共鳴する緋色
「イレブン、セイルを見なかったか?」
ハンスが炉心室の扉を乱暴に開け、足早に僕に近づいた。後ろには重い工具鞄を引きずるように持ったニコが、不安げな表情で続いている。ハンスの作業着は「白い雨」を浴びたせいで結晶がこびりつき、動くたびにカサカサと耳障りな音を立てていた。
「セイル君?」
僕はコンソールに預けていた身体をゆっくりと起こした。脳の奥を焼くような過負荷の余熱がまだ引いておらず、ハンスの声が二重に重なって聞こえる。
「いや、こっちには来てないけど」
「西壁の補修に向かったはずなんだが誰もいねえ。蒸気が吹き出したまま放置されてる」
ハンスの言葉に、僕の思考回路が一気に冷却された。レイナも鋭く反応し、青灰の爪を弾いて自身の端末を起動する。
「西壁までは北壁から数分の距離よ。途中で行き違うはずがないわ」
「セイル君が先に行ったのはいつ?」
「20分くらい前です。あの雨の中を走っていって…」
僕の問いに、ニコが不安げに答える。
僕は網膜にノアの索敵ログを展開した。だが、屋外は白い雨によって霧が立ち込め、標準的なセンサーは白いノイズを映し出すだけだ。
「ノア、西壁の生体反応を再走査。セイル君の暗銀の波形を追跡してくれ」
『マスター。西壁付近の生体反応はゼロ。…待機。座標F-28周辺に、極微量の未定義コードの残滓を検知。これは—「停止コード」です』
「術式は?」
『黒都、CMR術式に該当無し…。波形を再解析。コードの記述様式が論理演算ではなく、自己犠牲的な「祈祷」に近い再帰構造を持っています。—「虚白教団」の術式、『静寂の礼拝』と推定』
「…っ」
「イレブン?」
ハンスが僕の顔を覗き込む。
「…セイル君が消えたのは事故じゃない。何者かに連れ去られた可能性があります」
「連れ去られた?誰に?」
レイナが顔を強張らせて僕を見つめた。
「おそらく、『虚白教団』に」
僕の言葉にハンスは左手でホルスターを押さえ、ニコは半透明の右手を握り込んだ。
「あいつらか… 自ら廃霊に身を晒して、文字通り『空白』になろうとする狂人共だ。だが、何故セイルを?」
「…分からない…彼らが狙うなら心臓炉を動かしてる僕だと思うけど」
「人質か?」
「今のところはそれが妥当だと思う。だとしたら何らかの接触を試みるはず…」
バチリ、という激しい音に僕は顔を上げた。見ればレイナが、指先から銀の火花を散らしながら、血の滲みそうな力で右手を握りしめていた。
「…どこまで無能を晒せば気が済むのかしら」
彼女の口元は自嘲気味に歪んでいた。栗色の髪が顔を半ば覆い、その表情を隠している。右手の爪から散る火花が、一際高く爆ぜた後に霧散した。
「…とにかく、今は止まっている暇はありません。僕たちにできることをやりましょう」
僕は熱を持った脳を無理やり回転させ、視界にノアのシステムを全面展開した。ハンスとニコが顔を上げる。
『補足。停止コードの波形に異常。単一ではありません』
ノアの声が一瞬だけ遅延した。
『同一構造のコードが、観測結果上“三箇所”に重複しています』
「どういうことだ、ノア」
『空白化処理により、同一事象が複数の座標に投影されています。現在の解析では“どれが本体か確定不能”』
網膜の地図上に、F-28付近の光点が三つに分裂した。
「…分かった。今は保留だ。ノア、とりあえず11区全域の監視カメラ・ログを再構成。液状化によるノイズを逆演算で除去して、『欠落』したフレームを復元してくれ」
『了解』
「ハンスさん、ニコ、教団の過去の活動データを。彼らが『空白』として好む場所、管理網から外れた特異点を洗い出して地図にマークしてほしい」
「分かった。ニコ、古い地層ログを引っ張り出せ。あいつらが好んで潜伏するのは、情報の循環が止まった廃棄区画だ」
「分かりました」
「レイナさんはノアが復元したカメラ・ログを解析してほしい」
「分かったわ」
一通り指示を出すと、僕はコンソールに爪を立て、心臓炉とリンクを繋いだ。バチリ、と青い火花が散る。
「ノア、共鳴開始。感覚の帯域をすべて流体回路へ回してくれ。波形の『揺らぎ』を拾い上げるんだ」
『了解、マスター。神経接続を深層へ移行。ノイズ耐性を最大化します』
心臓炉との同期を超えた、共鳴。これはノアというOSを持つ僕だけに与えられた特権だ。
脳が浮くような感覚とともに、僕の意識は肉体の境界を越えて11区の毛細血管—心臓炉から伸びる無数の配管へとダイブした。
「…っ」
視界が真っ白に塗りつぶされる。代わりに、網膜には11区の地下構造が脈動する霊子の奔流として映し出された。熱を帯びた霊子が配管を流れる振動が、僕自身の鼓膜を直接叩く。僕はその膨大な情報の流れの中に身を投じ、配管の内壁にこびりついた情報の残滓を指先でなぞるように追いかけた。
身体が重く、両手の自由が効かない。意識を取り戻したセイルは目を開かず、全身を耳にして周囲の様子を探っていた。何人かが歩き回る足音と、低い話し声が落ちる。
「…こいつは?標的はハンス・レイグルだったはずだが」
「あいつは一人にならなかった。だがこの者も偽りの鼓動に仕える愚者の一人だ。『契約者』への人質にはなるだろう」
「11区の市民ではないな。毛色が違いすぎる」
それらの言葉を、セイルは冷静に脳内で分析していた。どうやら、彼らは特に自分を狙ったわけではないらしい。
(人質…ということはすぐに殺されるということはない)
セイルは、今意識が戻ったというように軽く身じろぎをし、ゆっくりと瞼を開けた。両手に視線を落とすと、ミトン状の「絶縁拘束具」が嵌められている。付近の男がそれに気づいたのか、セイルに歩み寄ってくる。
「目醒めたか。名を答えろ」
「…セイル・レイグル」
その言葉に、周囲の男たちが反応するのが分かった。フードを目深にかぶった男が屈み込む。フードの下のその顔は白い面で覆われていた。
「ハンスとの関係は?」
「親戚」
「証明できるか?」
「ハンスおじさんは、元々3区の心臓炉契約者だった」
目の前の男は口端をつり上げた。立ち上がって振り返り、背後の男たちにセイルを示す。
「この子供はハンス・レイグルの親族だ。なぜこのような子供が庁舎にいたのかと疑問だったが」
男はセイルに再び顔を向けた。
「お前、ハンス・レイグルから『3区共振実験』について聞いたことはあるか?」
「…ない」
「だろうな」
くっくっ、と男は喉の奥で低く笑った。
「教えてやろう、子供よ。ハンス・レイグルはその実験で『2人』を殺した」
「見つけた」
僕は指先に触れるかすかな「暗銀の波形」を拾い上げた。心臓炉直結のメインパイプから分岐し、西壁の奥へと向かう細いバイパス。そこにセイルの暗銀の波形とともに、複数の不自然な「空白」の痕跡が残されていた。深度1400付近の深層。だが、そこから先は、霧の中に迷い込んだように感覚が閉ざされる。
(教団の隠蔽術式か)
僕が強引に霧の中を探ろうとすると、目の奥が刺されたように痛み、網膜に白いノイズが走った。
「ノア」
『痛覚の遮断は非推奨です』
ノアはそっけなく答えた。
「…今捉えた残存波形の照合を頼む」
『了解』
僕は再び配管の霊子流に意識を戻した。爪先で一つ一つの配管をなぞるように、情報の残滓を掬い上げる。
『注意、マスター。第二層に別の空白反応を検知』
ノアの声に端末を見ると、地図が歪んだ。
今度は西壁とは別方向、廃棄層の浅部に“類似波形”が浮かび上がる。
「…これ、罠か?」
端末をみていたハンスが眉をひそめる。
ニコが小さく呟く。
「でも、どっちも“セイル君の波形”に見えます…」
『マスター。優先度判定。浅層反応、信頼度87%』
「…浅層?」
一瞬、僕の判断が揺れる。心臓炉との同期がノイズを拾う。
(白い雨の影響が残っている…?)
「一度そっちを優先するか」
ハンスが短く頷く。
「罠かもしれねぇが、完全に捨てる材料でもねぇ」
レイナが地図を見て、爪先を止める。
「…変ね」
「何がだ?」
ハンスが視線をレイナに向ける。
「浅層の座標、炉心配管の流れと一致してない。セイルの波形って“熱流に沿う癖”があるはずよ」
『再解析。空白領域に位相遅延を検知』
ノアが淡々と告げる。
『浅層反応は“残響”。実体ではありません』
地図が再び崩れる。
二つあった光点のうち、一つが遅れて消える。
残った一点だけが、ゆっくりと沈むように確定する。
「よし、ノア深層の方の波形のみ照合してくれ」
『了解』
僕はメインコンソールから一旦離れ、レイナの作業を手伝う。レイナは何かに追われているかのような表情で、カメラ・ログを解析している。その青灰の爪からは鋭い銀の火花が散り、すさまじい速度でコードを綴っていく。
ハンスはニコと共に端末を囲み、指先からコードを叩き込んでいる。ニコが半透明の右手でキーを打ち、11区の立体地図を空中に投影した。
「…ありました。三年前の『脱色事件』の祭壇跡地、それに一昨年の集団失踪が起きた地下配管の合流点…。マークした地点を繋ぐと、CMRの監視が届かない『空白』が一直線に繋がります」
地図上に、彼らの教義における「聖域」とされる「空白」が赤い点で繋がる。
「ここが…」
レイナがその「空白」を鋭い目で見据える。
「僕が捉えた波形の『重なり』から計算すると、彼らは単に地下にいるんじゃない。廃棄層の最下層、かつて瀝星を掘り尽くした後の『採掘跡地』—階層深度1400付近の、空洞となった場所に潜んでいる」
11区の地図上に、逃げ場のない立体的な一点が浮かび上がる。
「目的地は、この地下廃棄層の最深部。ノア、その座標にセイル君の波形残滓を再照合」
『座標z-75,階層深度1410。ハンスとニコの算出した水平座標と完全一致』
「ノア、その場所を全員の端末にマークして」
『了解』
ハンスが自身の端末を確認し、それを懐にしまう。彼の左の指先が、確かめるようにホルスターに触れた。
「…よし。チームを分けましょう」
僕はコンソールから手を離し、熱を帯びた頭を強引に冷やしながら告げた。
「ハンスさんとレイナさんは、この座標の深部へ直接突入してください。戦えるのはあなたたち二人だ」
ハンスは何も言わず、愛用のネイルガンを確認した。その動作は神経質なほどに精密だ。
「ニコ、君は僕と一緒にここで待機。教団と交渉を続けて時間を稼ぐ。」
ニコは真剣な表情で頷く。
「もしハンスさんたちが戦闘を開始したら、僕はその支援で手一杯になる。その間、教団がハックを試みた場合、君はここの管理系を守ってほしい」
僕の言葉に、ニコは左手で震えを抑えるように半透明の右腕を握り、ゆっくりと頷いた。
「イレブン、お前の『支援』っていうのは?」
ハンスが尋ねた。
「これを…」
僕は右手の爪を自身の左手首に深く突き立てた。滲み出した鮮血が、爪先から溢れる青い火花と混ざり合い、重結晶化されていく。僕の掌の上に転がったのは、内部に緋色が煙のように揺らぐ、歪な青い重結晶だ。僕はそれをもう一つ作り、それぞれハンスとレイナに手渡した。
「僕の血液を核にした『共鳴する緋結晶』だ。これを身につけていてほしい」
ハンスとレイナがそれを内ポケットにしまい込むのを見ながら、僕は続けた。
「その緋結晶を通じて、僕がこの場所から二人と『同期』して支援します。教団の術式が発動したら、僕がそれを肩代わりして、二人の個体定義を維持し続ける」
「…おい」
ハンスが内ポケットに再び手をやった。
「大丈夫、肩代わりすると言っても、心臓炉の防衛シーケンスを噛ませます。ゴミデータの処理に困ってたんだ」
「…」
「本当は、セイル君の分も作りたかったけど、そうすると多分僕が持たない」
僕の言葉にハンスは無言で内ポケットを押さえた。レイナが僕を真剣な眼差しで見据える。
「ありがとう、イレブン」
レイナは意を決したように右手を握りしめた。青灰の爪から散る銀の火花が、炉心室を一瞬だけ強く照らし出す。
ハンスも内ポケットから手を下ろし、無言で扉に向かった。灰色に擦り減った彼の左の爪から青白い火花が散る。
二人の足音が廊下へと消えていく。僕は再びコンソールに向かい、網膜にノアの演算ログを全開にした。




