が引く一瞬、繊維同士が擦れ合い、グチャリ、と濡れた摩擦音が鳴った。


「…似てる、というのは星の核(これ)ですか」


セイルの問いに僕は頷いた。管理庁舎を襲った虚白教団ブランク・レジストリとの戦い。その時、僕は確かにこの波形に触れた。思い出すのは、ノアの冷たい青白い手と、欠けた爪先に感じた生々しい脈動。


一際大きく星の核が収縮し、そこから抽出された流体がチューブを通って反応炉リアクターに流れ込む。それは、反応炉リアクターの底部で燃焼する瀝星の熱と直に衝突した。液膜が、鋳鉄の隔壁上で激しく沸騰し、一瞬にして体積を数百倍に膨張させる。覗き窓の下方に設置された重結晶製の二次室には、白ではなく、灰色を抱き込んだ重い気体が急速に満ちていった。


ドクリ、と炉が重々しく地下室の底を打つ。その瞬間、リアクターの最下部に据えられた直径二・五メートルの真鍮製スリット弁が、内圧によって機械的に噛み合いを開いた。ガシ、ガシという金属の噛合音が響く。


減圧された排気室から、都市供給主管へと雲が流れ込む。この「雲」が太陽を遮り、11区の市民の命と生活を廃霊バグから覆い隠す。


「…波形が読み取れません」

覗き窓に爪を押し当てていたセイルが首を振った。「雲」を作る混合術式はCMRによって厳しく秘匿されている。星の核を守る特殊な重結晶は、完璧な遮蔽膜として機能していた。


「なぜイレブンさんは、この波形を知っているんですか」

セイルの声は平坦だった。だが、その瞳の底には刺すような光が混じる。彼は右手の指先を軽く曲げた。


「黒都の記録にも、星の核の固有波形は記載されていません。権利なくこれを直接認識した者は、例外なく解体―あるいは“削除デリート”されるはずです」


セイルが一歩距離を詰める。


「11区の契約者に、そのような“権利”があるとは思えない」


セイルの声は、地下の熱気の中でも冷ややかに通る。セイルがまた一歩、僕に近づく。彼は左手を持ち上げた。その指先の間には、あの青白い結晶片がある。セイルの蒼い爪先から暗銀の火花が散った。


「それにこの結晶片…“それ”と共鳴しています」


セイルがノアに視線を向ける。セイルの左の爪先で火花が弾けるたび、結晶片が震え、それに呼応するようにノアの左の指先に小さなノイズが走る。ノアが僕とセイルの間に割り込むように降り立った。彼女の琥珀と青の瞳がセイルを見つめる。


『セイル・ヴァランシエル』


ノアに名を呼ばれ、セイルは目を細めた。彼の左手から散る暗銀の火花が鋭さを増す。


「“これ”はイレブンさんが開発した補助システムではなかったのですか?」


バチリ、バチリとセイルの爪先で断続的に火花が爆ぜ始める。彼の紫の瞳が、十五歳の少年とは思えない冷たさでノアを射抜いた。覗き窓の向こうで、紡錘形の繊維束が再び、グチャリと濡れた音を立てて収縮する。彼の、視線で解体するような目つきは、僕に一人の人物を思い起こさせた。


「…ノアは、12区の心臓炉から僕がサルベージしたOSだ」


その言葉に、セイルの爪先から火花が消えた。細められていた瞳が元の形を取り戻し、瞬きをして僕とノアを交互に見遣る。


「いいのですか。そのようなことを」

「君なら、隠すと自分で調べるだろう?」

『肯定。セイル・ヴァランシエル。あなたの性質、及び“親族”に関しては把握済みです』


ノアがそう告げると、セイルは瞼を伏せた。彼の右手が軽く握りしめられる。天井の煤星灯の橙の光が不規則に揺れた。


「あなたは、何者ですか」


セイルが静かにノアに問うた。炉の熱気がノアの輪郭を揺らし、ホログラムの粒子をわずかに乱す。反応炉リアクターの壁面に打ち込まれた真鍮製の支持金具が、鋼鉄の膨張と衝突し、ガタガタと乾いた金属音を断続的に室内に撒き散らす。ノアは、背中の後ろで腕を組んだ。


『旧12区心臓炉OS,現11区心臓炉OS』

「聞いたことがありません。人格のあるOSなんて」

『…』


ノアは組んでいた腕を解いて、心臓炉に触れた。彼女の細い指先が、鋳鉄製の表面をなぞる。青白い光の粒子が、錆びた鉄の凹凸に合わせて不規則に爆ぜ、小さく空気を揺らす。彼女の薄い唇は、水平に結ばれたまま微動だにしない。


セイルの視線は、その動かない発光体ノアの輪郭を捉えたまま固定されている。

炉心室の空気圧が、供給主管のバルブの閉鎖によってわずかに上昇し、鼓膜を内側へ圧迫する。


「確かめる方法はある」


僕の言葉に、ノアとセイルが揃ってこちらに視線を向けた。心臓炉の振動は、床板の鋼鉄を通じて、僕たちの靴底から膝の骨へとダイレクトに伝わる。固定部のサビが細かな茶色の粒子となって剥がれ落ち、僕たちの間をすり抜けていく。僕は、欠けた爪先から青い火花を散らした。


「12区に、行ってみればいい」


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