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g70-888番配管

バチリ、と僕の爪先から青い火花が爆ぜ、手の上に歪な3つの青い重結晶が転がる。何とか形を整えたものの、CMRの公式規格からは遠い、歪んだ正六面体キューブだ。


『マスター、公式規格との構造誤差、平均14.2%を検知。それは「正六面体キューブ」と呼ぶには重心が偏りすぎています』


コンソールに腰掛けたノアは、僕の掌の上の正六面体キューブを冷徹に測定する。僕の視界の端、網膜投影のグリッドが青い結晶塊を包み込み、歪んだ頂点を赤色の警告色で縁取った。


「仕方ないだろ。僕はCMRの正規術師じゃない」


重結晶化コンパイルは、術師の能力や性質を鏡のように映し出す。僕がCMRに拾われたのも、自作のシステムがたまたま0区の目に止まったからだ。正規の隙間を掻い潜る、継ぎ接ぎのコード。泥臭い手法と、我流のアルゴリズム。


「貸せ」

ハンスが僕の手から、その歪な正六面体キューブを取り上げた。彼の左手の爪先から青白い火花が散り、歪んだ面が再調整リ・コンパイルされる。ハンスから返されたのは、やや角が丸いながらも、CMRの規格に則った、面の揃った正六面体キューブだ。


僕はその3つの弾丸をシリンダーに押し込んだ。カチリ、と硬質な音が鳴ってネイルガンに弾丸が装填される。


「リリィ。これを」


網膜投影機シンク・ゴーグルを装着したリリィは真剣な顔でそのネイルガンを僕から受け取った。彼女の顔に対してあまりに大きいゴーグルは、その鼻まで覆いかけている。彼女のために端を切り落とした短いベルトをゴーグルに通し直したが、レンズやフレームについては打つ手がない。


炉心室の床には、g-70配管に見立てたパイプが組み上げられている。防護ヘルメットを被ったリリィは、ネイルガンを持ってそのパイプの中に潜り込んだ。


『計測開始』


ノアがカウントを始める。ニコが不安げな表情で、半透明の右腕を左手で押さえた。レイナは腕を組んで様子を見守っている。セイルは配管の出口に当たる場所で、静かに立っている。


『3分25秒、作業箇所に到達』


ノアの網膜に焼き付く情報が、炉心室のホログラム・ウィンドウへ転送される。展開された映像は、リリィの視点そのものだ。


内径 380mm の閉塞。錆びた金属壁が、少女の肩を左右から執拗に圧迫している。リリィが這い進むたび、配給服の合成繊維がパイプ内壁と擦れ、不快な高周波の摩擦音をスピーカーが拾い上げた。映像の端で、リリィの激しい呼吸に連動して走査線が上下に激しく揺れる。


「リリィ、落ち着いて。指先の火花を、ネイルガンの接点―持っているところに集中させるんだ」


僕の声は、配管内のスピーカーを通じてリリィの耳元で反響する。ウィンドウの中、リリィが構えたネイルガンの銃口が、ターゲットである模擬結晶を捉えた。


『同期率 92%。視差修正プログラム、実行』


ノアの声とともに、リリィの視界に赤い照準点ドットが重なる。それはノアがリリィの網膜へ直接書き込んだ、最短の射線だ。


「…はい」


短い返事とともに、リリィが爪から黄白色の火花を散らし、引き金を引き絞る。

硬質な打撃音。重結晶の弾丸が、模擬結晶の表面を粉砕した。衝撃で跳ね上がったリリィの手元を、ノアの計算が冷徹に補正し、次の一撃を誘導する。


僕は、ウィンドウに表示されるリリィのバイタルサインを凝視した。心拍数142。酸素消費量は予測値を12% 上回っている。


『ターゲット、完全消失を確認』


セイルが配管の出口側に一歩歩み寄った。

直後、ズルリと音を立てて、リリィがパイプから這い出す。防護ヘルメットは煤で汚れ、サイズの合わない網膜投影機シンク・ゴーグルは、案の定彼女の鼻先までずり落ちている。


『経過時間、11分23秒』


リリィは、肩を上下させながら、セイルの方を見て小さく笑った。

その頬には、ゴーグルのフレームが強く押し付けられたことによる、赤い鬱血の跡が刻まれていた。


「…イレブンお兄ちゃん。わたし、できました」


リリィが僕にネイルガンを返す。僕の手の中で、ネイルガンが余熱で小さくパチリと音を立てた。

成功だ。だが、本番の g-70 配管は、このダミーよりも 10度熱く、そして5倍長い。


僕は、彼女の頬の赤い跡から目を逸らすように、ノアへ視線を移した。


「ノア」


ノアの瞳の中で、訓練中のリリィの筋肉収縮、視線の迷い、そしてネイルガンの反動吸収率が、膨大な数値の奔流となって処理されていく。


ホログラム・ウィンドウが一度激しく明滅し、積み上げられていた古いグラフをパージした。新たに描画された曲線は、先ほどよりも急峻な減衰を示している。


『訓練データの統合を完了。個体名リリィの疲労蓄積係数を 1.4 倍に修正。g-70配管内の平均温度 32℃における酸素消費効率を再定義します』


ノアの指先が、青い火花を散らしてウィンドウをスライドさせた。青い光が僕の網膜をかすめ、最終的な演算結果を冷徹に刻印する。


「…時間は」


『全行程、59分24秒』


ノアが無機質な瞳で僕を見つめる。リリィは胸元の正八面体オクタを握りしめて、明滅するホログラム・ウィンドウを見上げた。ハンスが右手をポケットに突っ込んだまま、左手で腰のホルスターに触れる。


『作業開始まで、残り4時間12分。リリィの筋繊維の回復、および必要機器の整備を優先することを推奨します』


ノアの指先が、空中に「59:24」という数字を固定したまま静止した。それは、これから少女が耐えなければならない、熱と暗闇の総量だった。




通信機ごしに、11区の古びた官用車が立てる異音が伝わってくる。時刻は18時00分28秒。作戦開始時間である19時00分00秒まで、59分32秒の猶予がある。


『現場に到着したわ』


レイナの声とともに、官用車の扉が閉まる音がした。通信機からは耳障りなノイズが絶えず鳴っている。末端区画であるgブロックは11区の中でもさらに廃霊バグの濃度が高い。


「緋結晶のリンクがあればマシだったのに」


『否定』


ノアが言下に切り捨てた。ニコがコンソールから顔を上げる。ノアの視線は、虚空に浮かぶホログラム・チャートに固定されていた。そこには僕の神経伝達率と、心臓炉の同調グラフがリアルタイムで刻まれている。


『対象リリィの術式回路の強度は、平均的な術師の12%に過ぎません。緋結晶によるリンクを確立すれば、彼女の肉体が耐えきれない負荷を、すべてあなたが引き受けることになります』


ノアの指先が、空間をスワイプする。グラフの一角が赤く明滅した。


『結論だけ言えば、この作戦が失敗しても、失われるのは一つの末端区画と、非登録市民一体に過ぎません。11区の総出力に対する損失は0.06%未満です』


僕は、手元の制御レバーを握り込んだ。金属の冷たさが掌に吸い付く。隣のニコも、口をつぐんだままウィンドウを見つめている。


「…分かってるよ。ノア」

僕はコンソールに視線を落とした。足元を流れる雲の導管が、低い地鳴りのような音を立てている。網膜の端で1秒ずつ刻まれていくのは、作戦開始までの時間を示す青い数字だ。僕は床板を踏みつけるようにして、椅子に座り直した。




『…イレブン、聞こえてるか?』

通信機が軋むような音を立てて鳴った。ハンスの声だ。ザリザリと安定しない音声が鼓膜をひっかく。


「うん、何とか。ノイズが酷いけど」

『やっぱりか。さっき2度ほど鳴らしたんだが』

「2度…通信が安定してない」

『まあいい、繋がってる間に伝えとく。レイナが届く範囲で配管を重結晶でコーティングしてる。これで、配管が土砂に押しつぶされる心配は減る』

「了解」


僕は通信機を置き、コンソールに両手の爪を立てた。バチリ、と青い火花が散る。


「ノア、共鳴シンクロ開始」 

『了解。神経接続をポイントg-70に集中。ノイズ耐性を最大化します』


ノアの声とともに、僕の意識が心臓炉から伸びる無数の配管にダイブした。大小さまざまの管が入り乱れる中、僕の意識は見えない糸で引っ張られるかのようにある一点に集中する。g-70。その場所を指先でなぞると、かすかな振動とともに、レイナの銀の波形が伝わってきた。わずかな乱れもない、整然とした銀の重結晶。これなら配管が土砂に潰される心配は無い。


『マスター。グレイロック警備長による、g70-888番配管のコーティング完了を確認。作戦開始時刻まで、残り300秒』


「リリィの様子は?」


「警備長さんが、遮断膜を張ってあげたそうです」

ニコが通信機をこちらに手渡す。僕はいったん配管から意識を引き戻し、通信機を受け取った。だが、聞こえるのはノイズばかりで、何度声をかけても応答が無い。


「…思ったよりひどいな」

『肯定。しかしリリィが配管に接触次第、あなたと心臓炉わたし共鳴シンクロにより、配管を通じての同期シンク及び通信が可能です。』


ノアがふわりと空中に浮かび、指先に青い数字を浮かび上がらせた。


『マスター。当該配管g70-888番の「雲」の完全停止を確認。作戦開始まで、残り200秒』

「雲」の供給は5時間をかけ徐々に内圧を下げ、今、完全に停止された。当初は「雲」の供給を継続し、内圧を限界まで下げて作業する予定だったが、リリィへの負担を考えて、完全停止に切り替えたのだ。


「分かった。ノア、共鳴シンクロ開始」


『了解』


僕の感覚が、再び地下を流れる無数の配管に触れる。ノアが灯した青い光―ポイントg-70を示す青い光に向かって泳ぐように近づき、その流れに意識を集中させる。導管を流れるかすかな「雲」の振動が、耳の奥で遠い歌のように響いた。


『マスター。リリィがg70-888番配管に接触。共鳴シンクロ率、50%』


チリ、と目と耳の奥で何かが爆ぜるような感覚とともに、通信が繋がった。今までにないクリアさでリリィの声が聞こえる。共鳴シンクロ状態での通信は、配管を通じた有線接続のようなものだ。


『イレブンお兄ちゃん?』

「ああ、大丈夫か?リリィ」

『うん。セイルお兄ちゃんが手を握ってくれてるから』

「そっか」


リリィの声は微かに強張っているものの、震えてはいない。配管に押し当てられたリリィの手。僕の網膜に映る青い数字が、カウントダウンの最後の一桁を刻もうとしている。


「ノア」


『了解。共鳴シンクロ率、60%。神経接続をg-70-888番配管に集中』


ノアの声と同時に、僕の網膜の奥で青い光が弾けた。神経の一本一本が、極細の導線へと変質し、地下の無数の配管をすり抜け、g-70を通る細い一本の管に流し込まれていく。


「ぐ、…っ…」


喉の奥に、鉄を焼いたような熱がせり上がった。

僕の網膜に、リリィの視界が強制的に上書きされる。


『19時00分00秒、作戦開始』


ノアの無機質な声。

僕の前に伸びるのは、内径380mmのg70-888番配管だ。暗視モードの網膜投影機シンク・ゴーグルの視界の中に、ノアが描画する青いガイドラインが浮かび上がる。

その狭い静寂の中に、リリィの吐息と、胸元の正八面体オクタの暗銀の燐光だけが、小さく灯っていた。


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