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指先の回路

「まずい」


アラートとともに、ホログラム・ウィンドウに配管異常の警告が表示される。僕は展開していた書きかけの報告書を閉じ、すぐさま配管図をウィンドウに広げた。

「ノア」

『ポイントg-63、当該ポイント63-008番配管に断裂を確認』

ノアの声は、平坦さを保ったまま耳の奥で響いた。コンソールの格子状グリッドの光が、異常箇所を示す一点から赤く侵食されていく。


「損傷規模は」


『中規模。自動閉鎖弁が作動しました。炉心の即時暴走メルトダウンの確率は0.04%まで低下。…ですが、マスター、補足があります』


ウィンドウ上のg-70ポイントが激しく明滅を始めた。


『g-63から逆流した「白い雨」が、ポイントg-70、70-888番配管内部に滞留。接合部内壁に結晶が固着しました。有効断面積が52%減少。循環圧力が閾値を超えています』


網膜に投影された配管図の中で、本来流動しているはずのラインが、g-70の地点で不自然に膨らみ、静止していた。それはまるで、血管の中に生じた血栓のように、導管を内側から食い破ろうとしている。11区というのは、街全体が垂死の病人のようなものだ。


ギィ、と背後の扉が軋んだ。


「おい、また配管異常か?」


「あ、ハンスさん。」


携帯端末を見ながら、炉心室に入ってきたのはハンスとニコだった。ハンスは気だるげに屑煙草フィルター・バグをポケットから取り出すと、左の爪先から青白い火花を散らした。ふぅ、っとハンスが灰白色の煙を吐き出す。


ハンスが屑煙草を咥えたまま、ホログラム・ウィンドウを見上げる。


「…結晶の固着か。削り落とすには、バルブを開けて手動で溶かすしかねぇな」


ハンスの言葉に、ニコが自身の端末でポイントを確認した。彼は真剣な手つきで腰の検知棒を確かめている。


「すぐ、向かいますか?」


ニコの問いに応えるように、空中にノアがホログラムの像を結んだ。彼女は無機質な指先で別の座標を指し示す。


『不可能です。当該バイパス路出入口、ポイントg-74は、先日崩落した第14採掘跡地からの流入土砂により、完全に閉塞しています。物理的な排除には、重機と術師の投入を含め、最短で120時間を要します』


「120時間…5日か。それまで配管が持つはずがない」

僕は無意識に爪を噛んだ。口腔に微かな血の味が広がる。


『肯定。あと7時間でgブロックへの供給ラインは完全停止します』

ノアがウィンドウの配管図を11区の全体地図に切り替える。


『マスター、提案です。gブロックは11区の末端区画にあたる。当該セクターのエネルギー供給を遮断し、デッドエンドとして処理することを推奨します。炉全体の安定係数は0.8%上昇します』


「…gブロックを切り捨てるのか」


僕の言葉に、ノアのホログラムは瞬き一つせずにこちらを見つめた。その瞳には、計算式の結果としての「最適」だけが映っている。ハンスは腕を組んでウィンドウに視線を固定している。ニコはウィンドウとノアの顔を交互に見つめていた。


「あそこには人が住んでる。供給ラインを止めれば雲が消える。太陽で廃霊が“発火”する」


『生命維持のリスクと心臓炉の保全を秤にかけることは、私の演算範囲外です。ですが、事実として、gブロックの価値係数は他の主要区画の12%に過ぎません』


僕はコンソールの縁を強く握りしめた。金属の冷たさが掌に食い込み、指先が白く変色していく。ノアの言葉は正しい。正しすぎて、喉の奥に鉄錆のような味が広がった。


ウィンドウの中、g-70の配管は赤い明滅を繰り返している。


「…他の配管から雲を供給できないか?」


『不可能です。gブロックは設計段階から独立した終端回路として構築されています。他ラインからのバイパス接続は、物理的に遮断されています』


ノアの指先が虚空をなぞると、配管図の断層が強調された。g-70へ繋がる細い動脈は、現在、周囲の供給網から孤立した一本の枝に過ぎない。


「なら、避難は?供給が止まる前に、gブロックの住民を隣のfブロックへ移動させるんです」


ニコがウィンドウ上のfブロックを指し示した。ノアが首を振る。


『推奨しません。現在、gブロックに居住が確認されている個体数は2,200。そのうち、正規の移動許可証を保持しているのは15%に満たない。避難勧告を発令した場合、関門での認証拒否に伴う暴動の発生確率は92%に達します』


ノアの声が新たなホログラム・ウィンドウを開く。そこにはgブロックの市民が、その個体情報とともに羅列されている。


『避難に伴う混乱、および区間移動に伴う廃霊への直接被曝による予想死者数は、供給を停止してその場で封鎖した場合の被害予測を30%上回ります』


僕は握ったままの掌を見つめた。爪が皮膚に食い込み、微かな痛みが走る。


「…末端の中でも、末端が見捨てられるのか」


『これは最適化です。マスター』


コンソールの青白い光が、ノアの無機質な輪郭を縁取っている。僕はぎりりと奥歯を噛んだ。


「パイプに直接潜るのはどうだ」

ハンスの声に、全員が彼の方に視線を向けた。ハンスは動じた様子もなく、屑煙草を左手で持ち直す。


「雲の配給パイプは、他のバイタル・ラインより三回りは太く設計されてるはずだ」


ハンスがウィンドウの端、g-70の断面図を指先で叩いた。ホログラムが振動し、青い光が彼の爪先に反射する。


「夜間、雲の圧力を限界まで下げろ。バルブを開けて、こびりついた結晶を内側から削り落とす」


「内側から…。直接、入るっていうんですか?」


ニコの言葉に、ハンスは短くなった屑煙草の火をサイドボートの灰皿でもみ消した。ドン、という心臓炉の重い拍動が足裏を揺らす。


「ああ。土砂のせいで外側からは近づけないんだろう?だったら、中に入って、物理的に剥がすしかねぇ」


僕はハンスからノアに視線を移した。だが、ノアは首を振ってウィンドウを指差した。


『却下します。物理的矛盾です』


ノアの指先から走った走査線が、断面図の数値情報を強調する。g-70ライン、内径380ミリメートル。


『当該パイプは確かに他より太い。ですが、配管内部の有効径、および屈曲部の最小半径を算出した結果、肩幅が300ミリメートルを超える成人の進入は不可能です』


ノアの指先から放たれた青い光条が、ハンスの体格を走査スキャンする。ハンスがうっとうしそうに顔をしかめた。


『ハンス。あなたの体格指数では、肩関節を破砕してなお、第3カーブで物理的に停止します』


ノアの視線が、ハンスの胸板と肩に落とされた。ハンスの周囲に、測定された青い数字が、各部位ごとに表示される。数値と肉体の衝突。


「…じゃあ、子供なら?」

僕はセイルを思い浮かべた。彼は年の割には細身だ。術師としても実力的に申し分ない。

「確かに、セイル君なら…!」

同じことを思ったらしいニコが、炉心室の通信機を手に取った。軽いノイズとともに通話がつながる。ニコが早口で現状をセイルに伝える。何事かをセイルが答え、ニコは落ち着かない様子で通信機を置いた。



炉心室にやってきたセイルは、先日拾った子供―リリィを連れていた。リリィはセイルの服の裾を掴み、すっかり彼に懐いている様子である。


『測定します』


ノアの指先から放たれた極細の光条が、セイルの全身を上から下へと高速で撫で上げた。彼女の網膜上に、セイルの肉体を構成する骨格と筋肉の厚みが、透過図として瞬時に構築される。


『計測終了。肩幅362ミリメートル。胸郭の厚み、および防護服着用を考慮すれば、g-70ラインへの進入は論理的に棄却されます』


「防護服は必須ではありません。遮断膜を使えば」


セイルが続けるも、ノアはその青い爪先で、ウィンドウ上の配管断面図を指し示した。


『屈曲部の最小半径を算出した結果、肩幅が300ミリメートルを超える人間の進入は不可能です』


口をつぐんでウィンドウを見つめるセイルに、彼の服の裾を握っていたリリィが、不安げに大きな瞳を揺らす。ノアの視線が、無機質な機械の精度のまま、その小さな影へと移動した。


『対象を変更。同行している個体の走査を推奨します』


「待て、ノア。その子は…」


僕は遮るように一歩前に出たが、ノアの走査線は容赦なくリリィの細い身体を縦断した。青い光が少女の頬をなぞり、足元まで滑り落ちる。


『計測終了。個体名リリィ。推定年齢7〜8歳。肩幅284ミリメートル。胸郭、骨盤ともに配管内径380ミリメートルに対し、十分なクリアランスを保持。―当該パイプへの進入、および手動作業における「唯一の適合個体」と判定します』


空間に浮かび上がった「284mm」という数字が、青白く光った。ニコが息を呑む音が、静まり返った炉心室に小さく響く。


「こんな子供を、あんな狭くて暗い場所に行かせるっていうのか? 内部がどうなっているかもよく分からないのに」


僕の声は、自分でも驚くほど震えていた。だが、ノアは計算を止めることはない。


『肯定。適合率98%。生命維持の保証は、標準的な遮断膜の適用を前提として64%です』


リリィの頭上に「64%」という青い数字が浮かぶ。沈黙が室内の酸素を奪っていく。喉に詰まるような空気の中、セイルの服を握っていたリリィの手が、ゆっくりと離れた。


「わたし、やります」


「おい」

ハンスが苦い声でリリィに向き直る。彼はポケットに突っ込んでいた両手を出すと、ゆっくりとリリィの前に屈み込んだ。


「ガキ…いや、リリィ。何言ってるのか分かってるのか?分かってねぇならやめとけ」


「わたし、できます」

 

リリィが自身の右手を、ハンスの前に差し出した。彼女の胸元には歪な暗銀の正八面体オクタがペンダントとして光っている。差し出された小さな右手の爪から、チリリ、と黄白色おうはくしょくの火花が散った。


リリィは、「ね?」と言うようにハンスを見つめた。ハンスが何か言いかけて黙り込む。


「セイルお兄ちゃんが教えてくれました。わたし、できます」


リリィは、セイル、ニコ、僕と順番に視線を向ける。その視線がノアに止まった時、彼女は大きく頷いた。


「ノアお姉ちゃん。教えてください。わたしは、何をすればいいのか」


リリィが両手を握りしめてノアの言葉を待った。ノアは無機質な瞳でリリィを見つめ返す。


『個体名リリィの術式火花を確認。安定率78%。生存維持の保証を上方修正』


ノアの瞳の奥で、膨大な文字列が滝のように流れる。コンソール上に浮かぶ生存予測曲線が、断層を飛び越えるように跳ね上がった。リリィの頭上に固定された「64%」の数字が崩れ、鮮やかな青色で「88%」と再構成される。


「…88%、か」

ハンスがその数字を歯で噛み潰すように呟いた。ニコが、自身の半透明の右手を握りしめる。心臓炉の排熱ファンの音が、耳障りなほどに大きく響き始めた。僕の口は動かない。この数字を否定すれば、2,200人という市民を見殺しにすることになる。


「リリィ」


僕の声は掠れていた。震える指先を隠すように、コンソールの角を握りしめる。ノアが示した「88%」という数字が、僕の喉をどうしようもなく締め付ける。リリィが、胸元の正八面体オクタを握りしめて僕のほうを向いた。


「…できるだけのことはする」


僕が言えたのは、やっとそれだけだった。ノアが新たにホログラム・ウィンドウを展開し、作業行程を事務的に積み上げていく。ウィンドウの光が、それを見つめる僕たちの顔を青白く照らした。


『全行程、58分。現在時刻12時26分18秒、作業開始時刻を19時00分00秒に設定』


19時00分00。廃霊を“発火”させる太陽が沈む時間。ノアが淡々と言葉を続ける。


『作業猶予時間を逆算―76分18秒』


ドクリ、と心臓炉が大きく拍動した。リリィの背中に、コンソールの青い光が冷たい影を落としている。


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